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私の好きな物は

先日、「自分らしく自分自神で生きよう!」と発信、自分探しのお手伝いをしているMちゃんに、ピザ作りを教えた。

「ピザの作り方を通じて、自分を思い出してもらう、お手伝いをしたくてー」

というお願いに答えてだ。

Mさんとのお付き合いはかれこれ7〜8年。Mさんにエネルギーを整えてもらい、意識の向け方や言霊の使い方を変える事で、いろんな物事を引き寄せてきた。

畑もその一つ。

「今は家が欲しいのよー、古民家がいい。」

と言うと、

「与えられないのは、好きが違うからだよ、もっともっと自分を掘り下げて」

と、アドバイスをもらった。

「私の好きなもの」

ノートに書き出しているうちにウトウト。
すると、浮かんできたのは
おばあちゃんの家の庭で遊ぶ幼い私、
猫と戯れている。


そうそう、
おばあちゃんち、大好きだった。
広い畑では、野菜がいろいろ育っていた。
庭ではニワトリが散歩をして、好きなところに卵を産む。
日向では猫がお腹を出して寝そべり、
井戸の中にはスイカが冷えている。

家は、経年で黒茶に変わった木造の日本家屋、台所は土間だ。
磨き込まれた木の床は黒光りして、ツルツルと肌触りが良かった。
囲炉裏はなかったが、冬には火鉢に炭が入れられ、暖かくなった陶器の火鉢をいつまでも触っていた。

家の裏は小高い林だったと思う。
父がそこに宝物を隠していると言うので、どこにあるのか、よくほじくり返していた。

広い庭をまっすぐ南に進み、道路を渡ると、広々した田んぼが広がり小川が流れていた。
そこでも飽きることなく、メダカやタニシ、ザリガニをとって遊んだ。

今では、畑は住宅街になり、古民家はきれいな現代的な家に建て替えられている。


楽しかったなぁー。

今、
私が畑で野菜を作ったり、
山登りをしたり、
古民家が好きだったり、
和食が好きだったりするのは、

この子どもの頃の記憶のせいなのだろうか?
懐かしさが好きに繋がってるのだろうか?

神様はいたずら好きだ。
私があのおばあちゃんの家の子に産まれてれば、
畑はあったし、
古民家もあった。

「あったらいいな」がみんなあった。

「神様のバカやろー!」

でも、
あの家に生まれていたら、
私は畑で野菜を作ったのだろうか?
あの古民家に住み続けたのだろうか?
たまに行くおばあちゃんちだから楽しかったのではないだろうか?


美味しい野菜が食べたい。
野菜が育つ、収穫する事が楽しい。
野菜だけじゃない、木々の緑が好きだ。
季節季節で咲き誇る花々も好きだ。
この景色はどこまで続いているのだろう。先の方まで歩くのが好きだ。

木の家、ログハウスはダメなんだ。
あの繊細な作りの昔の家が好きなんだ。
彫刻を施された欄間(らんま)
ふすまや障子
アルミサッシじゃなくて、木枠の窓ガラス、すりガラスや彫刻された物はなおさら素敵だ。そんな昔の家を自分好みに手を入れながら育てる様に生活する。
そう、「武相荘」の白州次郎正子の様に。

多分、私は何かをしたいのではなく、
暮らしを楽しみたいんだと思う。
家も自然も育てて楽しみたい。季節の物を料理して食べる。
そんな普通が幸せって思う。

自分の為に、つらつら書いてみた。
私の好きな物、
深く深く掘り下げ事はまだまだ続くけど、好きな物と好きな事だけの人生って
やっぱり幸せ!

あなたの好きな物はなんですか?

まだまだ続く。

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