ラカンの思想史的な位置と個人的な気持ち
ラカンの物言いが私個人は非常に嫌いである。賢しげで思わせぶり、かつスピリチュアルな雰囲気の漂う表現を目にするたびにイライラする。そして、ラカン思想に関する弟子たちの解説も、同じような雰囲気で語られることが多いため、殆どのものが大っ嫌いである。大嫌いにもかかわらず、思想史的な重要性から目を通してどうにかこうにか理解しようと努めた過去がある。内容を理解してみれば「そんなヘンな言い回しせんでもいいやろ!」と言いたくなる悪文の読解に、多大な努力を払わねばならなかったことが、非常に苛立たしい。
因みにだが、ラカンの思想史的な重要性は「実存主義から構造主義」の転換に関わるものである。
実存主義は、そのはしりとしてキルケゴールが居るが、現代思想としてはニーチェに始まり、サルトルやヤスパース、ハイデガーといった系譜の思想である。その思想は簡単に言えば「人間や人生に決まった目的やあり方など無い。人間は自由に自分で目的やあり方を決めることができる!」という思想である。
後世の我々の感覚からすると「えぇ?それは当たり前じゃないの?」という感想を持つかと思う。しかし、実存主義が思想界でメインストリームだった時代は、ホイッグ史観や進歩史観、マニフェスト・ディスティニーあるいは社会的ダーウィニズムのような目的論的な感覚の方がむしろ一般的な感覚だったと言ってよい。そんな目的論的世界観を打破するのが実存主義だったといえる。さらには、二つの世界大戦によって目的論世界観が崩れた後は、その世界観が崩れたアノミー状態が問題だったので、それに代わる世界観が必要だったのである。
そんな実存主義であるが、実存主義の「人間や人生に決まった目的やあり方など無い。人間は自由に自分で目的やあり方を決めることができる!」という感覚や世界観が当たり前になると、「いや、そうとも言えない。人間はどうやら自分が気が付いていないような"枠組み=構造"に従って、物事を認識し、人間関係を考え、いろいろ感じて、人生を送っているようだぞ?」という世界観が出てくる。それが構造主義である。
構造主義の源流としては言語学のソシュールやロシア・フォルマリズムを挙げることができる。そんな構造主義が一気に花開いたのが、人類学のレヴィ・ストロースや心理学のラカンの思想だったという訳である。そして、そんな系譜の先にロラン・バルトやフーコーといった思想家がいる。
ただし、価値判断としての実存主義は構造主義で否定された訳ではない。実存主義と構造主義では関心を払う対象が変わったというべきだろう。つまり、「A:色々と桎梏があるけれども、B:人間は自由なんだ」という考え方は実存主義でも構造主義でも然程差は無い。実存主義は「如何にBであるか」を中心に論じて、構造主義は「Aとはどのようなものであるか」を論じているといった、何を明らかにしようとしていかの対象が違うのである。更に言えば、実存主義者は論点Aについても言及している場合が多いのだが、構造主義者は論点Bについては特には言及しない場合も少なくない。
構造主義が取り上げる"構造"が持つ性質として、「そうでない様式もあり得るのに、現にそうなっている様式を自明視する性質」がある。現にいま生きている社会から自分を切り離して俯瞰的視点を持てば別の様式でもあり得ることが認識できるにも拘らず、現にいま生きている社会の中での視点では別の様式の可能性すら思い当たらないような自明性を持った様式が"構造"である。
この構造主義が主題にしている"構造"は、それが崩れると「構造の自明性に対する実感」が失われるために構造が持つ自明性の把握が困難になり、構造が堅固であると「構造の自明性を疑って他の可能性を考える事」が難しいという、議論するにあたっての困難性がある。すなわち、構造が崩れていると構造が人間の認識を拘束している自明性が分かりづらく、構造が残っていると構造に認識が拘束されて「他でもあり得る」という偶然性が分かり難い。この事情が「構造主義が何を問題にしているのかが分かり難い」という状況を齎している。
話をラカンに戻そう。
ラカン理論において「欲望は他者の欲望である」というテーゼがある。このことは別稿で詳しくみるが、要するに価値形成を他者に依存している訳である。それは実存主義的世界観―—自らが自らの意思で価値形成を行い得る世界観――をひっくり返すものとなる。なぜなら、以下の構造が言えるからである。
P0:自分の欲望は他者1の欲望である
P1:他者1の欲望は他者2の欲望である
P2:他者2の欲望は他者3の欲望である
・・・
Pn:他者nの欲望は他者(n+1)の欲望である
・・・
つまり、ラカン理論の世界観においては、だれも「自分自身の欲望を、自分の欲望としている人間はいない」のである。したがって、「社会によって形成された欲望が自分の欲望となっている」という形の思想に変形され、ラカン理論は「なぜ構造が生まれるのか」という疑問に答える構造主義の基礎思想として評価されたのである。
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