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ii. {往復書簡}「本を編む、そのさきの風景」

文=岡澤浩太郎・是恒さくら

2019年に発行された『mahora』第2号に『ありふれたくじら』シリーズの一連の活動をふりかえるエッセイを執筆しました。それから約1年が経ち、完成した『ありふれたくじら』Vol.6。『mahora』編集/発行人の岡澤浩太郎さんと、本がかたちになるまでのこと、本が届いたその先に広がる風景についてお便りを交わしました。(是恒さくら)

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岡澤浩太郎さま

先日、『Ordinary Whales / ありふれたくじら Vol.6:シネコック・インディアン・ネーション、ロングアイランド』が完成しました。早速読んでいただけたとのこと、うれしいです。
 
前号のVol.5を発行してから約2年の時が経っていました。号毎にひとつの土地を拠点にして、人と鯨の物語を集めながら綴ってきた『ありふれたくじら』は不定期の発行で、私自身、いつも完成時期を考えずに各地を旅しています。新しい一冊がかたちになるのは、「パッチワークのピースが揃った時」のような気がします。そのパッチワークは、物語の断片であり、挿絵の刺繍世界のイメージです。
 
2019年に発行された『mahora』第2号で、『ありふれたくじら』シリーズの一連の活動をふりかえる私のエッセイ「人と鯨の物語『ありふれたくじら』の4年から」を書かせていただき、活動を見つめ直しこれからの動きを準備する気持ちが高まりました。エッセイの最後に、『ありふれたくじら』Vol.6の取材をすすめていると書いていましたね。最近、『mahora』第2号を読み返していました。あのエッセイを書いたのが2019年7月のことで、ちょうど1年後の2020年7月に『ありふれたくじら Vol.6』のテキストを書き終えていたと気づきました。
 
先日、宮城県塩竈市の杉村惇美術館で、今年発行された『mahora』第3号を手に入れ、ゆっくり読ませていただきました。2020年が始まってから、新型コロナウイルスの影響で暮らしが急激に変化して、「言葉に向き合う」時間が以前より増えたように感じます。一人で過ごす時間が増えると、何かを読み・何かを書くことは、自分と世界の接点を保つ術にもなるのでしょう。
 
私もそうした日々の中で、海の向こう、北大西洋のロングアイランドで集めた声に向き合いました。おそらく今後しばらく、ロングアイランドを再訪することは難しいでしょう。すっかり遠くなってしまったあの島のことを思い出す時、最初に浮かび上がる風景は、現地で出会ったシネコックの知人たちの声とともにあります。
 
かつての先住民が森を旅した時に立ち寄った、喉を潤す清水が湧いていた場所。村の入り口を指す特徴的な岩。古い石の矢じりが見つかる浜辺。鯨がよく見つかる浜。毎年渡り鳥のミサゴが帰ってくる木。地図に載っていない、その森や岩や浜は、とても美しい場所として心に残っています。
 
『mahora』第1号の最初には、「この本には、美しいという情緒の芽生える、始まりの風景が記されています。」と書かれていますね。
 
ある土地の風景や、生き物のふるまい、自然現象を見て、人は一方的に美しさを発見するのではなく、その風景や出来事を眼差すその人自身を含めた世界を物語として俯瞰しているのだと思います。そして、その場所で語りあった言葉によって、そこから遠く離れてもその美しさを思い出すことができる。
 
『mahora』に出会えたことで、本をつくり・本を届けることに新たな力を感じながら、『ありふれたくじら』の最新号・Vol.6に取り組みました。現在のように、旅をすることや人と直接会うことが制限される状況では、本を通して伝えることはこれまで以上に力を持つのだろうと思っています。
 
この号を読んで感じたこと、印象に残った場面やエピソードなどお聞きしたいです。  

2020年9月3日
是恒さくら


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是恒さくらさま

早いものでいつの間にか8月は過ぎ、私の住む長野の小さな集落はすっかり秋めいてきました。あんなに懸命に背丈を伸ばしていた野草たちの勢いも途端に落ち着いて、毎日のように草刈りに追われた日々が懐かしくも感じられます。

往復書簡へのお誘い、どうもありがとうございます。ひとりの作家さんとじっくりお話しできる機会をいただけてとてもうれしいです。Vol.6も早速拝読しました。ある意味で積極的に捕鯨を行うことで鯨と関わろうとする人たちの側に立つことによって、人間と鯨、あるいは自然との関係が、これまでの号と相互に複層的に浮かび上がるようでとても面白く、作家としての新たな境地も感じました。

確かVol.6の構想をうかがったのは、初めて是恒さんとお会いしたとき――私が刊行する小さな本『mahora』の創刊記念イベントの会場だったと記憶しています。あのときはわざわざこのイベントのために遠方からいらしていただいたと聞き、とてもうれしかったですが、その後ご縁を重ねながら『mahora』が是恒さんの作家活動の節目に立ち会うことができたようで、喜びを感じています。

私が是恒さんの活動に興味を持ったのは、実は刺繍の作品ではなく、『ありふれたくじら』が最初でした。『mahora』の刊行前、どんな形態の本が現代という時代に相応しいかを考えていた頃に『ありふれたくじら』と出合い、まずはその佇まいに、そして各地の伝承を編みながら現代へ――そして未来へ――続く物語を紡いでいく内容と姿勢に、強く惹かれました。その後是恒さんの活動をたどるにつれ、ほかならぬ芸術行為として本をつくっていることを知り、とても感銘を受けました。

編集という行為は、さまざまな1を集めて10にも100にもすることができますが、0を1にすることは決してできません。あくまで「編んで集める」行為であり、「素材」となる何かが存在しないと成り立たないからです。私はこの事実に、編集という行為のある種の限界を、そして本をつくる身として引け目を、感じていました。

しかし是恒さんの芸術行為としての本づくりは、この限界を軽やかに超えてしまった。いやむしろ、本づくりにはもっと大切なことがあることを思い出させてくれた、と言ったほうがいいでしょうか。物語を語りなおすこと――つまり200年後、たとえ是恒さくらという作家がこの世から姿を消しても、本は、あるいは誰かが紡いだ物語は、残る、かもしれない。誰かの手に届き、読まれ、また語りなおされる、かもしれない。その可能性に賭すことが、本を編むということである、と。

芸術(art)の語源が「自然に対する人間の技術」であることは、よく知られています。この「人間」を「自分」と解釈し、短期的な合理化をはかるために時間軸をまたぐ循環や隣人とのつながりを絶ったのが近代でした。競争による市場原理は芸術も本も商品化し、「技術」とは金銭を得て生きる術であると教育しました。結果、本で言えば、現在毎日200タイトル以上の本が刊行され、市場には膨大な数の本が流通し、しかしおそらくその半数は返品・断裁・焼却され、ゴミとともに埋められています。

しかし、生きること、そしてそのための技術とは本来何なのか。芸術や本の役割とは何か。書き、読み、語りなおすことにはどんな意味があるのか――。Vol.6にはこんな一節が記されていますね。

鯨が浜に寄り、浜辺に打ちあがる。なぜ、それが起きるのか、何のためなのか。その理由を物語が教えてくれた時代が過ぎ去り、今、目の前には誰にもわからないことがある。だから、死んだ鯨を前にして、人々はそれぞれの物語を編み始めるのだろう。これまでもずっとそうだったし、これからもそうなのだろう。

人々がそれぞれの物語を編み始めるとき、眼前にはそれぞれの始まりの風景が広がっていることでしょう。そのとき人々は、生きるための技術としての芸術や本、あるいは物語を、手にしているのでしょう。それらは決して自分という存在や、いまという時代のためだけにあるのではない。遠い未来、誰かの手に渡り、語りなおされる、そのための媒体でしかないのでしょう。そんな境地に立っていらっしゃるのでしょう、『ありふれたくじら』に記された是恒さんの語りや眼差しは、とても瑞々しく、そして尊く、私には感じられるのです。

是恒さんの活動にもうひとつ重要であると感じている、「旅」や「移動すること」について触れようと思いましたが、長くなりました、ひとまず筆を置きます。それでは、お返事を楽しみにしていますね。

2020年9月10日
岡澤浩太郎


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岡澤浩太郎さま

お返事ありがとうございました。
私が住む仙台も、日に日に秋の空気が深まってきています。

「是恒さくらという作家がこの世から姿を消しても、本は、あるいは誰かが紡いだ物語は、残る、かもしれない。誰かの手に届き、読まれ、また語りなおされる、かもしれない。その可能性に賭すことが、本を編むということである、と。」

この言葉は私にとって、本と物語にどうあってほしいか、ということの理想のように思いました。
数年前、『ありふれたくじら』の創刊号を置いていただいている宮城県の海辺のカフェで、表紙のインクが掠れ、なんども開かれページを捲られた折り目のついた一冊に再会したことがあります。その様子を見たとき、とても幸せに思いました。その一冊が誰かの手に渡り、誰かの手に取られ、私の知らない時間を過ごしてきた痕跡でした。

Vol.2の執筆のため訪れた、アラスカ州ポイント・ホープの鯨猟のキャプテンが、鯨猟のことを「本をひらくようだよ」と表現していました。春の短い間にだけおこなわれる鯨猟のため、彼らが一年を通して舟の材料を備え、道具を整えていく時間は、一冊の本のように完成されている。そしてその物語は確かな経験として、鯨猟に携わる人たちの身体に綴られているのでしょう。過去や歴史の力とは、そうして個々の物語が繰り返され研ぎ澄まされていくことで宿るのかもしれません。私は本という存在、本を作ることを、そうした身体性とともにあるものとして考えているようです。

私が「くじら」を通して見る世界は、人の生きる世界やそこで流れる時間を超えて、今ここにある生活を包み込むように広がっています。はるか昔に起きた出来事も、海の向こうの物語も、自分自身の想像を超えたところで結びついていきます。

物語がほんとうに生きる場面とは、それが言葉で語られたり、読み物として保たれるときよりも、その物語を手にしたその人に共感や発見がうまれる瞬間なのでしょう。そのときから、自らのことばで物語を紡ぎはじめることができるのでしょう。本を作ることは、そうした糸口を作ることのように思います。

200年後も、私が紡いだ物語がどこかの誰かに始まりの風景をひらいていくことを楽しみに思います。

また機会がありましたら、旅や移動のこともお話ししたいですね。

2020年9月21日
是恒さくら


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是恒さくらさま

お返事をどうもありがとうございます。本や本を編むことが、身体と地続きであり、そして新しい物語が始まる糸口をつくることでもある――なんとも真っすぐで、素敵な思いが伝わってきました。

『mahora』第3号に寄稿いただいた美術家の杉戸洋さんは、「古びた喫茶店の壁にかかっているような絵を、いつか描きたい」というようなことを別のところでおっしゃっていて、是恒さんが宮城のカフェで再会した、インクが掠れて折り目のついた『ありふれたくじら』と同じ情景が浮かびました。円空が各地に残した数々の仏像もいろいろな人に触られてボロボロになっていますが、芸術とはそのように、多くの人の身体が馴染んだ時間の堆積なのでしょう。

是恒さんの活動には「旅」や「移動すること」が重要だと、前回の書簡に書きました。驚かされるのは、是恒さんの足取りの軽やかさです。東北~北海道はもとより、アラスカ・ポイントホープ、ニューヨーク・ロングアイランド――誌面を拝読するにつれ、それぞれの地でたくさんの方々と親密な時間を重ねられたことを考えると、わずか5年の軌跡とは思えません。

そうして各地に散らばる人と鯨の物語を集めて回る様は、まるで蜜蜂のようで、受粉を促していくつもの新しい物語を実らせ、少しずつ蓄えられた蜂蜜は本や刺繍の作品の形を取り、分かち合われることで周囲に紐帯が通っていく。文化人類学者の西江雅之さんは「自分の皮膚の外側はすべて異郷だ」と言いましたが、是恒さんにとって旅とは、離れた土地や人々の間に、そして世界との間に、そのような生きた紐帯を回復させる営みなのでしょう。

ところで私事ですが、この間是恒さんにお返事をお送りした数日後に、事故に遭って派手に足を骨折し、しばしの入院生活を送っています。器具で足を固定されているので身動きもままならず、窓外にいつの間にか始まった落葉を見やりながら、病室はまるで、周囲の時間や空間から切り離された孤島のようです。

そんな状況でも人間は想像力をめぐらせることができる、というよりむしろ、想像力はよりたくましくなる、ということがよくわかりました。「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」とは松尾芭蕉の辞世の句ですが、病床に臥しても夢だけは縦横に旅をし続ける、し続けたい、という思いは、私はまだ死なないにせよ(苦笑)、とても共感できます。

新型コロナウイルスの影響で移動が制限されても、人々は新たな紐帯を求めることも、想像力を働かせることも、止むことはありません。むしろかえって、その媒介者である本や芸術がもっと大切に、もっと親密に感じられる時代が来る気さえしています。先住民族の知恵のように、何世代にもわたって語り継がれる本や芸術の持つ強さが、見直される時代が。

そして200年後、どこかの寂れた古書店の一角で、日に焼けて手垢にまみれた『ありふれたくじら』と『mahora』が一緒に並んでいたら、とても微笑ましいですね。そんな風景を心待ちにしながら、お互いに歩んでいきましょう。これからもご活躍を楽しみにしております。

2020年9月28日
岡澤浩太郎


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{プロフィール}
岡澤浩太郎
1977年生まれ。編集者、ブックレーベル・八燿堂主宰。『スタジオ・ボイス』編集部などを経て2009年よりフリー。18年、『mahora』を創刊し編集/発行人を務める。19年、東京から長野に移住。興味=藝術の起源、森との生活。個人の仕事 =『murmur magazine for men』、芸術祭のガイドブックなどの編集、『花椿』などへの寄稿。

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