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過去の社会のジェンダー規範の理屈で、現在の社会の性差別を語るフェミニスト(1)

 奢り奢られ論争でなかなかに呆れる女性論客が登場した。そして、その女性論客の総括を記事の結語の部分にもってきているところが、何とも男性差別的なメディアの風潮だ。女性差別的な言辞がメディアで取り上げられることはほぼなく、あったとしても否定されるべき対象として取り上げられる。一方、男性差別的な言辞は否定されるどころか、重要で妥当な言辞であるかのような扱いを受ける。元記事は以下だが、yahoo!ニュースにも転載されたので目を通した人も多いかもしれない。

 上の記事で批判対象とするのは女性論客のみたらし加奈氏が総括した以下の箇所だ。

「こうした話になると“男性差別”という話も出てくるが、ひとつ言っておきたいのは、差別構造において特権を持っている側が差別されることはない。それは“差別コスト”」と明言。なぜなら、今の状況は男性社会のなかで決めたことで、そこで男性差別と訴えるのはお門違いであり「それはいわゆるカテゴライズのなかで起きてしまう歪み」と言及。総じて、「今回の論争にしても男性が悪い、女性が悪いというより、この仕組みを作ってきた男性社会をもう一度振り返ろうという話だと思う」と話していました。

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 さて、このみたらし氏の総括のオカシさはどこに起因するのかと言えば、過去-現在-未来のフェイズを理解していない点と、各フェイズにおいて誰が社会を構築しているかを理解していない点にある。この2つを理解していないから、いつまでも女性は被害者ポジションにいると勘違いし、男性悪玉論の認識枠組みから抜け出せないのである。

 また、みたらし氏の主張の中の「差別構造において特権を持っている側が差別されることはない。それは“差別コスト”」との認識は、フェミニストが錦の御旗として掲げる「ジェンダー平等」という根本的な原則が、実に都合よく出したり引っ込めたりできる原則としてフェミニストには扱われている事を示している。この唾棄すべきダブルスタンダードを当然とする姿勢をとっていることにフェミニストを自認する連中は恥ずかしくならないのだろうか。

 ジェンダー平等の原則は「社会的に構築された、有利不利が生じる、男女で異なる扱い又は男女で異なる結果を、性差別として否定する」ものだ。したがって、我々の社会がジェンダー平等社会を目指している以上、男性不利で女性有利な男女で異なる取り扱いをフェミニストが“差別コスト”などと言い繕ったところで、それはジェンダー平等の原則に反する性差別に他ならない。

 


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