さくらまる

博士(医学)、歯科医師、一児の父。 口腔外科の専門医として、総合病院と大学にて、臨床・…

さくらまる

博士(医学)、歯科医師、一児の父。 口腔外科の専門医として、総合病院と大学にて、臨床・研究・教育に従事しています。 自身の人生を振り返りながら、より良い人生を歩んでいくことを目的にnoteを始めました。

最近の記事

少年期の回想(小学校中学年:後編)

小学校中学年後編ということで、小学校生活も折り返し地点を通過しました。 4年生の頃の記憶を辿りながら、思いつくがままに書き記していきます。 依然、体格は小さく痩せていたので、一見いじめられっ子体質のような見た目でしたが、 学力とそこそこの運動能力を武器に、確固たる地位を築いていたので、 平和な学校生活を送ることができていました。 また、この頃から世渡り術を覚えていたようで、喧嘩の強いクラスメイトを味方につけ、自身の安全保障を確立していました。 友達に意地悪はしませ

    • 少年期の回想(小学校中学年:前編)

      さて、小学校中学年前編ということで、3年生の頃の記憶を辿りながら、思いつくがままに書き記していきます。 3年生の頃、ドッジボールにハマりました! もともと、走ることと水泳や鉄棒あたりは得意な方でしたが、球技がまるでダメな人でした。 しかし、球技ができるとやはりカッコいい。。。 ドッジボールが強いと女子から羨望の眼差しを受けるわけです。 自分も上手になりたい、まずは投げ方から。。。 上手な友達に教えてもらうなど、真剣に取り組むようになりました。 とにかくこの頃は、

      • 少年期の回想(小学校低学年:後編)

        泣き虫少年が、クラスでそれなりのポジションをキープできた理由に、当時の唯一の取り柄であった勉強の出来というものがありました。 とりあえず勉強が出来れば、一目置かれますし、例えケンカもできないような弱虫でも、なんとかなるものだと。 小学生レベルであれば、意外とコスパの良い攻略法の一つかもしれません。 ただ、私は頭がキレる天才肌ではなかったし、かと言って自ら意欲的に勉強に取り組むタイプでもありませんでした。平和主義でのんびりしたタイプでしたから。 これは完全に教育熱心な母

        • 少年期の回想(小学校低学年:前編)

          平成初期のことですが、私は地元の公立小学校に進学しました。 1クラス40人弱で、3クラスあったので学年120人弱の小学校でした。 市内では高度経済成長期に住宅地として開発された地域ですので、所謂、新興住宅街と呼ぶのでしょうか?似たような家庭も多い地域だったと記憶しています。 入学式の日。よく覚えています。教室で泣いてしまったんですよね。 と言うのも、いくつかの幼稚園や保育園から集まってくる小学校なのですが、私が通っていた幼稚園の出身者はほとんどおらず、多数派によるコミ

        少年期の回想(小学校中学年:後編)

          幼児期の回想

          私は昭和50年代後半の生まれです。 出生地は、大都市近郊の地方都市といったところでしょうか。 決して都会ではないですが、かと言って田舎でもない。 電車は時刻表を確認する必要がなかったし、新幹線も身近にありました。 日常生活は地元で十分であるし、少し良いものを求めれば30分から1時間圏内で大抵のものは手に入るし経験できる。そんな地域に生まれました。 実家は所謂サラリーマン家庭でした。父親は外で働き、母親が専業主婦という、昭和後期から平成初期にかけて多く見られた核家族の一般像で

          幼児期の回想

          初投稿(自己紹介)

          30歳代後半、1児の父です。地方在住です。 博士(医学)、歯科医師。口腔外科の専門医です。現在、総合病院歯科口腔外科と大学医学部に役職を持ち、臨床・研究・教育に従事しております。 職業柄、その生活ぶりは想像され易いため、敢えて謙遜もしません。批判覚悟で述べますが、社会的地位を手に入れ、経済的にも恵まれており、欲しいものを買い、食べたいものを食べ、、、そのような生活を送っております。 と、このように書いてみると、 一見順調な人生を歩んでいるように思われがちですが、 それな

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