自分を感じる。 感じ切る。飽きるまで。 そうして自分を愛していくと、他の人の中にも自分が見えるようになってくる。 どの人も愛おしく感じる。 だけど人はそれぞれが自分が意味づけした世界を生きている。 交わることはできる? 今、この瞬間分かり合えた!という実感はある。 確かにあると思う。 だけど、ずっと分かり合うことは可能? わからない。 ならば、その一瞬一瞬を奇跡のように大切にするしかない。 通じ合えた瞬間があればいい。 、、、本当に? その一瞬のためにいつも誠実にほんとうの自
緩む……離れで緩む…… しっかり会で伸びあって頑張ってるつもり。だけど、離れで緩んだら全部台無し。 「三大悪癖って知ってる?早気・不好き・浮き離れ」 !!!! わたしって悪癖なの(泣)? それも早気と同等??? 悲しすぎる…… 原因は、妻手がきちんと納まっていないこと。納まっていないので安定しなく、離れで前に浮く。 うん。。引き分け時の妻手の軌跡ってとても難しい。意識しているのに同じ軌跡で引いてこれない。 先生からのご指導をまとめると、 ・大三~引き分け、
「一回一回の稽古で一喜一憂しないこと。」 「今日は出来なかったけれど、2か月後にはきっと出来てる!そのくらいの気持ちで続ける。反省することは大事だけど、暗くなったら、周りで見ていてつらくなるよ。大丈夫だから。一つでも出来たことを自分で褒めて、たのしみながら続けていこう。」 子育てや体調でなかなか稽古できず、思うように引けないわたしに先輩がかけてくださった言葉。 見ていてくれる人がいることはありがたい。 人と比べることは無意味。 今出来ることに集中する。 そして、愉
武道をやっていると、「ちょっと大変そうだね…」と言われることがある。先生が「カラスは白い。」と言うと、「そうです。」と答えないといけないイメージがあるみたい(笑) 実際には高段位の先生ほど、謙虚で周りの人に思いやりを持っている方がほとんど。 でも、会の中には色んな人がいる。年齢、性別、職業、育児中、、本当に様々。 弓道は個人競技だけれども、実は団体競技的要素もある。5人揃って入場しなければならないのだが、息合い(呼吸)が一人でもずれると、全体の調和が乱れる。それを、審査
ある本で、「妻に書いてもらった自分の良い所50個が宝物」とあったので、もうすぐ誕生日を迎えるオットに書いてみることにした。照れでなかなか思いつかないし、書く毎に「でも〇〇だけどね~」と心の中でツッコミ。15個書いたくらいで、なかなか良い夫じゃん!と自分の方がうれしくなってきた。
握り革こそ何枚あっても良いアイテム。必要に迫られてから買いに行くより、好みの柄に出会ったら買い置きしておくのがいいと思う。薄くて柔らかく伸びやすいものが巻きやすい。 定番は蜻蛉や花、蝶、麻、鱗、瓢箪、矢絣。鳥獣戯画も素敵。 個性を出したい方は、ドラゴン柄なんかも!絶対弓を取り間違えられない! なめしの無地も落ち着いた雰囲気で素敵。臙脂や小豆、海老茶あたりが好き。 自分向きではないけれど、あら、と思う色柄を見つけたら買っておくと、ちょっとした時のお礼にプレゼントするのも
朝、洗濯物を干していたら、次男がブツブツひとりごと。「あぁ、どうしよっかな、、よし。言おう!」 「あのね、ならいごと、もう一回だけでいいから行きたい!」 習い事というのは、週一回のほとんど遊びの延長保育のこと。お友達とうまくいかなくて、先月やめたばかり。「やめなくても、しばらくお休みにしようか?」と提案したり、幼稚園の先生とも話し合ったけれど、もう行きたくないと、次男の気持ちは決まっていた。 それが今朝になって急に行きたいと言い出した。もしかしたら、少し時間が経って、友
基本は白の下がけだけど、今は弓具店にも素敵な柄の下がけが置いてある。 noアクセサリー、no髪飾り、おしゃれのしようのない道着と袴。そんな中で、道場の雰囲気に合ったお気に入りの和柄を目にすると、「素敵!頑張ろう!」と、気持ちが上る。 弓道は持ち物が多いので、案外楽しめる。弓巻、弦巻入れ、襷ケース、下がけ、弽袋、握り革、風呂敷等々。 下がけはたくさんあっても良いから、素敵な柄に出会ったら何枚でも欲しいところ。 でも、自分の中でなぜか“審査は白だよね。”って勝手な決まりが
では、弓道において“自分を表現する”とはどういうことだろう。 武道には型がある。特に弓道は、「昨日弓を始めた人と範士の先生と、やることは一緒。」と言われる通り、八節以外にない。 八節以外の動作を持たない弓道においては、例えば剣道のように戦い方で自分のスタイルを示すなど、動作の上に自分を表現することは不可能である。決まった動作のうちに自分らしさを出すのなら、内面の違いで表すしかない。 『弓道教本』にも、<精神的に重きをおかれてきた射には、常に至誠・礼節に徹し、射を通じて心
「綺麗に引けてるんだけどね・・・」 綺麗に引くことだけを目指してきた。 『正射必中』弓道はただ的に当てる競技ではない。正しく引けば自然と中る。そう教わってきた。だから、ただひたすら正しく、綺麗に引くことだけを考えてきた。 でもやっぱり弓道には的中が必要。どんなに綺麗に引けていても、中らないと昇段はできない。綺麗に見えていても、中らないということは、まだまだ正しくは引けていないということ。だって、正射必中なのだから。 ある時期からめっきり中らなくなった私に先生も困ってら