わたしの3.11
偽善的な言葉が嫌い。
8月6日の「黙祷🥺」ツイートとか「ツイートせずに黙祷してろ😡」なんて世界一どうでもいい議論とか。
3月11日が3.11になった日
中学生くらいだった。あたたかいリビングでうたた寝をしていたわたしは、当時住んでいた広島が揺れたのかどうかすら覚えていない。
テレビが悲惨な状況を映し出していて、それを見た母は大号泣し、わたしはどこか遠い国のことみたく微睡んでいた。
それからの毎日は最悪で、テレビニュースはおなじ映像の繰り返し、母は毎日テレビを見ては涙を流し、CMは知層とぽぽぽぽーんの繰り返し。
毎日泣く母や繰り返されるテレビにうんざりして「もう見るのやめようよ」と言った覚えがある。
その頃好きだったバンド、ねごとがCMに起用されていたけれど、結局あまり放送されないまま移り変わってしまった。
しばらくして、原発問題が起こった。
「あなたたちは原爆や核兵器には向き合うのに、東北の人たちはどうでもいいの?」なんて言われたこともあったっけ。
手の届く範囲が世界のすべて
とは暴論かもしれないけどわたしの持論だ。
戦争や世界平和、遠い国の貧しい子ども、原爆犠牲者に全員が心を砕くことがむずかしいように、3.11はわたしにとって規模が大きくて、ぼんやりとしていてよくわからない、そういうものだった。
震災から10年。
東京に出てきてから東北出身の友人や、当時東京にいた友人たちから話を聞いたことがある。
改めて聞くと、自分だけが別世界を生きていた気がするし、申し訳ない気持ちにすらなる(そんなことは絶対にないのだけれど)。遠かった出来事も、友達や知り合いを通すことで解像度が上がるのだ。
それでも、こういう大きくてたいへんな出来事を他人事と位置付けるのは、嘘みたいなホントも、ホントみたいな嘘も、それに振り回される人たちも、それを見る自分も、うさんくさくてうんざりしているからだ。
渦中に飛び込んでも飛び込まなくても変わらない現実への無力感に、自分の日常が振り回されたくないからだ。
断っておくと決してどうでもいいわけではないです。
3.11から過ぎた10年は、復興には足りなくてもわたしを大人にするには充分だった。
心を真剣に砕くには遠すぎて、大きくて、今夜のご飯は何を食べようとか、明日の仕事の段取りがウェイト重めになってしまう日々を過ごしていても、どうでもいいわけではないと、今なら思う。
毎日死んだ人間のことをingで思っていられないように、毎日震災のことを考えることはできない。それでも今日はすこしだけ思い出して、心を寄せたいと思う。
偽善的な主張はしたくない。
そういうのはのれんに腕押しぬかにくぎ。わたしは被災してないから、忘れないだとか絆だとか、そういう言葉は軽々しく口にできないししない。
薄情だと言われても、心の伴ってない同情の方が最低だと思うから。
手の届く範囲に手繰り寄せられる日が今日。
うさんくさいのが嫌いなわたしの、3.11について。
被災したすべての方々にお見舞い申し上げます。
かなしみとくるしみが、一瞬でも薄まる日々でありますように。
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