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自分を読書好きだと思っていたら違った件。

 私は数年前まで、自分の事を「読書好き」そして「小説好き」だと思っていました。
多分、家族もそう思っていてクリスマスなどのプレゼントで、本を祖母から頂いたことが何度もありました。

 過去に遡れば、幼少期から「グリとグラ」や「100万回生きた猫」などの絵本から始まり、「ルドルフとイッパイアッテナ」や「名探偵夢水清志郎事件ノート」などと共に、月日をさまざまな本と共に過ごしました。
中学や高校時代も、隙あらば小説を読み、授業中にも読んでいたこともしばしば(あまり良い事ではないですが笑)。
その後、私は専門学校に通う事になるのですが、電車通学の最中や、バイトの休憩中、そして授業の空きコマなど、時間があれば小説を読んでいました。

しかし専門学校を中退した後から、今まで全く読むことは無くなってしまったのです。

読まなくなった事の言い訳を考えようと思えば、「他にやる事ができてしまった」や「本を読む時間が取れない」などと、いくつかあるかも知れませんが、ある日「あぁただ自分は本が好きではなかったのだ」と「自分は本が読みたかったわけではなくただ本を読む行為で時間を潰したかったのだ」と気づいてしまったのです。

この事に気づいた時、ものすごい喪失感と悲しみが私を覆い尽くし、そして、慙愧の念にかられたのです。
自分が、その作品を丹精込めて作った人に対し、なんて軽薄で失礼な事をしてしまっていたのだと。

今になって思えば、私は自分の事を自分で洗脳していたのだと思います。
自分は本が好きで、小説が好きな文学少年であると思い込んでいた。

よくよく考えてみれば、幼少期から「自分で本を読んでいた」のではなく「祖父母から与えられたから読んでいた」のです。
実際、私は、高校生になるまでほとんど小説や図鑑、教科書以外の本を読むことはなく、漫画は、中学二年生の時まで読んだこともありませんでした。
私は祖父母から小説を与えられ、その積み重ねが次第に「与えられたから読む」という考えから「私が本を読みたいから読んでいる」という思い込みに変貌し、二十歳になり、日常を送る中で、自分で本を読むという行為に自身で時間を割り振らなくてはいけなくなった時。
私は本を読まなくなったのです。

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