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どんな人生も肯定して生きるには

どうしていつも今だけを見て生きられないのだろう。ついつい考えるのは過去のこと。あの時、AではなくBを選んでいたら、、全ては選択の延長線上にある以上、過去には意味がなく、その時その瞬間のベストを選んで誰だって生きている。勿論、軽はずみな選択や時代の問題、様々な外的要因によって振り回されることはあるだろう。でもその結果選んだ選択が、いや選ばなければならなかった選択が生きる道だったのだ。そのはずなのだが、、

少なくとも現代の日本に産まれたこと、これ以上の幸福があるだろうか?ミサイルは飛んでこない。地雷も埋まっていない。食べ物は豊富にあり、誰にでも平等に四季が訪れる。

生きるとは本来とても大変なこと。それは生物をみていれば良く分かる。人間はいつの間にか発達してしまった科学の力の元、生きることは楽なのでは?と考えてしまった。発達してしまった、という表現はどうなのだろう?科学とはそこにある現象そのもの。一度証明されれば絶対の力を持ってしまう。その科学が必要か?といった議論は、どうしても行われない。要らないという選択はなされない。。つまり発展とはある意味選択の上に成り立つ世界でない。与えられてしまった世界。

寿命を延ばす研究、薬、より早く移動出来る手段により楽しいエンタメ。それら最新技術を手に入れるためには莫大なエネルギーがいる。何かとんでもない間違えた方向へ行ってはいないのか?本当にこのままの発展し続ける世界を自分の子供も含めた次世代に渡してよいのか?

どんな人生も肯定して生きるには、科学のより一層の発展は必要なのか?GDPは増え続けないといけないのか?5Gの先にすでに6Gの世界があるらしい。本当に必要なのか?

環境のことを第一に考えるのであれば電気自動車を作ることではなく、今すぐ車の販売を止めること。経済規模を小さくすること。でないかな?これはとっても勇気のいる選択。

人生の肯定には覚悟が必要です。生きることはとても大変であると心の底から感じることです。そしてその気持ちを常に持って、生き続けること。腹を決めること。これから行う、また行われる選択が誰かひとりの為でなく、世界のみんなにとっての良い選択であることを心から望みます。その為には自分が行う小さな毎日の選択にもしっかりと責任を持つ。

自分の子供の横顔を見るとき、こんなことばかり考えてしまいます。


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