#エッセイ|2月9日 鶴瓶さんの日
今年から始めた「ほぼ日」。
一日ごとにあるページの下に、
いろんな人のいろんな話が、ちょこっと載っている。
その文章が自分の知らない世界を見せてくれる。
今日2月9日は、笑福亭鶴瓶さんの言葉だった。
ふくよかな恵比須顔が頭に浮かび、
そのまっすぐな言葉が、
「もっと読みたい」という気持ちにさせた。
全6話の構成でつづられている2人の会話。
鶴瓶さんのこれまでの生き方や考え方についての対談で、
「真剣さ」と「ユーモア」が絶妙な配合で、読み手に流れ込んでくる。
関西出身の私にとって、
なじみのある関西弁で語られる鶴瓶さんの話は、
テンポよく流れるように読み進められる。
『家族に乾杯』で一般の方の家に行った時の話。
20人しか入らない小さな部屋で行われる『無学の会』の話。
自分のやりたいことだけをやってきた話。
言葉を選ばずに表現するなら、
「やりたいことだけをやってきた」人間なのに、
こうも惹きつけられてしまうのは、なぜだろうか。
鶴瓶さんの話を読むに、
会社の言う通りではなく、やりたいことをやっている。
だから一生懸命になれるし腹も括れる。
ということだと思う。
至極真っ当な意見で、当たり前といえば当たり前。
でもそれができずに、日々悩んでしまうのが人間だ。
私だって鶴瓶さんみたいに生きたい。
「好きなことをやって生きたい。」
でもお金や周囲の目を気にして、そうできない自分。
それを正当化したい気持ちもある。
でもやっぱり心の中の自分自身は、嫌だと叫んでいる。
自分の外と中に挟まれている自分。
「ああ、息苦しいなあ。」
そんな中で自分を貫き通し、やりたいことをやっている。
それでいてちゃんと生きている。
人に尊敬される存在にもなっている。
ある意味、鶴瓶さんはアイドルなのかもしれない。
「ロールモデル」とも言えるかもしれないが、
何にせよ「こうなりたい」を実現している存在は、輝かしく目に映る。
でも、鶴瓶さんから学ぶべきはそこなのだろうか?
きっと、鶴瓶さんが「鶴瓶さん」になるまでには、
「とんでもない苦労」があるのだろう。
「とんでもない苦労」と言葉にすれば短いが、
私でも経験したことのある「思うように結果が出ない」、
「人に怒られた・嫌われた」といった苦労もあるだろうし、
それ以上の苦労もあったと思う。
その苦労は表には出てこない。
だからこそキラキラ輝くアイドルになるのだろう。
ただここで「苦労してきた人」と捉えてしまえば、
単に「大変そう」という感想になってしまうが、
つまりは「挑戦してきた」ということでもある。
鶴瓶さんから学ぶべきはそこだと思う。
「やりたいことをやってきた」は、
「自分が好きなことをやってきた」でもあるが、
「挑戦してきた」の集合体でもある。
行動し挑戦しつづけてきた人だからこそ、
人を惹きつける「鶴瓶さん」になっている。
「成功している人」ではなく、
「挑戦しつづけてきた人」なのだ。
ここに重きを置いて、この対談を読んでみると、
また違った味が出てくると思う。
もし鶴瓶さんに会うことができて、
「やりたいことで生きていきたい、でもできない」という
自分の悩みを相談できたとしたら、
「やったらええがな!」と言ってくれる気がする。
そうだ。
やりたいことを見つけて、行動に移すしかないのだ。
お金や周りの目を気にしているなら、
気にならない方法を見つければいい。
方法の問題だけで、
「やる/やらない」の問題ではないのかもしれない。
方法が決まらないから「やらない」を選択して、
いつの間にか「やれない」に変換している気がする。
思い立ったが吉日。
やってみたいと思いながら、
腰が重く、面倒くささが勝ってしまっていたことに、
今日少し手を着けてみた。
「うん。楽しい。」
このわくわくする気持ちは、
鶴瓶さんのおかげで得られたもの。
ありがとう鶴瓶さん。
来年の2月9日は、
「行動して人生を変えた自分」になっているといいな。
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