2021.1.14 パプリカ

子ども。

学生という括りであれば、僕も子どもなのだろうか。

そんなことを言ったらあと2年も子どもなのだろうか。2年経ち、3年目に突然大人に豹変するのだろうか。いやでも、酒を飲み、1日に数回煙草を吹かすから大人なのか。そんなことはどうでもいい。


子どもの元気さを知っているだろうか。
子どもの可愛さを知っているだろうか。
子どもの純粋で、残酷さを知っているだろうか。

その昔、ある地方では子どもは“取り替えの付く存在”と代替品の扱いをされ、ある地方では子どもは“小さな大人”と区別のない存在であり、ある地方では子どもは性善説、性悪説、白紙説、と言ったまるで人間の扱いをしていない存在であったり、子どもが“子供”でなく“子ども”になっているのも差別文字から来ていて日本の勉強を司るお偉い文部科学省さまが変えただとか、いろいろな歴史がある。



今のこの世の中。
本当に子どもに残酷な社会である。
一つのウイルスで全てが崩され、思い出、これも良い言い方をしたら思い出なのかな、それでも自由に外に出ることも出来ず、それは子どもだけではないが、残酷で非情である。

少しでも彼らから、笑顔を奪わないで欲しい。

子ども。子どもというと、祖父母の幼少期、その時代の幼少期、彼らはどう過ごしていたのだろうか。

今と違って、訳の分からない電波も飛んでいない時代。
今と違って、笑顔がありふれていた時代。
今と違って、他人が優しかった時代。
今と違って、文化が続いていた時代。

今と違って、戦争があった、時代。

そんな、激動の時代で、子どもとして生き抜いて、命を繋ぎ、僕が産まれた。

その連鎖が欠けてはいけなかった。

どんな生活を、どんな生き方を、どんな人生を、どんな夢を持って、どんな現実を知って、時代を恨んだことはあるのだろうか。

パプリカのように。笑顔はあったのか。


彼らがまだ、元気なうちに聴いておかなくちゃ。
聴いて、僕が紡いでいくしかない。
連鎖が今、僕へと渡っている。
バトンは受け取っている。
走るのは自分だ。

2021.1.14

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