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仕事へのモチベーションが上がらないのは、やる気がないからではない

「最近の若い子は、頑張る意欲がない」
「最近の若い子は、周りの仕事が終わってなくてもすぐに帰る」
「最近の若い子は、ギリギリに出勤してきてやる気がない」
「最近の若い子は、調べないですぐに答えを知ろうとする」

そういう愚痴を、あなたは聞いたことはありませんか?
そういう愚痴を、あなたが言ったことはありませんか?

これは実際に私が、今の若い世代に対して見聞きした意見です。

では、なぜ私たちが若い世代に対してそう感じるのか、考えたことはあるでしょうか?

私はずっと、考えていました。

なぜ若い世代と私たちは、こんなにも考え方が違うのだろう?と。


「私たちの若い頃は…」

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近年、看護師教育は新人看護職員研修制度が制定され、制度にのっとり新人看護師を1年かけて育て上げるという環境が整いつつあります。

医療にかかわらずどこの職種・職場でも、新人はすぐに実践投入ではなく、ゆっくり育てるという環境が根付きつつあるのかもしれませんね。

そんな中、医療現場で聞いたことがあるようなセリフが、以下のものです。

「今の新人はいいよね、ゆっくりちゃんと教えてもらえてさ。私たちの若い頃は、全部見て覚えて、マニュアルなんてなかったんだから。少しくらい苦労しないと、覚えられないじゃないの?

この、自分が経験してきた苦労を相手にもさせたいという共感性と、苦労すれば多くの物を得られるという個人の価値観が、今の若い世代を苦しめています。

いうなれば、自動洗濯機が登場した昭和の時代に、

「洗濯を機械に任せるなんて、ちゃんと洗えてないんじゃないの?」
「家事という物は、洗濯板で洗ってこそ、家族への愛情が産まれるものよ」

などと言ってるようなものです(その当時、そのような意見があったかどうかは存じ上げませんが)


「今時の若い世代は…」という愚痴は古くから言われている

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諸説あり、出どころ不明なものも多数ありますが、古くはピラミッドを建設していた古代エジプトの時代から「今時の若いもんは…」という愚痴が書かれていたという説まであるほど、若い世代批判というものは昔からあるようです。

つまりある程度年を重ねると、若い世代に対して物申したい文化というのは、ずーーーーーっと昔からあるというわけ。面白いですよね。

人々は、今まで様々な文明を発展させてきました。
特にここ近年、IT分野の発展は目覚ましく、検索すれば治療法も、手術の手順も、医療機器の添付文章まで、ありとあらゆるものが閲覧できるようになりました。

それも本当に、ここ数年の話です。私が就職した10数年前は、ぐぐってもそんなに有益な情報を得ることはできませんでした。

「とにかく、ちゃんとした本で調べなさい」

そう教えられてきた私は、図書館に行き、調べてもわからず、でも聞いても教えてくれず、途方に暮れた日々を過ごしました。

そういう「インターネットで調べても、正しい情報は出てこない」という経験をしてきている世代は、令和の時代の今でも同じことを新人に言うわけです。

「ちゃんと本で調べなさい」

よく言われているのが、今の若い世代はインターネットの情報だけで満足していてしまい、ちゃんとしたエビデンスを理解していないというようなものです。

確かにそうとも言えますが、そうではないとも言えます。

「今の若い世代は」と言っているような世代の方々は、インターネットの取り扱いについて良くわかっていないから、本に載っていることが絶対的な正義であり、インターネットは悪であると決めつけている節があると私は感じています。

ようは、時代の最先端に追従できていない人々が「今の若い世代は…」と愚痴を言っているのではないか?と私は推測しました。

時代と共に、人は変わります。
時代と共に、教育も変えていかねばなりません。


世代によって、価値観が違うことを認識する

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先ほども述べたように、人は時代と共に変わります。

仕事に対する熱意や、人生に対する位置づけなんかも、次第と変わっていくのは当たり前のことでしょう。

非医療職で良く取り上げられているのが「定時で帰る新人」は悪か正義かという話です。

他の人がまだ働いていても手伝ったりはせず、自分の仕事が終わってさえすれば、自分は定時で退社する。

それがいいのか悪いのかという話なのですが、皆さんはどう思いますか?

きっと世代によって、以下のような意見が出てくるのではないでしょうか。

自分の仕事が終わっていれば帰っていいと思う。
みんなが早く帰れるように手伝うべきだと思う。
手伝うのが決まりなら手伝うべきだと思う。
帰っていいですか?と一言聞いてから帰るべきだと思う。

今の若い世代と接していて強く感じるのが、「決まりならやるけれど、決まりではないのにやらなかったら怒られるのは納得がいかない」というものです。この他にも、「教えられていないのに、やっていないと怒られたのは納得がいかない」というものもあります。

これが少し上の世代になると、「決まりだとは知らなかったが、確かに少し考えてみれば自分がやるべきだった」とか「教えられていないけれども、知らなければ疑問に思った時点で誰かに聞けばよかった」という自分が悪かったという反省調の意見が聞かれます。

定時で退社するのがいいのか悪いのかという話でも、「手伝うのが決まりならやるが、そうでなければ退社するのが良い」と考えるのが今の世代で、「その場の雰囲気を読んで、みんなで気持ちよく退社できるのが良い」と考えるのが上の世代です。

世代間の違いにより、今の若い世代が「決まりだとは知りませんでした」と答えると、上の世代はこう感じます。

「生意気だ」
「全然反省していない」
「少しは謝ったらどうなの?」

しかし、この「決まりだとは知りませんでした」という発言は、反省していないとか、自己中心的だからとか、そういうことではありません。

世代ごとに価値観が、違うのです。

価値観の重きを置く場所が微妙に違うから、今の世代はわがままだとか、やる気がないとか、そういう誤った捉え方をするのです。


今の世代は人によって仕事の価値観が異なる

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私は先に述べたような今の世代の傾向はわかっていても、何故そういう発想に至るのかの理由を理解できずにいました。

そんな折、先日読んだ本に、その理解の道しるべがあったので紹介します。

出世するため、お金のため、モテるため、美味しい食事やワインをたのしむために、人生まるまる仕事に捧げる上司を見て、「自分はこうはなれない」「自分はこうなりたくない」と思ったことはないでしょうか。

やる気がないわけではないけれど、そんな上司のようなモチベーションは自分にはない。かといって、何のためなら頑張れるか、分からない。
そんなことを思ったことはないですか。

実は、「なんのために頑張るか」という働くための価値観、つまりモチベーションが、ある世代を境に大きく変わってきています。

団塊世代より10年以上もの上の彼らは、(中略)ないものを、いかに埋めるか、それが最大のモチベーションだったのです。

しかし、時代は大きくうつり、今の30代以下は団塊世代以上とは全く異なる価値観を持っています。

生まれたころからすでに何もかもが揃っていたので、物や地位などを欲して頑張ることはない。

埋めるべき空白が、そもそもないのです。

そう、あなたは生まれたときから「ないもの」がない。だから何かが欲しいと「乾けない」。
だからあなたの世代のことを、「乾けない世代」と呼ぶことができます。

「モチベーション革命/尾原和啓 著」の「はじめに」より引用

そう、今の若い世代は「乾けない世代」なのです。

あれが欲しい、これが欲しい。
買ってもらえなかったあれを買いたい。
出世してえらくなりたい。
人々にあがめられるような存在になりたい。

そういうモチベーションが無い世代が、今の若い世代です。
地位とか名誉とか、そういうことにあまり意味を感じないのです。

では、この「乾けない世代」のモチベーションとは、どこにあるのでしょうか。


「上の世代」が頑張れた理由

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上の世代、つまり「乾いている世代」が頑張れた理由というのは、自分が頑張れば地位と名誉、財産、そして何よりも自分が頑張ることによって、社会が、会社が、未来が変わるという原動力です。

何もないところから、何かを作り出すという原動力が、乾いている世代にはありました。

私の感覚で言うと、就職した当時は「乾いている世代」でしたが、徐々に「乾けない世代」の価値観に近くなってきたような気がします。

医療業界は社会から取り残されている風潮があります。

「なんでこんな事平成の時代にやっているの?」
「このマニュアルは、何年前から改定されていないのですか?」
「なんで私がこんなパワハラ教育を受け続けなければならないの?」

私には、「この腐った職場を変えなければならない」という社会(職場)を、未来を変えたいという原動力がありました。

また実家がそこまで裕福な家庭でもなかったことから、とりわけ「自分の買いたいものを自分のお金で買いたい」「稼ぎたい」という金銭的渇望もありました。

しかし時代が変わり、人も変わり、教育も変えることができ、職場環境も劇的に改善されてきた今、私の感覚は「乾けない世代」に近くなってきました。

今いる職場での改善したいことが、だんだんなくなってきたのです。


「乾けない世代」が「乾きのない職場」に置かれるとどうなるか

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私は若い世代がパワハラを受けることなく、伸び伸びと自由に成長するための地盤固めを行ってきました。

新人看護師が睡眠時間を削って自己学習をしなくても良い環境を作ったことにより、逆を言えば新人看護師は自分で何かを突き詰める、調べる、疑問を解決するという機会が劇的に減りました。

その結果、今の新人職員はほぼ全てが整備されている環境下に置かれています。すべてが整っている、つまり職場内での「乾き」が無い状態です。

「乾けない世代」が、職場でも「乾き」の無い状況に置かれるとどうなると思いますか?

自己成長を続ける人現状維持を貫く人の2パターンに分かれていきます。

(わかりやすく言えば、Twitter等で良く論争になっている「意識高い系」と「意識低い系」のことです)

「自己成長を続ける人」は、学習の楽しさや、資格取得やジェネラリスト、スペシャリストを目指すことが原動力になっている人です。

「現状維持を貫く人」は、人生における価値観の重きが仕事以外の別の場所にある人です。

「乾けない世代」が「乾きのない職場」の中で、自己成長をするかしないかは、仕事に対する価値観によって異なってきます。

ですから、現状維持組に「もっと勉強しなさい」とか「資格を取りなさい」とか言うと、「そんなことして何の得になるのか?」「必要最低限の仕事はこなしています」という至極真っ当な意見が出てくるでしょう。


仕事へのモチベーションは、人さまざまで良い

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自己成長を続ける人が偉いとか、現状維持を貫く人がだめとか、そういう意味ではありません。それぞれが役割発揮をしていく中で、組織という物は上手く回っていくものです。

職場の人の全ての人が自己成長を続ける人だと、お互いに正しいと思う意見がぶつかり合って、先に進まないこともあります。

全ての人が、意識高い系である必要はどこにもないのです。

でも、現状維持はの中には「どうして私はこんなにも仕事に対するモチベーションが上がらないのだろう?」と悩んでいる人もいます。

私の心が貧弱だからなのではないか
私が怠慢なだけではないか
結局やる気がないだけなのかも…

そう思っている方の為に、「乾けない世代」のモチベーションとは何かを書く予定でしたが、とても長くなってしまったので次回に繰り越します。

さくらこ

Twitter:@sakurako_ope
site:看護師指導の基本となるもの

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