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レオリオみたいな医者はいません!ドイツで産婦人科医になったわけ。【前編】


#この仕事を選んだわけ  


「センセイは、なぜ医師になったのですか?なぜ●●科を選んだんですか?」


2006年春に晴れて医学生になり…かれこれ15年間以上。

私はありとあらゆる医師たちに、時にさりげなく、時に単刀直入にこの質問を投げかけてきました。


今回のテーマ『#この仕事を選んだわけ』を、平均1日1回として、365回×15年間=5475人、、、ざっくり5500人位の同業者に質問してきたわけです。


(※注 日本の医療現場の文化で、医師同士は、『先生』と呼び合うことが一般的です。目上の医師に対してもセンセイ。後輩など目下の医師に対してもセンセイ。)


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今回は、

1.私が15年以上も、こんな奇妙な質問を続けている理由 -大学受験の失敗-

`2.5500人にアンケートをとってわかった、医師たちの正直な『#この仕事を選んだわけ』-コミュ障の私でもドイツで医師を続けられているのはこの答えを知ったおかげです。

3.最後に、どうして私が産婦人科医を選んだのかについて、

語っていきたいと思います。

この記事は長いので、数回に分けます。

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1.私が15年以上も、#この仕事を選んだわけ を医師たちに質問し続ける理由 -大学受験の失敗-


医師になる人たちは、なにか崇高な目的があると、世の中のほとんどの人が思っていらっしゃると思います。

『心臓の手術を受けた幼馴染がいて、その子が病気を乗り越えていく過程を傍で寄り添ってみてきた経験から、命や医療の素晴らしさを知って心臓外科医を志しました!』とか。

『僕が中学生のとき、祖父がすい臓がんで抗がん剤の治療を受けました。祖父は残念ながら亡くなってしまいましたが、担当してくれた消化器内科医の先生がとても親身に治療にあたってくれた事に心が動き、自分も消化器内科医を目指しました!』とか。

『父が、●●科医で、毎日遅くまで働いている父の背中を見るうちに…(ここに幾つか感動的なエピソードが入る)、自分も自然と父のような地域医療を支える、患者さんたちに寄り添うような親しみのある医師を目指すようになっていました。』


もう、ここだけの話。

これは建前です。

5500人の日本人やドイツ人医師に15年以上かけて確認してきた、今の私だから言えます。


こういう、ハンター×ハンターのレオリオみたいな、間近な人の病気や死をきっかけに崇高な志を持って医師になられたり、赤ひげセンセイみたいに医療に人生をささげる医師の親御さん等に感化されて自分も医師になった先生は、残念ながら、まず、いません。

大事なことなので、もう一度言います。

ほとんどの場合、こういうキレイな志望理由は、結局建前なのです。


レオリオみたいに、『俺の目的は医者になって金を稼ぐことだ』とか、汚れ役的なセリフを言いながら、本質は人情味あふれる人物であり、医師を目指した動機は友人の病死をキッカケに純粋に人の命を救いたいから、という漫画のような人は私はまだ本当の意味で会えたことがありません。

本音と建て前が逆のパターン、いわば『逆レオリオ』医師たちは、数えきれないほど見てきましたが。


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HUNTER×HUNTER 冨樫義博 第一巻より。レオリオ

最初は崇高な理由じゃなかったけど、今は最前線のきつい医療現場で働いていたり、結果的に多くの人を救っていたりして感謝されている、それが生きがいだったり毎日のモチベーション、という先生も沢山いますが、動機が、つまり医師という仕事を選んだわけが、純粋に人の命を救いたいからという崇高な人って突き詰めて聞いてみるといないんです。

断言してもいい。


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2000年代に入ってから、医学部受験に面接がどんどん取り入れられるようになりました。

わたしは、自慢ではありませんが、大学受験の際、国立医学部を2年連続面接試験で滑ったことがあります。


勉強の点数で落ちたのならともかく、面接で落ちるって、なんだか

『お ま え は 医 師 に な る 資 格 が な い 』

と、医学教育のプロ集団(と当時思っていた)医学部教授、しかも複数名に烙印を押されたのと同義なので、

その時は、それはそれは落ち込みました。


失恋の非ではないくらいショックでした。

『お前、俺の好みじゃねえから。』『俺、彼女いるから。』

とか、言われて数カ月落ち込むレベルじゃあないんです。


憧れている職業があって、そのために子供のころから何年も努力してきて、

受験本番でも合格点数は取れたのに、

たった10分足らずの面接であったばかりのおじさん、おばさんに、

『医者になる資格がない』と不合格にされたら、泣きます。

『教授よ、あんたは私の何をわかっているんだ?』と当時は恨み節たっぷりに思いました。

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とっくに成人している大学3-4年生ですら、就活で面接官に言われた一言二言で病んだりするのに、親や高校以外の世界をよく知らない未成年を捕まえて、大人が圧迫面接をかけてしどろもどろにして不合格にして、何年もの努力を一瞬でパーにされたら病み病みレベルマックスでしょう。

特に国立大学の医学部の場合、1年間に前期後期試験の2回しか受験チャンスないですからね。会社のようにいくつも併行で受験出来ないし、浪人すると翌年の面接で往々にして不利になるので、落ちた時の絶望レベルは半端じゃない。面接で不合格にされやすい女子は特に。



私は、日本の大学医学部の入試における面接試験は廃止してもいいと思っている派です。当時の私みたいな17-8歳のこどもを捕まえて、将来の医師としてのコミュニケーション能力や素質を見抜くなんて教授にとっても無理ゲーのはずです。

アメリカやドイツのように医学部卒業のとき、つまり医師国家試験を受けるときに面接を課せばいいのではないでしょうか。

6年間もある医学部生活、実習などを通じて患者さんやスタッフとのコミュニケーション能力を鍛えさせるのは、医学教育者でもある教授の仕事なのではないでしょうか。

そもそも、入学した人のほとんど全員が、成績が悪かろうか、実習でふざけた態度をとろうが卒業して医師になれてしまう日本の医学部教育システムには改善の余地がおおいにあると思います。

私は欧米のやり方を褒めたたえて『だから日本はだめだ』という結論を出す人を好まない派ですが、これについては、例外。


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話が逸れてしまいました。ごめんなさい。

本題『#この仕事を選んだわけ を私が聞き続ける理由 -大学入試での失敗』に戻りましょう。


幸い、面接試験がない、学科試験一発勝負の地方国立医学部に後期試験で滑りこめたため、こうして一人の医師としてnoteを書ける今があるわけですが(母校に感謝)、その時、疑問に思ったことがありました。


「あなたはどうして医師になりたいのですか?」

「どんな医師になりたいのですか?」

「将来何科の医師になりたいのですか?」


。。。。。。。合格した子たちは、いったい、なんて答えたんだろう?


医学部面接で必ずと言っても過言ではないほど必ず聞かれる、この質問。

当時の私の回答は、

15年以上が経った今、

思い返してみても、

不評でした。 それは、もう、誰が見ても明らかなくらい。

私自身、今PCに向かってこの文章を書いていて恥ずかしくなる位ひどい面接でした。


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1年目の国立医学部受験。

埼玉県にある難関医学部に正規合格、つまり上位約70名に入って合格していた、私はあろうことか大胆にも、

東京大学理科三類を受験しました。

不合格でした。成績が足りなかったので当然ですが。


問題はここからです。


後期試験は、別の東京の国立医学部を受験しました。

学生が学生を教える、上級生が下級生を教えることを通じて医学を学ぶという瓦式の医学教育が魅力的に聞こえたのと(私は後輩や年下の子に勉強を教えるのが大好きです)、海外留学に力を入れているというのに惹かれました。

お茶の水駅前という便利な立地と授業料の安さが、東京でキラキラした大学生活を送りたかった私には魅力でした。(ここが本音!)

センター試験の成績がかなり良かったので、『あとは面接と小論文だけでいけそう』と、合格濃厚なセンターリサーチの結果をお守り代わりに握りしめて受験。得意の小論文はまずまず。


結果は、、、不合格でした。

自分でも、即撃沈したことはわかっていました。

面接は、5対1の典型的な圧迫面接で、

当時17歳女子高生できわめてコミュ障だった私は、

人生の酸いも甘いも知る中高年のおじさん教授5人に囲まれて、

圧迫されてしまっては、うまく切り抜けることは出来ませんでした。


『併願の医学部にすでに合格してるのだったら、なんでうちを受験しにきたのか説明しろ』、とか、『前期試験はどこを受けたの?。。。そうだよね~東大はいりたいよね~。ウチも滑り止めだよね~』とか、

『やっぱり東京(の医学部)だから受験しにきただけなんでしょ。』と開始早々口々に圧迫されて、

ただただ、泣きそうでした。


そして、不合格の決定打となったのが、今回のテーマにかかわる質問、

「どんな医師になりたいのか?」「あなたの目指す医師像は?」

だったのです。


私は、この面接試験の前年にドラマが大流行していた、『白い巨塔』を例に挙げて、

「里美先生のような、患者さんのために本当の意味で寄り添う医師」

と答えました。


このnoteを読んでくださっている方は、ご存じの方も多いと思いますが、

『白い巨塔』とは、架空の組織、浪花大学医学部を舞台に、医学界の腐敗や悪質をこれでもかと描き切った山崎豊子さん原作の壮大な物語シリーズです。舞台が1960年代の日本の医学部なのと、なによりフィクションなので、現代とはかみ合わない部分も若干ありますが、医学部という特殊な組織の中で巻き起こる人の妬みや陰謀、その時どんな人がどう動くかといった本質をついた群像劇は時代を超えた名作。

登場人物の里美脩二(さとみ しゅうじ)先生は、正義感が強く、医療訴訟を起こした患者さんや家族に寄り添い、医療事故をもみ消そうとしていた教授陣に不利になる言動をした結果、物語終盤では浪花大学医学部内科助教授の座を左遷されてしまう医師です。



私は、本当に愚かなことをしました。

この医師像を『憧れ』とするとは、目の前に5人並んで座っている教授陣に喧嘩を売っていると解釈されてもおかしくない。。。


圧迫されていて極度の緊張状態だったとはいえ、当時17歳のこどもだった私でも

『やっちゃった。。。。』と冷や汗を流しました。


五人そろって、『はっはっは』と教授陣に笑われました。

その口を大きくあけて目が笑っていない人工的な笑いがとっても怖かったので、今でも覚えています。



今でも思います。なんで、こんな事を言ってしまったのか。

もしかしたら、『この面接官たち、おかしい』『なんやこの圧迫は!白い巨塔まんまやん…』という、私の無意識がとっさに、教授=白い巨塔=悪と結びついて『私は里美先生のような医師像を目指す』と失言、いや心の声が出てしまったのかもしれません。


とにもかくにも、当然のように1年目の面接は敗戦しました。


結局はその埼玉県の医大に進学し、色々思うところがあって数日で退学してしまいました。これは『なんかいでも人生やり直ししていいんだよ』というような別テーマとしてのちにnoteでまとめられたらいいなと思っています。


後半へ続きます。

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