『微熱期』読み中に黒田喜夫に出会う

微熱期を読みこなせないまま、たまたま図書館で『黒田喜夫詩撰集燃えるキリン』に出会ってしまう。本棚のどこかに分厚い単行本はあるのだが、探すより借りる方が手っ取り早いので借りてきた、ら、以前読んだ時より、微熱期を読んだ今の方が黒田の言葉が切っ先鋭く強く胸の迫るのである。黒田の生い立ち、生きた時代を思うとその詩世界の厳しさ激しさはよく理解できたつっもりだったが、あまりにかけ離れ、対照的で、互いに無縁の世界を行ったり来たりで、目のくらむ思いがする。どちらも私の生とは遠い、現実感のない世界なのだが、その点は共通しているのだが、なんと言っても黒田作品は日本の最も暗い時代の、極貧の生から生み出されたものであるだけ、いわばファンタジーとドキュメンタリーの違い程でその異質さ無縁さに、気が遠くなる。もちろん、あくまでフィクションとしても胸に迫ったのは黒田作品である。こういう生があり時代があった、という確かな事実が根底にあるからだ。微熱期の作品の歌う不安は、黒田が生涯抱え続けた不安とは雲と岩くらい違う。時代が違うのだからそれぞれの不安、苦しみに軽重はないというかもしれない。しかし、黒田作品にある生の断崖にいるような切実さに比べたら、私には、微熱期に見え隠れする不安はガラスのショーウインドウに映った、美しい人の憂愁にしか見えないのでした。