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子育て

なかなか必要年収の計算に移れない。それは今自分が考えていることが正しいとは限らないから。つまりそれによって必要経費が変わってくる。今我が家には中学1年のお姉ちゃんと小学5年生の弟がいる。もういわゆる思春期に入っており、お互いに必要なのは介入し過ぎないこと。親離れ、子離れ、、

それぞれにもう一人の立派な人間だし好きなこと、得意なこと、休日の時間の過ごし方から寝る時間まで全てに自分のペースがある。こうなってくると親が出来ることは子供が話しかけてきたとき、また反応を求められたときに一生懸命、真摯に受け答えをすることぐらいだろう。こちらから何かを与えよう等とはもう考えてはいけない。育ってきた心のコントロールなど絶対出来ないのだから、、

でもこれが難しい。例えば進学。塾へ行く?通信教育を受ける?これらの質問は親の立場からすればついつい聞いてしまう。勿論それが将来の役に立つであろうと思うから。あくまで予想。でもこれらを決めるのは彼ら自身であることをきちんと納得しなければならい。その判断が出来る年齢であると信じてあげなければ。

多様性という言葉を聞くようになり久しいが、皆が大学に行くような空気感があるのは多様性とう言葉とは対極にある。大学は学者を目指す人、勉強や資格取得など目的がある人が行く処。人生の選択への執行猶予期間とも言えるが、それは働きながら考えても大丈夫。どのタイミングで最良の決定をしたつもりでも、それが翌日には最悪になるケースなど社会には山のようにある。

親としてこの学費が持つプレッシャーはとても大きい。そのために命を削って生活していると言っても過言ではない。親は子供にやりたいことをやりなさいと言うだろう。でもその自分は出来ているのか?何か間違った、うまく言えないが間違った大きな流れの中でグルグルと生きてきてしまったように思うのだ。

勉強をしたいと思えるタイミングは完全に人それぞれ、むしろ社会人になってからの方が明らかに「今勉強したいかも、、」って思える瞬間が多いのではないかな?そのタイミングで大学に行かれるような社会になるといいよね。

僕は大学に行きました。だから一応経験者です。そうしたうえで言えることは大学に行く費用を親が持つという文化を止めませんか?ということ。それにより実社会で働く親の負担は減り、希望と余裕を持って生活出来、そしてそこから生まれる新たなエネルギーは計り知れないと。それこそ多様性はもっと進み、様々な価値観を持った人が様々な発信をし、それが次世代の子供達への刺激や希望に繋がる。そんな社会になったら。

まぁ、もうそんな風に生きている人も沢山いるんでしょうね。僕はまだまだ古い人間、、でもそこを壊すのってやはり大変。ずっと鎖に繋がれていた犬は鎖が離れても遠くには行かない。少しづつ移動できる半径を広げいつか自由を知る。一歩一歩だね。

子育てとは自分を育てることに他ならない。本来的には自分に出来ること、出来たことしか子には伝えられないはずだから。だから自分の心の鎖を解こう。少しづつ自分の行ける場所を広げよう。農業から自給自足へ。その一歩を踏み出しました。


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