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信長はどのような風貌だったのか
私は織田信長が好きで、趣味で彼についての研究書を読みます。
今回はその中で面白いなと思った研究をひとつシェアいたします。
その研究とは、洋泉社の『信長研究の最前線②』に収録されている藤本正行さんの論文「信長の顔・姿は、どこまで本物に近いのか」。
タイトルの通り、信長画像を分析することで、現代で描かれがちなイメージ上の信長ではない実像を解明しようとする試みです。
筆者は信長没後10年以内(つまり生前の彼の容姿を知っている人が健在だった時期)に描かれたと思われる、史料になりうる画像をいくつか取り上げ、そこから容姿の共通性を見出しています。
「長興寺本」の信長像
まずは信長画像として最も有名な長興寺の画像です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122576675/picture_pc_e615a3b29cc07af22c56bad2e8cc2361.png?width=800)
「天正十一年六月二日」の年記があり、本能寺の変から1年後にあたります。
こちらの画像から筆者は次のような特徴を取り出しています。
長興寺本の信長は、面長な顔、エラの張った顎、大きな鼻、はっきりした目、鼻の下と顎の髭、眉間の縦皺が目立つ。
信長のキリッとしたイメージは、この画像が肩の線が直線的な肩衣姿で描かれていることにも起因するそうです。
信長の束帯像
次は信長の容貌を立体的に伝える史料です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122578955/picture_pc_e22e343c30d021a83e3e0d9a2846a985.png?width=800)
等身大の木像には「天正十一年五月」の銘がある。
その容貌は眉をひそめたいささか緊張感のあるもので、フロイスの「憂鬱な面影を有し」という評を思い出させる。長興寺本などの信頼できる画像のそれと共通性がある。
確かに長興寺の画像と比べてみると、面長なところや鼻が大きいところなどが見出せますね。
ここで言及されているフロイスの評とは、信長と面会したこともある宣教師ルイス・フロイスが著した『日本史』に出てくる信長の外観や性格についての記載のことです。
「彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、髭は少なくはなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。(中略)非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんどまったく家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。(中略)彼は少しく憂鬱な面影を有し、(松田殻一・川崎桃太訳『日本史』)
この他にもフロイスは、信長が普段酒を飲まず、食も節していたこと等を記しています。
木像の信長は高位の公家が着る束帯姿で描かれています。
信長は生前に正二位を朝廷から贈られているので、公家の姿で描かれてもおかしくありません。
束帯姿のもので好例なのが、神戸市立博物館の信長画像です。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122577002/picture_pc_9686f9a5c996ffc8d224432c7cb435a1.png?width=800)
容貌は鼻が大きく、目がはっきりしており、鼻下に髭をたくわえるなど、信長の特徴がよく現れているが、長興寺本のような眉間の縦皺はなく、その分、穏やかな印象がある。
「大徳寺本」の信長像
次はこちらの画像。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122576878/picture_pc_0a37bda57a8a7cefa937680c6d23df57.png?width=800)
天正十二年五月の年記
狩野永徳は安土城の内装を任された絵師として、信長をある程度親しく観察できたでしょう。
信長と面識があり絵師としての力量もあった永徳に注文があって、画像を描いたとしても不思議はありません。
大徳寺本の信長の容貌は、面長、鼻が大きく、鼻下に髭があり、眉間にも縦皺がある。月代を広くとっているのは、長興寺本のそれと同じだが、大徳寺のそれは薄くなった髪を射実的に描いている。
「報恩寺本」の信長画像
最後はこちらの画像。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/122577885/picture_pc_8f9612347e0c0f5fd347a45c3e697acf.png?width=800)
面長で大きな鼻と広い額、心持ち垂れ目、鼻下に髭をたくわえたところなどは、長興寺本や大徳寺本に共通する。ただし、右頬と鼻の上にホクロがある。
こちらの画像からは「垂れ目」と「ホクロ」について新たに言及されています。
長興寺のものと大徳寺のものを見返してみると、確かに心持ち垂れ目な印象を受けますね。
ホクロもはっきり書かれているようです。
加えて面白いのが以下の解明。
また長興寺本の髭の先端が自然に延びているのに対し、報恩寺本のそれは、先端を上にピンとはねあげる、いわゆるカイゼル髭に近い。これは単なる絵空事ではないらしい。
というのも、大徳寺本には表面から見られる顔の裏面に異なった顔が描かれていて、その顔の髭は端がはねあがっているのだ。信長の髭は、端がはねあがっている時と、それほどでもない時があったらしい。
まとめ
以上の画像と木像から得られた特徴を総括してみるなら、
「面長、大きな鼻、広い額、眉間の縦皺、心持ち垂れ目、鼻下の髭、右頬と鼻の上のホクロ」
といった感じでしょうか。
ホクロ以外は特に共通していると思います。
信長の実像研究、個人的にはとても面白い研究でした!
『信長研究の最前線』はこれまでに①②の2冊が新書として出版されていましたが、2020年には①が文庫化されたものも出ています。
俗説とはまた違った研究者の見解を味わえる刺激的な内容で、信長ファンの方におすすめいたします!
お読みいただきありがとうございました🌸
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