悩んでいます

詩を書いて、自分で自分の作を客観的に見られたらいいのですが、自分がいいと思っていても読者にどう読まれるか、心配です。ので合評会が必要です。
その機会は私には時間や距離などの問題で、とても少ない、というより一ヶ所しかありません。その唯一の場に、作品を出して、いただくコメントは自分での採点とほぼ同じなのでまあ自己分析はできていると思います。会心の作なんてめったにできるものではないので、大概は70点くらいと思っていると、いただくコメントもイマイチぼんやりしたものです。よくできたと思ったものは、やはり褒められることが多い。先日の提出作品は、多くの人に大変ほめられました。勿論いつも見当違いのぼろくそ批評をするオジサンもいて、滅茶滅茶けなすのですが、ご自分の恥をさらしているのが分からない滑稽な人と思っているので聞き流し。たいがいの人は常識的で、いいと思えばいいと言い、面白くないと思うとそうおっしゃいます。ところが先日のは素晴らしいと口々に言われたからこその批判が出て、この一行が余分、この行は位置を変えて、とありがたいアドヴァイスを頂いたのです。その時はありがたく、なるほど、と思い帰ってきたのですが、追いかけて後日お電話いただいてなお丁寧にアドバイスを頂戴しました。又ありがたくうかがい、言われたとおりに削ったり位置を変えたりしてみました。ら、私の心とは違う作品になりました。詩は、短歌とは違う。自分の思いを陳べるものではないと思います。作者の心をもとにして詩は限りなく事象の本質をうがつべく書かれるものです。心には思想も理性もありますが感情も付くものです。その感情に普遍性があればいい作品になるのだと思います。批評によって添削した詩が、その自分の心にそぐわない。自分の心によって書いたものに思えない。いくらテーマや素材をほめられても、それを最も適切とされた言葉に変えたら我が作品と思えない。同じテーマ、同じ素材によるひとの作品になってしまった、と感じるのです。批評を下さった方々が、詩の世界の高名な方々であるだけに、この齟齬は悩ましい。詩を書く方々はこういう経験があるのだろうか、そういう時どうしていらっしゃるのでしょうか。お聞きしたいとつくづく思います。