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少年期の回想(小学校低学年:後編)

泣き虫少年が、クラスでそれなりのポジションをキープできた理由に、当時の唯一の取り柄であった勉強の出来というものがありました。

とりあえず勉強が出来れば、一目置かれますし、例えケンカもできないような弱虫でも、なんとかなるものだと。

小学生レベルであれば、意外とコスパの良い攻略法の一つかもしれません。

ただ、私は頭がキレる天才肌ではなかったし、かと言って自ら意欲的に勉強に取り組むタイプでもありませんでした。平和主義でのんびりしたタイプでしたから。

これは完全に教育熱心な母親に管理された結果でしたね。

放課後に公園で友達と遊ぶような普通の小学生であった一方で、自宅ではかなり勉強させられていました。宿題も完全に管理されていましたし、複数のワークブックを使いながらテスト対策も万全でした。

ただ、今から考えても不思議なのは、塾には通っていませんでした。クラスでは公文式に通う子が多くいましたが、私はそれらに通うこともありませんでした。

また勉強をさせられるだけであれば、ある程度賢くはなれるでしょうし、そんなに問題ないのかもしれません。

しかし、それ以外の娯楽に対しかなり厳しく制限されていたこと。。。これは幼心に辛かったです。

私が小学校低学年の頃と言えば、任天堂からスーパーファミコンが発売された時代でした。

クラスの友達、男子の大半は持っていました。

誕生日に買ってもらえるとか、今度のテストで90点以上取ったら買ってもらえるとか。

しかし、私はどうしても買ってもらえませんでした。と言うか、即却下という感じでした。スーパーファミコンどころか、私はゲーム機の類はいっさい許されませんでした。

母親の言う通りに勉強を頑張り、学校のテストでは100点しか取って帰らないのに、なぜ自分は。。。と言う気持ちでした。

また、テレビや漫画もかなり制限されていた記憶があります。

この点に関して、私が実際に人の親となって思うこと。

それは、とてもシンプルで月並みな考えですが、極端な締め付けや親の価値観の押し付けは良くないよね、と言うことです。

任天堂でゲームを開発するような頭の良いスーパーエリート達に、小学生の我慢が勝てるはずないわけです。漫画もテレビもです。今の時代だとスマホもでしょうか?

親となった今、たしかに息子がゲーム機にハマって欲しくないという気持ちはありますが、頭ごなしにNOを叩きつけるつもりは全くありません。

何事もバランスですよね。

時間を決めてするとか、上手な使い方はいくらでもあるはずです。

もし息子にゲームが欲しいと言われたら、息子にプレゼンさせるのも良い経験になるかもしれません。なぜ欲しいのか?それだけの価値があるのか?どのように扱えば依存せず生活に支障をきたさないか?などなど。。。

過度の締め付けは、子どものストレスを溜めていくだけだと思うのです。

そして、ずる賢く抜け道を探すことに本気になるだけだと思うのです。

それでも、まだ小学校低学年の段階。
辛いと感じながらも、まだまだ普通の小学生として楽しく学校に通っていました。

さあ、いよいよ中学年、小学校3年生になります。

この中学年は、母親の管理下に置かれながらも、自身も特にスポーツにおいて頑張るようになり、比較的良い時期であったと記憶しています。

少年期(小学校中学年:全編)に続く


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