見出し画像

受けるより与えるほうが幸い、のワナ

『受けるよりは与える方が幸い』って、聖書の格言ですが、満足感や充実感は、与えたほうが深く味わえる → 幸せな人生につながる、って意味だと思っています。ビジネスにおいて、まずたくさんのギブをすることが成功につながるとも言われています。本当にそうなのか?というのが今日の話題です。

最近、”与えること”について、深く考える機会があり、今日はそのことについての私が考えたことをお伝えしたいと思います。


私は普段、何かを誰かに与える、ということについては特に意識してはいません。(与えるというのは、モノやお金とは限らず、知識とか時間とか手間とかも含まれます。)

これは私の感じていることですが、与えるというのは人の『姿勢』のようなものではないかと思うんです。その人の人間としての、『体質』というか、もっと言うと、『生き方』の一部ぐらいの。意識しなくても与えちゃう。

ビジネスでもプライベートでも、自分の直接の利益とか、同等の交換条件を求めている人よりも、いつも惜しみなく相手のためになる知識や手間などをいっぱい与えてくれる人のほうが、相手はその人のことを好きになるし、応援したいと思うようになります。

いつも基本相手のことを信頼する人、いつも基本相手にプラスになることを与える人、でありたいというスタンスでいればいいのかなと思っています。愛ですよね?

  そうしたら自然とそんな自分を好きになれる気がします。✨
  私もそういう人になりたいなぁと思っているところです。

人はひとりひとり違っているし、その時々でも違うので、相手に興味を持ち、相手を知りたい、合わせたい、喜ばせたい、という『マインド』さえあれば、その人との関係は自然にうまくいくんだと思います。


ただ、ここで、ひとつ考えなくてはいけないことがあります。

受け取ってばかりで感謝しない人や組織というのも存在するということです。そういう人や組織を相手に、すり減らす与え方、自己犠牲的な与え方をしていたら、身が持ちません。

『幸福な王子』 というお話があります。
王子の像 … 貧しい人々に心を痛め、自分についている宝石や金をあげるが、最後には汚くなり、取り壊されてしまう。
ツバメ … 王子の代わりに人々に宝石や金を配るが寒さのため死んでしまう。
王子もツバメも天国へ行きました。というお話です。
(子どものころ、これを読んで泣いたなぁ…)

この物語は、物語だから美しいんですよね。

与えて与えて、もし自分がすり減ったり燃え尽きたりするような相手にずっと与え続けていたら、どうなるんでしょう?

そうなると楽しくないし、満足感や充実感とは逆の結果になってしまうこともあり得ます。最悪の場合、病気になるかもしれません。ビジネスだったら赤字になるかもしれません。

『基本はこちらは与える人』ではあっても、相手がそういう感じだったらそこで、距離を置かなくてはならないと思います。

与える人、であり続けるためにも、負荷がかかる”自己犠牲的”な与え方はしないほうがいいと思います。

受けるより与えるほうが幸い。ただし、相手による。』だと思いました!
いかがでしょうか? 😊


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?