Miki Tateno Kawano SAKURANOKI

長くインテリアの仕事 人との出会い見た景色など輝いていた時代の思い出から今 仕事の体…

Miki Tateno Kawano SAKURANOKI

長くインテリアの仕事 人との出会い見た景色など輝いていた時代の思い出から今 仕事の体験を備忘録としてのんびり更新 期間限定予定 どこか思いを共有いただけたら嬉しいです https://www.instagram.com/miki_kawano_tateno/

記事一覧

インテリアと人事の仕事  支えてくれた本や言葉

大きな目標も野心もなく自信もなく、でもどこか自分の居場所を探していた22歳のころから好奇心赴くまま少しずつ会いたい人に会いにいったり行きたいところにいったりしてい…

インテリアの仕事は触れることが大切 神秘を知る

写真はかなり古いカタログです。 マッキントッシュ、コルビジェ、フランクロイドライト…. 今では有名な家具の一例 私が昔インテリアの仕事を始めたころに多く関わってきた…

インテリアのスタイリングとは 私の仕事の場合

私にとって大切だった兼務の仕事の一つ。VMD MD という役割。   ー VMD ヴィジュアルマーチャンダイジング MD マーチャンダイジング カッシーナジャパンでの2007年まで…

初めてのパリで アンドレ・プットマンから教えていただいたインテリア

活気があった一つの時代80年代から90年代 私の1987年からの長いインテリアの仕事で特に多忙だった20年間で 最初の大きな転機は1990年、パリとミラノ出張での経験。 そのた…

目標も何もなかった私の転機 インテリアとの出会い

若い頃の日記が出てきました。インテリアの仕事に興味を持ち始めた20代前半のもの。 インテリアの仕事に転職したきっかけは、今思い出しても特別大きなことはなく、自然な…

インテリアの仕事での大きな転機はミラノから

続きになります。 インテリアの仕事、私の仕事のキャリアで最初の大きな転機となった1990年ミラノ出張でのこと 前回とちょっとダブってしまいますが、いくつかを 遠い記憶…

インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に

1990年 大昔ですが昨日のことのようなすばらしい経験で古くならない思い出です インテリアの仕事に就て約2年目に仕事では初めての海外出張でミラノへ パリからミラノ わず…

インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家

代官山に行くたび当時を思い出してしまう 昨日のことのように鮮明に 私はこの住宅のインテリアを担当した 設計したヴィコ・マジストレッティ の指示を受けながら 始まりは…

坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出

坂本龍一さんが亡くなってから、毎晩寝る前には最後のアルバム「12」を聴いています。遺された文や追悼番組など見ています。まだいなくなった実感が未だもてない。 追悼番…

インテリアの仕事の始まり ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い

1987年にCassina Japan (カッシーナ) という当時とても小さな家具インテリアの会社に、2年半の三井不動産R.から転職しました。 インテリアという当時はまだ早く新しい業…

インテリアの本 お勧めの1冊 「魂のモダンデザイン」 本当のこと を知る

インテリアが好き、インテリアの仕事を目指す人、インテリアに関わる多くの人に読んでほしい本です。 カッシーナ Cassina Japan 創業者が亡くなる前に書き遺した1冊。 最…

インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代

なつかしい人に会いました 久しぶりの仕事をここで共に過ごした人と  Cassina Japan カッシーナ ジャパンに転職した1987年から私が最初にいたところ Mario Bellini マリ…

フランク・ロイド・ライト 復刻家具の展示会の思い出とニューヨークの旅と本

30年前の初ニューヨーク旅でスーツケース半分は購入した本をつめて帰国した オキーフやフランク・ロイド・ライトをたくさん 今だったら情報は瞬時に入るが当時は本しかな…

シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと

シャルロット・ペリアン最後の来日イベントが、カッシーナジャパン時代に数千件は担当したイベント企画の、最初の仕事。1988年のこと。(その時のことは以前に書いています…

シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本

前回から続きます。これからも次世代に見てほしいすてきな本。 そして、多くの偉大なインテリアデザイナーのように、 シャルロット・ペリアンも、 今以上に、 実物によく…

シャルロット・ペリアン1988年最後の来日イベントから 20年後

1963年のシャルロット・ペリアンと娘ペルネット・ペリアン。すてきです。 わたしは大手不動産会社のOLから転職して、インテリアの仕事を1987年から始め、2007年まで20年間…

インテリアと人事の仕事  支えてくれた本や言葉

インテリアと人事の仕事  支えてくれた本や言葉

大きな目標も野心もなく自信もなく、でもどこか自分の居場所を探していた22歳のころから好奇心赴くまま少しずつ会いたい人に会いにいったり行きたいところにいったりしているうちに、少しずつ出会いが増えて、自然な流れでインテリアの仕事に就いた。
決まった日からチーフコーディネーターとして選ばれ、幅広くいろいろな仕事を任せていただき、そして、30代後半からカッシーナジャパンが上場する準備から役員になり経営陣と

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インテリアの仕事は触れることが大切 神秘を知る

インテリアの仕事は触れることが大切 神秘を知る

写真はかなり古いカタログです。
マッキントッシュ、コルビジェ、フランクロイドライト….
今では有名な家具の一例
私が昔インテリアの仕事を始めたころに多く関わってきた、いわゆる’名作家具’ と言われる家具、
日本では80年代後半くらいから建築家デザイナーや当時’文化人’と呼ばれた人たちを中心に徐々に一般に広まっていった。

インテリアに興味があり関わる仕事に就きたい、インテリア業界に転職したいという

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インテリアのスタイリングとは  私の仕事の場合

インテリアのスタイリングとは 私の仕事の場合

私にとって大切だった兼務の仕事の一つ。VMD MD という役割。
  ー VMD ヴィジュアルマーチャンダイジング MD マーチャンダイジング
カッシーナジャパンでの2007年までの20年間。

私が担っていたのは ’スタイリング’ではなく、あらゆる数字の責任を背負った、現実的な商品の展示レイアウト、と物販のためのわかりやすい空間作り。
辞める有能な先輩から、’レイアウト’という言葉を使いご指導い

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目標も何もなかった私の転機 インテリアとの出会い

目標も何もなかった私の転機 インテリアとの出会い

若い頃の日記が出てきました。インテリアの仕事に興味を持ち始めた20代前半のもの。
インテリアの仕事に転職したきっかけは、今思い出しても特別大きなことはなく、自然な流れでした。「縁と運」だとつくづく思う。若いなりに色々考え行動してはいたが、大きな目標などまして野心などなかった。目立つことが苦手でただ何となくきれいな光の方向を探していました。誰かのために役にたてる何か、自身の内面的な喜び、生きがいみた

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インテリアの仕事での大きな転機はミラノから

インテリアの仕事での大きな転機はミラノから

続きになります。
インテリアの仕事、私の仕事のキャリアで最初の大きな転機となった1990年ミラノ出張でのこと
前回とちょっとダブってしまいますが、いくつかを
遠い記憶が消えないうちに残します。

マッダレーナ・デパドヴァ邸でヴィコ・マジストレッティと共にディナーをご一緒できたわけですが、その時の私はまだインテリアの仕事を初めて3年目で、CassinaJapanでチーフコーディネーターと肩書きは最初

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インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に

インテリアの仕事で初めてのミラノ すばらしい経験で大きな転機に

1990年
大昔ですが昨日のことのようなすばらしい経験で古くならない思い出です
インテリアの仕事に就て約2年目に仕事では初めての海外出張でミラノへ
パリからミラノ わずか6日でしたが実に多くの感動がありました

ここは滞在最終日に行ったマッダレーナ・デパドヴァ女史の家
取材と打ち合わせに若い私は同席したような形でしたが
VMD MDなど営業の企画の仕事も兼務していたので興味深く多くを得ることできま

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インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家

インテリアの仕事の始まりは イタリア建築家マジストレッティ設計の家

代官山に行くたび当時を思い出してしまう
昨日のことのように鮮明に

私はこの住宅のインテリアを担当した
設計したヴィコ・マジストレッティ の指示を受けながら
始まりは1987年のこと

Cassina Japan に転職した3日目(研修中)からの大仕事で数年とても苦労したけれどすばらしい家だった
今はもうないここにいた人たち
ワンちゃんたちもういない

設計したイタリアの建築家デザイナー ヴィコ・

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坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出

坂本龍一さん追悼番組とコルビジェの思い出

坂本龍一さんが亡くなってから、毎晩寝る前には最後のアルバム「12」を聴いています。遺された文や追悼番組など見ています。まだいなくなった実感が未だもてない。
追悼番組は多く続いています。少し前のNHKの20年位前のもとてもよかった。そして色々懐かい思い出。

私のCassina カッシーナジャパン時代の仕事の一つにVMD MDがあり、後半、上場して役員になっても続けた仕事。20年毎日たくさんの家具や

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 インテリアの仕事の始まり  ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い

インテリアの仕事の始まり ヴィコ・マジストレッティの家具との出会い

1987年にCassina Japan (カッシーナ) という当時とても小さな家具インテリアの会社に、2年半の三井不動産R.から転職しました。

インテリアという当時はまだ早く新しい業界に夢を感じていたものの、大きな志はなく、漠然と2、3年くらい美しいものに関わるきれいな仕事をしてみたいという若い憧れだけでした。

たまたま良く知らずに受けた、Cassina Japan カッシーナ。
1次筆記と面

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インテリアの本 お勧めの1冊 「魂のモダンデザイン」 本当のこと を知る

インテリアの本 お勧めの1冊 「魂のモダンデザイン」 本当のこと を知る

インテリアが好き、インテリアの仕事を目指す人、インテリアに関わる多くの人に読んでほしい本です。
カッシーナ Cassina Japan 創業者が亡くなる前に書き遺した1冊。

最もらしいものや人、情報が溢れる時代、
’本当のこと’ を見る力は大切だと今改めて実感しています。
日本でモダンなインテリアのスタイル、形がどのように始まったのか、どんな思いで始めたのか、本当のことを 正直に書かれたこの1冊

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インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代

インテリアの仕事は美しい空間から始まった カッシーナジャパン 六本木時代

なつかしい人に会いました
久しぶりの仕事をここで共に過ごした人と 
Cassina Japan カッシーナ ジャパンに転職した1987年から私が最初にいたところ

Mario Bellini マリオ ベリーニのデザインで
何とも秀逸で美しいこのショールームは六本木
飯倉片町の交差点近くのAXISビル3F にあった
迷路のような だまし絵のような 幻想的な光の空間
ここにはわたしはCassina前半

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フランク・ロイド・ライト 復刻家具の展示会の思い出とニューヨークの旅と本

フランク・ロイド・ライト 復刻家具の展示会の思い出とニューヨークの旅と本

30年前の初ニューヨーク旅でスーツケース半分は購入した本をつめて帰国した
オキーフやフランク・ロイド・ライトをたくさん

今だったら情報は瞬時に入るが当時は本しかなかったし日本に洋書は少なかった。

1988年ころ
フランク・ロイド・ライトの家具が未だ権利がありイタリアのCassinaで復刻され発表展示会を行い担当した。
わたしはカッシーナCassinaJapanでイベントの仕事も兼務していて20

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シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと

シャルロット・ペリアンの友人 画家の 堂本尚郎さん との出会い イサムノグチのこと

シャルロット・ペリアン最後の来日イベントが、カッシーナジャパン時代に数千件は担当したイベント企画の、最初の仕事。1988年のこと。(その時のことは以前に書いています)

そして、それを機に、シャルロット・ペリアンとパリ時代からご友人だった、画家の堂本尚郎さんには、大変お世話になった。ペリアンの上記の来日イベントにもご協力いただいた。

堂本さんは、フランスでも多くの勲章など、日本でも紫綬褒章や文化

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シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本

シャルロット・ペリアンとの仕事と大切な本

前回から続きます。これからも次世代に見てほしいすてきな本。

そして、多くの偉大なインテリアデザイナーのように、
シャルロット・ペリアンも、
今以上に、
実物によく触れたことがない評論家やスタイリストなどが名や役を得るために、
またはファッションを売るための、ファッションの 広告のように扱われることがないよう願います。

シャルロット・ペリアン本人に実際会えたの時、ペリアンは80歳過ぎの最晩年でし

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シャルロット・ペリアン1988年最後の来日イベントから 20年後

シャルロット・ペリアン1988年最後の来日イベントから 20年後

1963年のシャルロット・ペリアンと娘ペルネット・ペリアン。すてきです。

わたしは大手不動産会社のOLから転職して、インテリアの仕事を1987年から始め、2007年まで20年間は、Cassina Japan カッシーナ ジャパン という会社に在籍しました。まだ小さな会社で、経営はイタリアのCassina カッシーナファミリーがいて、伊日ともに創業者の時代、外資で合弁会社だった時代です。

37歳

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