家族の問題に共通するもの
杉山春さんの『児童虐待から考える ー社会は家族に何を強いてきたか』を読んだ。
途中まで読んで,児童虐待を起こしてしまう親の心象が,どこか不登校の親に似ていると思った。
決して,不登校の親が児童虐待をしてしまうという意味ではない。
一人で抱え込みがちなところや,それが行き過ぎると破綻してしまうところだ。
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この本で取り上げられている親は,いずれも生真面目すぎるほどの子育てをしてきた。
子どもを保育園に入れることをあきらめ,誰にも助けを求めず,仕事量も変えなかった父親。
離乳食や育児サークルの活動にも熱心だったが,離婚後に実家へ援助を求めず接客業をしていた母親。
客観的に見て,一人で抱え込んでどうにかなると思えない状況なのだが,それを背負い込んで破綻するのだ。
子どもが学校へ行かなくなった親も、。
親だけで抱え込んでしまう。
誰かに話すだけでいい。
「うちの子,宿題やらなくて困るの」と言うのと同じレベルで,「うちの子,最近学校に行っていなくて」と話したら「ああ,うちも」「あるよね」と話せたら。
そのくらい気軽に話せたらいいのに。
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そんなことを思っている私だが,本当に渦中にいると、話せないものだ。
複数の困難が重なっていたとき、そのことを人に話したら「一人で抱え込んでいますよ」と指摘された。
過酷な環境に置かれていると,その状況の過酷さに本人は気づかなかったり,状況に振り回されて誰かに助けを求めることさえ忘れてしまう。
言葉にしたくても、綿がのどにつまったような。
でも、誰かに話して,抱えた荷物を下ろすだけで,自分の状況を客観的に見ることができるのだけど。
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ちなみに,杉山さんもお子さんが不登校だったことがある。お子さんの不登校についてテレビ番組でざっくばらんに話されていた。そしてその経験をご自身の仕事に生かされていることに,私は勇気づけられた。
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