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後悔しているようなしていないような思い出。

みんなのフォトギャラリーさんより借用。
良い写真が多くて、私も良い写真が撮りたい。

思い出

誰にだって1つや2つや3つや4つ、黒歴史的なものがあるんじゃないかと思う。
ええ、私には両手両足では数えきれないくらいたくさんありますけど何か?

その中でも未だにフラッシュバックする思い出が一つある。
それは、後悔しているようなしていないような、でもいまだに思い出すのだから後悔しているんだろなって思い出。

3年生の壮行会直前

私のいた高校では、3年生が自宅学習に入る前日に、壮行会が行われていた。
ちょっと調子乗りな1、2年生たちが出し物をする第一部。
当時流行っていたオンバトに出ているような芸人さんを呼んでネタをやってもらう第二部。
そして、3年生の担任団が出し物をする第三部。

当時2年。
担任は、民間から教師に転職したタイプの人で、まぁそういう人だからほかの先生たちとは少し変わっていた。
例年、第一部は、チア部がチアリーディングで盛り上げたり、ちょっと調子に乗ってるタイプの子たちがバンドをやったり、お笑いをやったりしてちょっとだけ盛り上がるようなやつ。私みたいな人間は、見てニヤニヤしていればいいようなやつ。
言ってしまえば、芸人の前座。
今年もそんな感じなんだろなって思っていた。
が、担任は少し変わっていた。

『お世話になった先輩たちを送り出すのが後輩の責務なんじゃないのか?
強制はしないけど、クラスのみんなで感謝の気持ちを表現して何かやった方が良い』

とか言い出した。
強制はしないったって。
担任が遠回しにやれっていったら、やらないわけにもいかず。
そしてもちろん私のいたクラスにも明るい女子がいるわけで。

「いいじゃんクラスで出し物やろうよ!
合唱ならできるんじゃない?
あ、○○ちゃんピアノ伴奏できる?
じゃあ合唱やろう!」

あれよあれよという間に合唱をやることに決定。
ただし、『有志で』という話になった。

昼休みに練習。1日目。

案外合唱とか歌うことが好きだったので、クラスの出し物だし参加してみたいなとは思っていたものの、中心になってやっている女子はきらきらしている子たちで、普段絡まないメンツだった。
私は1人では参加する勇気がなかった。
当時つるんでいた友人たちは、「あんなの参加したくないよねー」というタイプ。私もその意見の中から一人だけ練習に参加するような勇気もなくて、参加しなかった。

2日目。

きらきら女子たちは、男子に声をかけた。たぶんあまり参加者がいなかったのでしょうね。
案外弱々しい男子が多くて、強気女子の言いなり。
だんだん練習への参加者が増える。
良いなぁと思いながらも、友達が参加しないなら…と思っていまだに勇気が出ない自分。
練習が気になるけど面倒だから参加したくない私の友人たち。

3日目。

男子も練習に参加し始めたところで、つるんでいた友人の中のリーダー格が、「しょうがない参加するか」と言い出し、みんなでしぶしぶ音楽室へ。
そりゃそうだ、クラスの輪を乱すのはちょっと嫌だもんね。

で。
何を思ったか、参加しなかった私。
そこで友達と参加していれば、こんな、20年近く経っていまだに思い出すようなイベントではなかったと思う。あの時~って笑って思い出すか、まず思い出さないようなちっぽけな思い出で終わったはずだった。
あの時、友達たちが仕方なく音楽室に行くのを見て、ちょっとイラっとしたんだ。

「やりたくないなら最後まで貫き通しなよ」って。
「私はやりたいと思ったけどやらないあんたたちに合わせたのに、なんで今さら参加するの?」って。

今、大人になって考えれば、やりたいのに行動しなかったのは自分で、仕方ないやるかって判断した友人たちが正解なんだと思う。
でも、当時の私はなんだか悔しくて、練習には一切参加しなかった。

そして当日。

私たちのクラスの番。

結局私は体育館の壇上で行われているクラスの出し物を、体育館の床の上の自分の席から見ていた。
結局、クラスで参加しなかったのは、長期で病休していて練習に参加できなかった友人Aちゃんと私の2人だった。

出し物の出来は覚えていない。
私の思い出にはあまり関係ない。
出来じゃなく、参加しなかった自分が問題。
いてもいなくても影響のない私を誰も責めることもなく、滞りなく出し物、ひいては壮行会は終了した。
あれから20年近く経つけど、思い出として話が出たことは一度もない。

壮行会の数日後

いや、別のクラスのCちゃんから、言われた。
Cちゃんはクラスのきらきら女子のうちのDちゃんと一緒に生徒会をやっていて、
「かんづめちゃんなら参加してくれると思ってたのに、なんでか参加してくれなかったって言ってたよ」
と教えてくれた。
それがDちゃんたちからの批判だったのか、ただの感想だったのかは聞かなかった。
でも、Dちゃんたちの立場なら、批判でも仕方ないかなって思う。私が彼女の立場なら批判もするし悪口も言っただろうな。
いじめられなかったのは奇跡か、彼女たちが良い子たちだったからか。
・・・もちろん後者でしょうが。

ちなみに、Cちゃんと私は学校外のボランティア活動の仲間で、そのボランティア活動を私がやっていることはDちゃんも知っていたから、よけい私がクラスの出し物に参加しなかったのが不思議だったのだと思う。

後悔ではないのだと思う

もしかするとその話を聞いたのが、いまだに消化できていない原因なのかもしれない。
中心になって進めてくれていたあの子たちへの申し訳なさ。
興味があってやりたいのに言い出せない自分の弱さ。

当時に戻ることができたら、ちゃんと参加するのか考えてみたけど、たぶん参加しない・・・いや、参加できないだろうなと思う。
きっと何度やり直したって、当時の私がやる気のない友人たちを置いて、1人できらきら女子の中に参加できたかって考えたらたぶん無理だと思う。
だからと言って、途中からめんどくさいアピールをしながら参加しに行く友人たちについていくのはなんだか悔しい腹立たしい嫌だと思ってしまうのは変わらないだろう。

ただ、今までもこれからも、ぽつりぽつりと、日々の生活の中で思い出すだけ。
ちくちくと心のやらかいところを刺しながら。

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