「障害」ってなんだろう②

前回の記事からずいぶん間があいてしまいました。
梅雨が長引いたせいか、なんだか7月中は体がだるくなってしまって。ハー、もうダメだ―、と思って、必要な事務仕事をなんとかやってる感じでした。いやはや、こんな調子でnoteは無事継続できるでしょうか(笑)
いえいえ、頑張っていきたいと思います。
心の中でもやもや考えていることを、ちゃんと書き残していきたいと思います。
さて、そんなわけで改めて、前回の続きで、「障害ってなんなんだろう」という話を書きたいと思います。

制度的には線引きは必要なのだろうけれど…

「障害者でない人」を「健常者」以外の言葉で表せないのか、というところから、そもそも障害者かどうかはどう線引きをするのか、もっといえば線引きをすることに何の意味があるのだろうか、ということを前回書きました。

線引きすることに積極的な意味があるとすれば、それは福祉制度を使うときにあると思います。「私はヘルパーを使えるのか」「私は福祉の通所施設に通えるのかどうか」ということを制度として決めていくということです。
公費を投入する以上、一定の合理性が必要だから、人の生活の困り具合に基準を設けて、この程度であればこのくらい、と明確にしていくのが障害者手帳や障害支援区分の認定、高齢者の場合だと要介護認定の役割だといえるのでしょう。

制度を使うか使わないかだけではなく、制度の中でもさらに線引きがある

例えば、障害のある人が通所する「生活介護」という事業は、「常に介護を必要とする人」が対象になっていて、具体的には障害支援区分が3以上などの基準が定められています。(詳細はこちら
この基準に当てはまらない障害者が通所事業を利用したい場合には、生活介護は対象にならず、以前に書いた就労継続支援事業所などが通所場所となります。

また、高齢者でいえば、2015年の介護保険の改定で、特別養護老人ホームに入所できるのは要介護3以上が基本になりました。

このように、障害支援区分や要介護認定を受けているかどうかで「福祉制度を使えるか使えないか」の線引きがされたうえで、福祉制度の中でも「どの程度の状態の人ならこの事業を利用できるか」という線引きがさらになされているというわけです。
正直言ってこれって、当事者にとってはとても分かりづらいし使いにくいのでは…。

線引きって難しい①認知症のAさんとBさん、どっちが大変?

制度的に公平性を担保するために、一定の線引きが必要だとしても、それは本人の視点に立った時に果たして使いやすいのだろうかという問題が残ると私は思います。「この人の障害よりあの人の障害のほうが重い」という線引きはそう簡単ではないと思うからです。
例えば、認知症の人を想定してみましょう。
【Aさんの場合】
Aさんは、60代と年齢的にもまだ若く、身体的にはとても元気だが認知に課題が生じてきた。
約束を忘れてしまったり、仕事が思うように運ばなかったり、以前より怒りっぽくなることが多くて、友人知人とトラブルを起こして孤立しがちになってきている。
でもそのことをAさん本人も家族もなかなか認めづらい状況にある。
(あるいはまだ若いので、「ひょっとして認知症かも」という可能性を想定していない。)
だから、いつもなんだかイライラした生活になってしまっている。

【Bさんの場合】
90代で、認知症の症状が出るようになってからもう長い。
80代後半からは身体的にも衰えが見られ、今は要介護4と認定されている。
トイレやお風呂の介助に物理的な負担が大きいので、できるだけたくさんヘルパーやデイサービスを利用して家族の負担を軽減するか、特別養護老人ホーム等の入所を検討したほうが良いのではとケアマネから提案されている。

みなさんは、このお2人の生活の、どっちが大変だと決めることができますか?
要介護度でいえば、Aさんは認定を受けていないので自立。もし認定を受けても身の回りのことがある程度自分でできていれば、要支援くらいでしょうか?
このあと、Aさんが要介護認定を受けたとして、例えば「ヘルパーに来てもらうのは恥ずかしい気持ちがあるから、全部家族にやってほしい」「デイサービスは自分の親世代が来ていて話が合わないから行きたくない」といったことが生じてくれば、介護負担はすべて家族が担うという課題も生じてきます。
一方でBさんは要介護4だから、要介護認定という基準でいえばBさんのほうが大変ということになります。
もちろんBさんは認知症と身体的な介護の必要性の両方があるので、やはり生活の中での大変さはあるでしょう。
でも、どっちのほうがより大変、という線引きはできないと思うのです。

線引きって難しい②知的障害のあるCさんと特に障害があるとはいわれていないDさん、どっちが大変?

障害のある人の場合でも考えてみましょう。
【Cさんの場合】
知的障害のあるCさんは、こどもの頃から療育を受け、特別支援学校に通いました。在学中、卒業後の進路を考えて色々な通所施設を見学、実習をして、ここだったらやりがいをもって働けそうだという事業所を見つけました。そして、卒業してからは毎日、その事業所に通っています。Cさんのお仕事のペースはゆっくりだけど、きちんと決まった日に通うことに誇りを持っています。

【Dさんの場合】
こどもの頃から親からも先生からも「そんなこともできないのか」と叱られてばかりで、級友からも排除されることも多くありました。
めげずにがんばって学校を卒業し、就職したものの、人間関係がうまくいかないことも多く、つらい思いをしてきました。相談先を紹介してくれる人もいるけれど、信用していいのかどうかと思ってしまいます。

CさんとDさんはどちらが大変だと決められるでしょうか。
障害者手帳や区分でいえば、Cさんは手帳を持っていますが、Dさんは何も福祉につながっていないので、Cさんのほうが大変、ということになります。でもそういう線引きは正しいのでしょうか。
Dさんは、本当は「うまくできない」というときに必要だったサポートにつながらなかっただけかもしれません。本当は、福祉的なサポートが必要な人かもしれません。

障害ってなんだろう…

線引きをして、重く出ている人のほうが軽く出ている人より大変だ、ということは一概に言えない…。
うーん、考えるほど、「障害があるかないかの違いって、なんなんだろう」ともやもやは募るばかりですね。私も毎日考えているこの課題、答えが出ないこのモヤッとした状態で今日の投稿は終わろうかと思います(^^;

サポートが必要な人に対して制度的サポートを漏らさないためには一定の線引きが必要だとして、ひょっとしてその線引きのしかたが医学モデルに偏りがちなのではないか―
つまり、線引きが、本人の心身の機能的な障害に対する評価という側面に偏りすぎているのではないか。
もっと、本人と家族や社会との関係性の中で生じる困難さ(例えば制度を利用するのは恥ずかしい、という気持ちとか、他人を信用できないという気持ちなど…)にも着目した基準を考えるべきなのではないか。
また、実際の大変さがあるかどうかと、福祉を使えているかどうかは必ずしも一致しない(福祉制度を使うかどうかは本人や家族の申請によるから)ということの課題
…ということは、今日この記事を書きながら感じたところではあります。

簡単に答えが出るものではないと思うので、この「障害ってなに?」というテーマは、今後もときどき取り上げていきたいと思います。

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