古本屋での出会いが人生に明るい未来を投影するなんて
街角の古本屋が好きだ。店先には長方形の木箱に文庫本が敷き詰められていて、近づいて見てみると翻訳物と小さく書かれていた。
その中にハンニバル(上)が入っていて、(下)があるなら読んでみようかなあ…と思って店内へ足を踏み入れた。
目の前に見上げるほどの木の本棚があって、1番上は脚立がないとまず届かないような高さだった。
一体この棚は何の種類の棚なんだろう…。目の前にはアンデルセン童話が並び、その隣にはグリム童話が並んでいた。そこだけ見ると童話の棚のように見えるけど、そのさらに隣には小難しい哲学っぽいタイトルが並び、どう見ても童話には見えないものだった。
お目当てのハンニバルはすぐに見つけることができた。
棚の1番左端の下から2番目に小さく収まっていた。娘は私の胸で寝ていて、この子を抱えながら猟奇殺人鬼の話なんて読めるだろうか?と疑問が掠める。
というか、ハンニバルにしようと思ったのは“有名どころだから”であって読みたいからじゃない。せっかく古本屋に入ったのだから、ここならではのものを探そうじゃないか。
棚を隅から隅へ目視して、娘の靴が棚に当たらないように細心の注意を払いながら狭い店内を移動する。私は背中にリュックを担いでいるものだから、少しでも動くと後ろの棚に激突してしまいそうだった。それでも何とかもうひとつ奥の棚へ移動すると、そこにはマンガが所狭しと並んでいた。
私はマンガが好きだけど、今じゃないな…と思って元の棚へ戻る。シェイクスピア、ゲーテ、殺人の哲学…どれも魅力的だけどなんか違う。
アンデルセンの絵のない絵本を3度手にとったけど、これもなんか違う。今じゃない。
視線だけを忙しく移動させているうちに一冊の本が目に入った。『アーユルヴェーダの知恵』だ。
数年前に足ツボセラピストだった私は、東洋医学に興味があり、いつかはちゃんと勉強してみたいものだと思っていた。
心身の健康に関心の高い今、こういった本を読んでみるのも良いかも。と購入を決意した。
アーユルヴェーダとは、インドに伝わる伝承医学のことだ。私のアーユルヴェーダのイメージは、額にオイルを流してマッサージをするものだったが、本書を読んでそのイメージは少し崩れた。
アーユルヴェーダのオイルマッサージは、治療の一環であってその全てではないようだ。西洋医学でいう診察にあたる、脈診というものをして体の状態を測り、ハーブや食事・ヨーガと瞑想などその人の体質などに合わせてそれぞれの治療を行なっていくものだった。
西洋医学が病気を治すための医学なら、アーユルヴェーダはもともと備わっている自然治癒力を引き出す(時にはその力で病気を治す)医学なのだそうだ。
アーユルヴェーダには、病気になっていない状態にも段階があって、完成された健康を目指すのが目的とされている。西洋医学のような“病気でなければ健康”という考え方とは一線を画すものがある。
私はこの本を読みながら、体が興奮していくのがわかった。心臓がドキドキと高鳴り、目の前がスッキリと鮮明になっていくのを感じた。私に必要なのはアーユルヴェーダの実践だ!と。
特に31ページの物質から精神へ、身体から心への章には心躍るものがあった。
双極性障害は、障害という名前がつきながらも病気ではなく体質に近いらしい。つまり完治することはなく、一生付き合っていかなければならない。そしてほとんどの場合、一生薬を飲まなければならないと言われているらしい。
でも、体質なら薬を飲まなければならないなんて不自然じゃないか?と思っていた私は、アーユルヴェーダによってその時々の過ごし方や意識の持ち方を学べば、薬を飲まなくても生きていけるようになるかもしれない!むしろ、イキイキと生きる方法がわかるかもしれない!と確信めいた思いを抱いたのであった。
古本屋に入った時、反射的にハンニバルを買わなくて良かった。自分の直感に従えば心躍るような本に出会えるものなのだ。
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