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「書く」ということへの憧れ。

 思えば、小学校のころから作文というものがどうも苦手でした。


 夏休みになると必ず私の前に立ちはだかる「読書感想文」という壁も、
私にとってはひどく分厚く、高い壁でした。

とはいえ、文章を書くこと自体が嫌いなわけではないのです。
ただ、自分の心を、見えない感情を、うまく言葉として表せないことに、
ただただ、ヤキモキしていたのです。

読書をした後に、胸の中に残っているトキメキや
まるで自分が主人公になったのではないか、というぐらいに胸の中を渦巻く感情も、
いざペンを持つと、確かにさっきまで存在したその気持ちが、
ふっとどこかへ飛んでいってしまう。

言葉にしようとすればするほど、
自分の心の奥底で湧き出る感情と、実際に言葉で表すことのできる
自分の表現力のギャップに悩まされるのでした。


 「私の○○」とか「○○を見て感じたこと」とか、
そういう作文や感想文も、得意ではありませんでした。

なぜなら、それらはあまりにもの私の心を丸裸にしてしまうからです。
感じたことをそのままに著わした文章を読まれると言うことは、
私にとって、心の内を覗き見されるのと同じことでした。

それがどうにも恥ずかしくて仕方なくて、
いつも文章に仮面をかぶせて、見られても恥ずかしくないように
当たり障りのないことばかりを書くようになりました。


 受験生の時に何度も書いた「小論文」も、結局得意になることはありませんでした。
これは作文とは、少し違うのですけれども、
私の文章には、どうも一貫性と説得力が欠けているようで、
何度挑戦してみても、自分で納得できる仕上がりになることはありませんでした。


そんな私がなぜ、今ここで文章を綴っているかと言いますと

ひとえにそれは、
「書く」ことへの憧れを捨てきれないから ということに尽きるのです。

つい先日、私はある文章に魅了されました。
その文章は、私の尊敬する友人の書いたものだったのですが
それはそれは自分でも驚くほど、何度もなんども読み返し、
自分でその文章を反芻して、夢中になってその文章と向き合っていました。

それと同時に、自分もこんな風に言葉を巧みに用いて表現することができたなら、そして自分の書いた文章が、誰かにとってよい影響を与えるきっかけになっていたら、どれだけ素敵なことだろう、そう思いました。

「書く」ことは好きです。
ですが、私の綴る文章はまだまだ拙い部分が多いのです。

だからこそ、少しずつ少しずつ、
自分の心を言葉にする練習を
自分の言葉を誰かに届ける試みを
ここで実践してみたいと思うのです。

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