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ニコライ・オルロフ〜ロシアピアニズムの継承者

帝政ロシアに生まれたニコライ・オルロフ(1882-1964)は、モスクワ音楽院でピアノをコンスタンチン・イグムノフに、作曲と対位法をセルゲイ・タネーエフに学んだ。ピアニストとしてデビューを果たした1912年には、作曲者自身の指揮でグラズーノフ「ピアノ協奏曲」の初演も務め成功を収めている。ロシアの同世代ピアニストであるネイガウス、ゴリデンヴェイゼル等は祖国に残りソビエト・ピアニストたちを育てたが、オルロフは英国に拠点を移し世界を舞台に演奏活動を続けた。そして、ピアノの魔術師パハマン(オデッサ出身)や作曲家のラフマニノフ、W.サペルニコフ(チャイコフスキーの指揮でピアノ協奏曲を演奏したヴィルトゥオーゾ)などと同様に、海外に移住することでソビエトピアニズムから逃れ、結果的にはロシアピアニズム本流の継承者となったことはとても興味深い。

西側に移住したオルロフは、1920年頃にAmpico社へスクリャービンやショパンのピアノロール録音を行うが、その後1930年代に入ってようやく英国デッカレーベルにSPレコードの録音を開始する。繊細で優しい彼の持ち味はショパン演奏に適しており、12インチ3枚6面にエチュード、即興曲、ワルツ、そしてマズルカ、そしてお国もののチャイコフスキー「ピアノ協奏曲 第1番 作品23(全曲)」を録音した。ただしこれらは、演奏会で知るオルロフの魅力を伝えていないとのレコード評が残されている。確かにこの時期のオルロフのレコードは、かなり折衷的で柔軟さが欠けた演奏で、当時のオルロフの人気を窺わせるものではない。寧ろラジオ放送に残されたシューベルト「ドイツ舞曲」や、ショパン「子守歌」の断片にその片鱗がうかがえる。

しかしオルロフの本領は最晩年に訪れる。1960年代に入るとイタリアのマイナーレーベルに猛然とレコード録音を始め、ショパン(SKRP33032)のソナタ第3番と二つのバラード、幻想曲などの大曲、そしてマズルカ選集、プレリュード集、ワルツ、ノクターンなど、かなり多くの曲を発売した。これらの録音はオルロフの耽美的で繊細な魅力を伝えることに成功している。

ロシア作曲家の作品を集めたアルバム (SKRP33031)はオルロフの最高傑作ともいえる出来栄えで、片面を費やしたラフマニノフ作品に於ける美しさは作曲家自身の憂鬱で激しい演奏とまた違う幻想的な色彩を披露している。また、裏面に配されたスクリャービン、リャードフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチ、カバレフスキーらの素晴らしい選曲による作品群も、類を見ないデリケートなピアノタッチによる珠玉の名演奏である。

その他、フランクやラヴェルなどのフランス音楽まで残しており、レパートリーの広さを現在に伝えている。これらの奇跡的なセッションを終えたオルロフは、余命幾ばくもなく1964年に逝去したが、彼の残した晩年のレコード遺産はこれからも永く語り継がれていくことだろう。



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