短編小説 | 月が話した物語
山にのぼったんだよ。
そしたらね、月が大きく出ていたんだ。
あの月は、僕がそこにいることを知っているような風だった。
じーっと僕のことを見ているんだ。
「やっと来たのか。久しぶりじゃないか。」
と言わんばかりにね。
僕はそこで腰を下ろしてみたよ。
大きな月がそこにあるんだ。
そこを通り過ぎるわけにはいかないだろう。
ぼーっとその月を見ていたらね、少しずつ声が聞こえてきたんだ。
あれは多分、月の声だと思うよ。
「僕のことをじっと見ているのは今、君だけだよ」って。
そうやって月が言ったんだ。
僕のことをおかしいと思うだろう。
でもこれは本当なんだよ。
月がね、少しずつ僕に話しかけてきたんだ。
月もびっくりしたみたいでね。
「え、僕の声聞こえるの?」
という風に僕に確かめてくるんだよ。
「ああ、聞こえるよ。」
と言うと、
嬉しそうに喜ぶんだ。
どうやら、月の声が聞こえる人は少ないらしい。
月は、話し相手が欲しかったんだね。
いろんなことを僕に教えてくれた。
明日は昼から雨になるよ、とか
その木にはリスが住んでいるとか、
時々雲に隠れてずる休みをしているんだ、とかね。
月もずる休みしたくなるんだね、と言うと、
さすがに毎日は大変だからね、と言ってきたよ。
確かに毎日は大変だよね、なんてことを話しながら、なんだかおかしくなってしまってね。
それから月は、昔一緒におしゃべりをしたという、一人の女性のことを教えてくれた。
その人は、ほっそりとしていて、肌が白くて、風が吹いたら吹き飛ばされてしまうようなか弱い雰囲気を持っていたそうだ。
その人は夜の散歩が好きだったらしい。
みんなが寝静まったころに、彼女は綺麗な服を着て外を散歩していたんだって。
並木道をゆっくり歩きながら、夜の星を見上げていたんだ。
時々湖の水に触れて、指の間からゆっくり水をまた湖へと戻していたそうだよ。
その日も、その女の人は湖の水を手で触れていたんだ。
すると、湖に映る月を見て、ふと上を見上げてみた。
そうして、月をじっと見ながら、こう言ったんだ。
「私の声、聞こえてる?」って。
すると、月はこう答えた。
「うん、聞こえているよ。」と。
それから、月と女の人の会話が始まったんだよ。
女の人は、決まってみんなが寝静まった夜中にやってきた。
それに、いつも綺麗なドレスを着てきたんだ。
寝巻きではなかった。
真っ白なドレスを着ることもあれば、ラベンダー色のドレスを着ることもあった。
「今日もきれいだね。」と月が言うと、女の人はとても喜んで、
「ありがとう。私、この色がとっても好きなの。踊りだってできるのよ。」
と言って、とても優雅に踊ったんだ。
手の指先にまで意識を向けて、綺麗にくるんと回ったかと思うと、今度は反対方向にも回ってみせた。
そうして、女の人は美しいドレスを着ながら、誰もいない並木道で月が見る中踊ったんだって。
お城の中で、女の人がどのような生活をしていたのか、月はわからなかった。
女の人も自分のことをあまり語らなかったからね。
でも、王様が決めた男性と結婚することが決まった頃、女の人はまた真夜中にやってきて、月にこっそり教えてくれたんだ。
「今度、お父様が決めた相手と結婚するのよ。とても優しい人だとお父様は言っていたわ。」と。
しばらく自分の足元を見た後で、女の人はこう付け加えた。
「あなたにだけは話すのだけど、私、一度でいいから恋をしてみたかったの。好きな人と踊るのって、一体どんな感じなのかしら。一人で踊るのも楽しいけど、好きな人と一度でいいから踊ってみたかったわ。」ってね。
女の人はそれから王様が決めた相手と結婚し、無事出産もした。
夜の散歩はなくなったけど、ときどき窓から顔を出して、月にニコって微笑みかけたり、坊やを腕に抱きながら、月を眺めることもあったそうだよ。
女の人はあまり長生きすることはできなかったけど、坊やを立派な青年に育て上げたんだ。
やがて、丘の上に女の人のお墓が建てられて、そこには綺麗な花が供えられた。
女の人の一生は、とても一瞬の出来事のように思われたけど、月はそのお城を見るたびに、女の人を思い出すんだって。
月は高いところからいろいろな人間を見てきた。
これまでに、たくさんの人間たちを見てきたけど、彼女より綺麗な人は見たことないと言っていたよ。
月ははっきりとは言わなかったけど、本当はその人のことを好きだったんだ。
遠くから、綺麗なドレスを着たその人を見ることしかできなかったけど、「恋をしたい」と女の人が言った時、月はとても苦しくなったと言っていたからね。
これが、僕が聞いた、月とお姫様のお話だよ。
これまでは、月とお姫様しか知らなかった物語さ。
月はやっと、誰かにこの話をすることができたんだ。
*
「ねえ、今日の私、何かが違うと思わない?」
女の人は、月に向かってそう尋ねました。
「え、何が違うのかな。ちょっと待ってね、今考えるから。」
月は慌てていつもと違うところを探してみました。
「あ、わかった。髪の毛を切ったのかな?」
「違うわよ。髪の毛は切ってないわ。他にわからない?」
「ううん。難しいな。お化粧を変えた?」
「いいえ。違うわ。私のこと、ちっともわかっていないのね。」
と女の人はわざとそっぽ向くようなふりをして、月が慌てるところを笑いを堪えながら見ていました。
月は、女の人が好きでした。
女の人と一度でいいから踊ってみたいな。
そう思いながら、女の人の踊りをいつも眺めていたのです。
*
彼女の名前はエリザベス。
お城に住んでいて、夜の散歩が好きだった。
僕だけが見る中で、彼女は綺麗なドレスを着ながら踊ったんだ。
エリザベスって、とても良い名前だろう?
月のおしゃべりは止まりません。
エリザベスのことを思い出しながら、月は山を登ってきた男の人に、いつまでもエリザベスのことを話しました。
月とエリザベスの恋の物語。
あまり知られていないけど、本当の話なんですよ。
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