マガジンのカバー画像

重文の茶室

32
国の重要文化財に指定されている茶室を集めました!
運営しているクリエイター

#伝統文化

霞床席(京都大徳寺 玉林院)

「霞床席(かすみどこせき)」 京都大徳寺の玉林院にある茶室。 寛保2(1742)年、大坂の豪商・…

5

燈心亭(水無瀬神宮茶室)

「燈心亭(とうしんてい)」 水無瀬神宮は大阪府の北東、京都府との境に近い三島郡にあります。…

5

露滴庵(広島県尾道市 浄土寺)

「露滴庵(ろてきあん)」 広島県尾道市の浄土寺に現存。 寺伝によると、元は京都の伏見城内に…

6

春草廬(横浜三溪園)

「春草廬(しゅんそうろ)」 神奈川県横浜市の三溪園にある茶室。 三溪園に移築前は京都宇治の…

11

湘南亭(京都西芳寺 苔寺)

「湘南亭(しょうなんてい)」 京都西芳寺にある茶室。 西芳寺は「苔寺」の名で知られる洛西の…

7

清香軒(金沢兼六園 成巽閣)

「清香軒(せいこうけん)」 石川県金沢市の兼六園にある成巽閣(せいそんかく)内の茶室。 成巽…

10

澱看席(京都 西翁院)

「澱看席(よどみのせき)」 京都の金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)の塔頭、西翁院にある茶室。 利休の孫の宗旦に師事した茶人、藤村庸軒(ふじむらようけん・1613~1699年)の作と伝えられています。 造立時期は、寺伝では貞享2~3(1685~86)年とされていますが、明らかとはなっていません。寺伝のとおりだとすると、藤村庸軒の晩年の作ということになります。 茶室の正面にはやや大きく開けた躙口と上には横長の連子窓、その上部には「澱看」の板額が掲げられています。 内部

八窓軒(京都曼殊院の草庵茶室)

「八窓軒(はっそうけん)」 京都三名席(他は大徳寺孤篷庵の忘筌(ぼうせん)と南禅寺金地院の八…

15

又隠(京都裏千家の四畳半)

「又隠(ゆういん)」 「又隠れる」と書いて「又隠」 つくったのは利休の孫の宗旦で、二度目の…

10

今日庵(京都裏千家の茶室)

「今日庵(こんにちあん)」 京都の裏千家に現存。 又隠(ゆういん)とともに裏千家の中心をなす…

12

表千家祖堂(点雪堂)

「祖堂(そどう)」 三千家には、いずれも千家の祖である利休の像を祀る利休堂(祖堂)がありま…

慈光院茶室(相伴席付き二畳台目席)

「慈光院茶室」 奈良の寺院で慈光院にある、二畳台目に二畳の相伴席がついた茶室。 武家の…

伏見稲荷大社 御茶屋(一の間)

「御茶屋(おちゃや)」 後水尾院より拝領したと伝わる数寄屋風書院で、京都の伏見稲荷大社に…

山雲床(大徳寺孤篷庵の茶室)

「山雲床(さんうんじょう)」 大徳寺孤篷庵の茶室。 小堀遠州のつくったものと伝わる大徳寺龍光院の密庵(国宝茶室)の写しで、寛政5年(1793年)の火事の後、近衛家と松平不昧公の援助を受けて新たに計画建設されたものです。そして、当時の和尚は松平不昧公に助言を求めたと伝わります。 主室である六畳の書院である直入軒の北側に建てられ、これは焼失前の間取りとは変わっているそうです。 不昧公は古典の茶室を深く尊重しながらも自由奔放な着想も試みるという姿勢を貫いており、そうした