“ありのまま“ ”自分らしく”にモヤっとする
カミングアウトしたら自分らしく生きられる?
ありのままの自分
自分らしく生きる
LGBTQ+のカミングアウトをこういった言葉とともに紹介することがあります。ときに、望む性で生きることに対して「よかったね」と祝福することもあります。
私はかつて、この言葉に違和感を口にする当事者を目の当たりすることがありました。本来の自分として生きられるというのに、なぜ違和感を訴えるのだろう?と不思議に感じていました。少なくとも、望んでいたことではないの?と。
しかし、いざ自分が送られる側になって、初めてその言葉のなんとも言えない違和感を痛感しました。
名前を変えたくはあったけれど…
それを感じたのは戸籍上の名前を変えるため、実名でやっているSNSのアカウントの名前をカミングアウトとともに変更したときでした。
※戸籍上の変更を変えるためには通称名の使用実績が必要になるため、まず手頃に変えられるインターネット上の名前から変更したのです。
「ありのまま、自分らしく生きられるようになってよかったですね」といったコメントをいただいたのです。
たしかに、子供の頃から嫌で仕方がなかった女性らしい名前を変えられたのは間違いなく嬉しいことです。
しかし、それが「自分らしいか?」「ありのままの自分か?」と問われれば、全くそんなことはありません。
そもそも、せっかく家族に付けてもらった名前を変えるのは抵抗がありましたし、単に女性的だから嫌なだけで、30年以上使ってきた名前に愛着も誇りもありました。
名前は「男性として角が立たない」を大事に
あくまでも男性的な名前になることが最重要だったので、私は下記のポイントで名前を絞り込みました。
母音が同じなど旧名と語感が変わらないこと
漢字、音が男性的な印象になること
同じ名前を名乗る男性がいること
女性が名乗っても違和感がないこと
以上4点を大事にしました。
「なぜ女性が名乗っても違和感がないこと」を条件にしたのは、私は女性として男性と結婚していて、戸籍上女性だからです。「ゲンタ」とか「シロウ」など、明らかに男性にしか付けられない名前では、身分確認や、夫と行動する際、女性的な印象がないと、生活に支障がでると考えたのです。
これらの条件に当てはまるものはそう多くはありませんでした。元の名前は姓名判断でいい画数だったのですが、考えた名前は姓名判断が悪かったのですが、そこは気持ちの問題と割り切り、諦めました。
そんな「男性として角が立たない」の一点で、いわば消去法で付けた名前が、どれだけ「ありのまま」で「自分らしい」のか?
複雑な気持ちになったのです。
服選びも「男性的に見える」最優先
服や小物選びも同様です。「この色は、女性的に見える」「このフォルムを男性が身に着けて違和感ないか」ということをまず真っ先に考えます。これは、自分の性別のアイデンティティが男性と気づくよりずっと昔、それこそ幼稚園の頃からの習慣でした。どんなにいいと思っても、女性的に見られると諦めることもあります。
もちろん、どんなに女性的なものでも、欲しくて仕方ないことはあります。そういう時は「今は男性だって選ぶ」「デザイン性がいいから」と、自分が女だから選んだのではないのだと、自分に言い聞かせるのです。
自分らしさや自分が好きなものは、常に二の次なのです。
しかし、男性として扱われるようになって、徐々に開放されつつあるかもしれません。とはいえ、まだまだ男性的なものを選びがちです。
自分の外見に自信を持てるようになれば、自分らしい自分を見つけられるかもしれません。
「自分らしく」もなにも、まだまだスタートラインで地ならしをしている状態です。
LGBTQ+を自分らしさの代名詞のように扱われるのは、まるで男性だらけの政治家が「女性の活躍」を謳うようなものなのかなと思います。
だから何をしてくれというわけではないのですけどね。そんなことを感じる人も世の中にいると知ってもらえたら嬉しいです。