Miki Tateno Kawano SAKURANOKI

長くインテリアの仕事 人との出会い見た景色など輝いていた時代の思い出から今 仕事の体…

Miki Tateno Kawano SAKURANOKI

長くインテリアの仕事 人との出会い見た景色など輝いていた時代の思い出から今 仕事の体験を備忘録としてのんびり更新 期間限定予定 どこか思いを共有いただけたら嬉しいです https://www.instagram.com/miki_kawano_tateno/

最近の記事

最初のインテリアのイベントの仕事はフランク・ロイド・ライト

今では多くの人が詳しくなり語れるようになった名作家具。 私がインテリアの仕事に就いた頃はまだ日本では少なく、海外の家具やインテリアは遠い憧れのものでした。 それでも、最先端をいく特別な人たちが、海外から少しずつ優れた家具やインテリア雑貨を日本に紹介し、ネットがない時代は雑誌や本でそれらの情報を追いかけていました。 思い起こせば、学生時代の最初のアルバイトが、当時流通最大規模だった西武百貨店の営業卸部門で北欧のインテリア、ガラスのコスタボダの営業アシスタントでした。 そこで

    • インテリアと人事の仕事  支えてくれた本や言葉

      大きな目標も野心もなく自信もなく、でもどこか自分の居場所を探していた22歳のころから好奇心赴くまま少しずつ会いたい人に会いにいったり行きたいところにいったりしているうちに、少しずつ出会いが増えて、自然な流れでインテリアの仕事に就いた。 決まった日からチーフコーディネーターとして選ばれ、幅広くいろいろな仕事を任せていただき、そして、30代後半からカッシーナジャパンが上場する準備から役員になり経営陣として重責を背負うことになった。 タイミングや縁とは不思議だなと思う。 自分か

      • インテリアの仕事は触れることが大切 神秘を知る

        写真はかなり古いカタログです。 マッキントッシュ、コルビジェ、フランクロイドライト…. 今では有名な家具の一例 私が昔インテリアの仕事を始めたころに多く関わってきた、いわゆる’名作家具’ と言われる家具、 日本では80年代後半くらいから建築家デザイナーや当時’文化人’と呼ばれた人たちを中心に徐々に一般に広まっていった。 インテリアに興味があり関わる仕事に就きたい、インテリア業界に転職したいという方から問い合わせや相談をいただくことがあります。 インテリアという響きが、知的

        • インテリアのスタイリングとは 私の仕事の場合

          私にとって大切だった兼務の仕事の一つ。VMD MD という役割。   ー VMD ヴィジュアルマーチャンダイジング MD マーチャンダイジング カッシーナジャパンでの2007年までの20年間。 私が担っていたのは ’スタイリング’ではなく、あらゆる数字の責任を背負った、現実的な商品の展示レイアウト、と物販のためのわかりやすい空間作り。 辞める有能な先輩から、’レイアウト’という言葉を使いご指導いただいた。 (とても厳しかった。真剣で。心から感謝している。) 個人的に好きな

        最初のインテリアのイベントの仕事はフランク・ロイド・ライト

          初めてのパリで アンドレ・プットマンから教えていただいたインテリア

          活気があった一つの時代80年代から90年代 私の1987年からの長いインテリアの仕事で特に多忙だった20年間で 最初の大きな転機は1990年、パリとミラノ出張での経験。 そのたった1週間で、多くの出会い、発見、刺激、感動があり、ずっと今も色々な場面で役に立っている。 アンドレ・プットマン Andree Putman との出会い。 私はCassina Japan に転職しショールームでリテール営業と兼務していた企画 ’チーフコーディネーターMD VMD’としての仕事で、出張

          初めてのパリで アンドレ・プットマンから教えていただいたインテリア

          目標も何もなかった私の転機 インテリアとの出会い

          若い頃の日記が出てきました。インテリアの仕事に興味を持ち始めた20代前半のもの。 インテリアの仕事に転職したきっかけは、今思い出しても特別大きなことはなく、自然な流れでした。「縁と運」だとつくづく思う。若いなりに色々考え行動してはいたが、大きな目標などまして野心などなかった。目立つことが苦手でただ何となくきれいな光の方向を探していました。誰かのために役にたてる何か、自身の内面的な喜び、生きがいみたいな何かを。 そして出会った仕事から人に喜んでいただけることやりがいを感じ、ま

          目標も何もなかった私の転機 インテリアとの出会い

          インテリアの仕事での大きな転機はミラノから

          続きになります。 インテリアの仕事、私の仕事のキャリアで最初の大きな転機となった1990年ミラノ出張でのこと 前回とちょっとダブってしまいますが、いくつかを 遠い記憶が消えないうちに残します。 マッダレーナ・デパドヴァ邸でヴィコ・マジストレッティと共にディナーをご一緒できたわけですが、その時の私はまだインテリアの仕事を初めて3年目で、CassinaJapanでチーフコーディネーターと肩書きは最初からいただいていたが、このミラノ出張(パリ経由からの)で自分が何か大きなこと、交

          インテリアの仕事での大きな転機はミラノから

          インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に

          1990年 大昔ですが昨日のことのようなすばらしい経験で古くならない思い出です インテリアの仕事に就て約2年目に仕事では初めての海外出張でミラノへ パリからミラノ わずか6日でしたが実に多くの感動がありました ここは滞在最終日に行ったマッダレーナ・デパドヴァ女史の家 取材と打ち合わせに若い私は同席したような形でしたが VMD MDなど営業の企画の仕事も兼務していたので興味深く多くを得ることできました ミラノのど真ん中と思えない緑多い広い庭 この家で暮らしたくて懸命に仕事し

          インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に

          インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家

          代官山に行くたび当時を思い出してしまう 昨日のことのように鮮明に 私はこの住宅のインテリアを担当した 設計したヴィコ・マジストレッティ の指示を受けながら 始まりは1987年のこと Cassina Japan に転職した3日目(研修中)からの大仕事で数年とても苦労したけれどすばらしい家だった 今はもうないここにいた人たち ワンちゃんたちもういない 設計したイタリアの建築家デザイナー ヴィコ・マジストレッティに日本ーミラノで何度も会えた 大切な経験 思い出 未熟なわたし

          インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家

          坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出

          坂本龍一さんが亡くなってから、毎晩寝る前には最後のアルバム「12」を聴いています。遺された文や追悼番組など見ています。まだいなくなった実感が未だもてない。 追悼番組は多く続いています。少し前のNHKの20年位前のもとてもよかった。そして色々懐かい思い出。 私のCassina カッシーナジャパン時代の仕事の一つにVMD MDがあり、後半、上場して役員になっても続けた仕事。20年毎日たくさんの家具やプロダクトに触れていました。  その企画的な仕事、当時はやっていた長い横文字の

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          インテリアの仕事の始まり ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い

          1987年にCassina Japan (カッシーナ) という当時とても小さな家具インテリアの会社に、2年半の三井不動産R.から転職しました。 インテリアという当時はまだ早く新しい業界に夢を感じていたものの、大きな志はなく、漠然と2、3年くらい美しいものに関わるきれいな仕事をしてみたいという若い憧れだけでした。 たまたま良く知らずに受けた、Cassina Japan カッシーナ。 1次筆記と面接をパスし、2次の実技試験に向かった。 会場には、10人くらいだったか、皆、予習

          インテリアの仕事の始まり ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い

          インテリアの本 お勧めの1冊 「魂のモダンデザイン」 本当のこと を知る

          インテリアが好き、インテリアの仕事を目指す人、インテリアに関わる多くの人に読んでほしい本です。 カッシーナ Cassina Japan 創業者が亡くなる前に書き遺した1冊。 最もらしいものや人、情報が溢れる時代、 ’本当のこと’ を見る力は大切だと今改めて実感しています。 日本でモダンなインテリアのスタイル、形がどのように始まったのか、どんな思いで始めたのか、本当のことを 正直に書かれたこの1冊を一人でも多くの人に知ってほしいと願います。 私がインテリアの仕事で一番長くい

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          インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代

          なつかしい人に会いました 久しぶりの仕事をここで共に過ごした人と  Cassina Japan カッシーナ ジャパンに転職した1987年から私が最初にいたところ Mario Bellini マリオ ベリーニのデザインで 何とも秀逸で美しいこのショールームは六本木 飯倉片町の交差点近くのAXISビル3F にあった 迷路のような だまし絵のような 幻想的な光の空間 ここにはわたしはCassina前半の10年いた 1987年から1997年 各界すごい方がとびきりオシャレをしてた

          インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代

          フランク・ロイド・ライト 復刻家具の展示会の思い出とニューヨークの旅と本

          30年前の初ニューヨーク旅でスーツケース半分は購入した本をつめて帰国した オキーフやフランク・ロイド・ライトをたくさん 今だったら情報は瞬時に入るが当時は本しかなかったし日本に洋書は少なかった。 1988年ころ フランク・ロイド・ライトの家具が未だ権利がありイタリアのCassinaで復刻され発表展示会を行い担当した。 わたしはカッシーナCassinaJapanでイベントの仕事も兼務していて20年間で数千件はおこなったが、ライトのイベントは初期、2回目の仕事だったか。 会

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          シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと

          シャルロット・ペリアン最後の来日イベントが、カッシーナジャパン時代に数千件は担当したイベント企画の、最初の仕事。1988年のこと。(その時のことは以前に書いています) そして、それを機に、シャルロット・ペリアンとパリ時代からご友人だった、画家の堂本尚郎さんには、大変お世話になった。ペリアンの上記の来日イベントにもご協力いただいた。 堂本さんは、フランスでも多くの勲章など、日本でも紫綬褒章や文化功労賞など多く受賞された画家。パリ時代には、イサムノグチはじめ多くの一流のアーテ

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          シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本

          前回から続きます。これからも次世代に見てほしいすてきな本。 そして、多くの偉大なインテリアデザイナーのように、 シャルロット・ペリアンも、 今以上に、 実物によく触れたことがない評論家やスタイリストなどが名や役を得るために、 またはファッションを売るための、ファッションの 広告のように扱われることがないよう願います。 シャルロット・ペリアン本人に実際会えたの時、ペリアンは80歳過ぎの最晩年でしたが、以前書いたようにとてもチャーミングな女性で、今、写真だけ見てもスタイリッシ

          シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本