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西川らむさんの魂のひかり

もともとアトピー体質で、肌がカサカサしていた。ひどくなるとおでこや手の甲、ひじの内側がぶつぶつと赤くなって、皮膚がむけてしまう。湿疹がでて、おさまってを繰り返すと、肌はだんだんと瑞々しさを失いゾウさんのようにゴワゴワとしてくる。

そんな私は24歳の時に、卵巣を一つ失い、髪の毛も抜けて、生えてこなくなってしまった。

あなたなら、どうする?

これから、楽しいことがたくさん待っているはずの20代半ばに

女性としての美しさ、象徴である、肌、卵巣、髪の毛を失ったとき

あなたなら、どんな思いをし、どんな未来の選択をして、その後の人生を生きるだろうか?


西川らむになるまで


そこそこ田舎だけど、それなりに街も発展している、栃木県の宇都宮で育った。

父と母と二人の弟がいた。

父は仕事が忙しくて、あまり家にいなかった。

母は私を大切に育ててくれたけど、その分心配性だった。

背筋を伸ばして、お茶碗持って、ちゃんと食べるのよ。

たくさん食べないと丈夫にならないから、残しちゃだめよ。

お箸もちゃんと持って。

その服じゃ寒いからこの服を着なさい。

下着も長袖にした?

一事が万事、やることなすことに全て母親は自分の意見を押し付けた。


ちょっと、うるさい。

私は、だんだんと母の言葉を聞き流し、自分の意思を強固に持つようになった。

母はそんな私を嘆くように、他の誰かの子どもと私を比較した。

私は目立った活躍はしないけれど、こう、と決めたらそこへ向かって突き進むような女の子だった。

いつしか「この子には何を言っても無駄だわ」と母親は私に何か言うことを諦めてしまった。


進学する高校は制服で決めた。世の中がルーズソックスを履いた女子高生であふれていたので、紺のハイソックスにブレザーの制服が逆に可愛く見えた。

みんなお化粧をして、おしゃれを楽しんでいるけれど、私はアトピーだから何もできなかった。なにしろ風が吹いてもかゆいのだ。自分の肌はみにくい、と思っていた。私もみんなみたいに、人並みにおしゃれを楽しみたかった。

おしゃれを楽しむ代わりに私がしたことは、通信で美容師の資格を取ることだった。3年間勉強すると美容師の資格がとれる。高校の勉強と、美容師の勉強の2本立ての高校生活だった。

親にとってみれば、コントロールが効かない私が悪い道を歩まずに、美容の勉強をすることに、ホッとしたのかもしれない。何の反対もせず、学費を出してくれた。

高校を卒業と同時に宇都宮の美容室に見習いとして入った。

自分のやりたいことに向かって、猪突猛進したわけだ。

そこでも、アトピーが私の未来を阻んだ。

水仕事や肌への刺激物が多くて、手荒れがいかんともしがたいくらいにひどくなってしまったのだ。3年目で限界がきた。

美容室を退職したけれど、美容に関係する仕事には就きたかった。

東京にいるおじいちゃんの家に住まわせてもらって今度はエステやマッサージの専門学校で学ぶことにした。

マッサージなどを学んだ私は、東京のエステサロンで働いた。

彼氏もできた。


サロンの仕事は、お昼過ぎから始まる。私は二度寝の後に、8時か9時に起きる。ミネラルウォーターをコップについで、バナナやシリアルを食べる。職場に着いた私は、予約したお客様に、マッサージをしたり、機械の光をあてたり、その間に、それとなくノルマを課せられているお勧めのコースを紹介したり。途中の休憩では、ツナマヨや昆布のおにぎりを食べる。

エステ業界は閉店後が長い。

マッサージの練習をしたり、新しいコースの契約をとるためのミーティングがあったりした。

23時に帰宅。

帰る途中で同僚と食事をすますときもあるが、もともと食に興味がない私は生活の中で食事をとることの優先順位が低い。何かを食べたいと思う気持ちもわかないし、いろいろなことに集中してしまうと食事をとることを忘れてしまう。

やばくなってくると、体がサインを出す。

ガタガタと急に体が震えてきたら、食べなくちゃ、と思ってジャムアンドマーガリンのコッペパンを食べてミネラルウォーターで口の中を潤す。

シャワーを浴びて眠くなったら寝て、翌朝目覚ましで起こされるも二度寝する。

こんな生活を繰り返していた。

色どりあふれたキラキラした生活だったか、というとそうでもなく、

心が貧しくなっていき、

ちょっとしたことでストレスが溜まるようになった。

東京で働く人の生活なんて、こんなものかもしれない。


彼氏と同棲を始めた。

赤の他人と初めて生活を共にした。日本語が堪能な中国人の彼氏だ。

一緒にいると楽しく、疲れを癒し、労わってくれる。

中華料理も作ってくれる。

ただ、物の扱い方、しまい方、トイレや浴室の使い方、床についたシミを汚れと思うか、放置するか、寝つきが良いか悪いか、目覚めが良いか悪いか、お金の管理。

小さなことだけれど、ちょっとしたときに顕在化する、お互いが生きてきた生活文化の違いを、どうすり合わせていけば良いのかがわからなかった。

彼氏との生活にもストレスを感じるようになっていた。


そんなころ、痛くはないのだけれど、下腹部が張っていることに気付いた。お腹じゃない。子宮のあたりだ。

産婦人科の病院で見てもらったら、総合病院を紹介された。

総合病院で見てもらったら、予約が取れ次第、オペをすることが決まった。

卵巣嚢腫。2、3cmの卵巣が倍以上に大きくなっていた。

大きくなった片方の卵巣を切除するのだ。

卵巣は二つあるから、一つ取ってももう一つの卵巣から排卵するので、子どもは産める。

3ケ月待って、10日間入院して、卵巣を一つ取った。

ずっと、ずっと、やりたいことに向けて突っ走っていたから、そろそろ立ち止まって休みなさいってことだったのかもしれない。

ホッ一息ついて、安心したのが悪かったのだろうか。

ちょっと休んだら、仕事に復帰する予定だったのに、復帰できなくなってしまった。


髪の毛が抜け始めたのだ。


鏡では見えない部分、触ったときに地肌に触れて気付いた。

いつもの円形脱毛症かな、と思った。

小さい頃からストレスがかかると髪の毛が抜けて10円玉くらいのハゲができる。目立たない。そのまま気にせずに放っておくとすぐに髪の毛が生える。

そのうち生えてくるでしょう。

最初の最初は、そう思っていたけれど、

髪の毛は、いつも以上に、洗うと抜けて、乾かすと抜けて、ブラシでとかすと抜ける。

今までとは違う感じがしてきた。

頭の上も10円玉くらいの大きさの地肌が見えるようになった。

10円玉はどんどん大きくなってきた。

そうするうちに耳の上も薄くなってきた。


私は怖くなってきた。


髪の毛が生えてくる気配がない。

それどころか、抜ける方に勢いがついている。


怖くなって、涙が出てきた。


髪の毛が抜けないように触って、鏡の前で、子細に状態をチェックしていたけれど

髪の毛が薄い部分がどんどん増えていることの確認にしかならず

絶望して、涙が出た。


自分の身体なのにコントロールすることができない。

やさしく触っているのに、するっと床に落ちていく。


そんな日が毎日続いて

私は毎日泣いた。


ほとんどが地肌になった。

もう、抜ける髪の毛もほとんど、ない。


もう、鏡も見れない。


鏡に映る姿が、女でもなく、男でもない。

そう感じた。


目に見えるところの私は髪の毛がなくなり

彼氏とも別れた。

目に見えないところの私は卵巣が一つなくなり


例えば、女性を満月とたとえるなら

私は、切り落とした爪のような

うっすらとした細い月でしかないような、

大きなものが欠けていると感じた。


病院に通った。ステロイドの薬を塗った。

抜け毛に効くというサプリを飲んだ。

脱毛が治るという鍼灸の治療院があると聞けば、治療に行った。

ノニジュースが良いと聞けば、ノニジュースを飲んだ。

皮膚の美容クリニックにも行ったし、

高い錠剤も買って飲んだ。

あれが良い、これが良い、と言われたものは試した。

必死に試した。

でも、心の奥底では、こんなんじゃ治らない、と知っていた。


たぶん、違うのだ。


表面的な、簡単な方法では、治らない。


向き合わなければいけないところは、別なところにある。

そんな気持ちがしていた。


時期を前後して、弟が他界した。

本当に、大切なものたちが次から次へと私の元から離れていった。


この1年間は

真っ暗闇の迷路をさまよっているようで、

壁をつたって出口を探すけれど、何度も行き止まりの壁に阻まれて

自分がどこにいるのかもわからず、

孤独で、怖くて、光が見えなくて毎日泣いていた。


そのころ私は日常的にウィッグをつけて生活していた。

1年間、仕事を休んでいたので、そろそろ仕事に復帰したかったけれど、ウィッグは頭部を圧迫するので、長時間働くことは難しかった。

だから私は、個人でマッサージサロンを開いた。これで自分の都合に合わせて仕事ができる。


2つの発見


私はたくさんのお客様と向き合い、疲れた体に触れて、硬い部分をほぐして温めて循環を良くしていった。

その中で気づいたことが2つあった。


1つは、元気になることの本質についてだ。


定期的に来てくれるお客様が、1ケ月ほど来店しない時があった。

久しぶりに来店した時に話を聞いたら、

好きなアイドルができて、全国のライブを追っかけていたらサロンに行く暇がなかったとのこと。

新しい趣味ができた。彼氏ができた。

そういった、楽しくて夢中になれるものと出会った時、

人の体は活力にあふれ、疲れ知らずになる。

その間、お客様は私のサロンを必要としなくなる。


私は疲れた体を癒して元気になってほしいと思っていたけれど、

心が楽しくなれば勝手に体は元気な状態をキープする。

心を楽しくすることが、本当の健康につながるのではないか。


これが一つの発見だ。


もう一つの発見は、

マッサージとセックスが限りなく似ているということだ。


男の人の広くて温かい手で

指先から、肩、背中、腰、体中を

やさしく撫でられて、

唇で吸われる。

女の人の

緊張した気持ちと体は

少しずつ温かく、緩む。


うっとりと

身体を広げ、受け入れ、吸い込むときの

目を閉じて、口をわずかに開くさまは


施術中に見せる表情と似ている。


カチコチの体と、疲れ切った表情は

私が手の平、体全体を使って

しっかりと流れに沿って、ほぐして、

体の隅々にまで血液を巡らせたころには

緩みきり

やわらかい体と表情になっている。


安心しきって眠りに落ちる直前は

驚くほど無防備。

ツボを刺激すると

素直に

「気持ち良い」と

目をつぶりながらも反応する。


ぞくぞくするほど美しい。


みんな、自分がこんなに美しい表情を浮かべていることを知っているのだろうか。

写真に撮って見せてあげたい。

本当の自分の美しさに気が付いたら、毎日が楽しくなって疲れ知らずになるんじゃないかな。


この思いが、施術家兼写真家である、西川らむの出発点となった。


お客様の美しい顔を撮って見せてあげたくて、

私はノリがよさそうなお客様に

施術後声をかけるようになった。

「ちょっと今の顔、すごくきれいだから写真撮りませんか?」


最初はスマホで写真を撮っていたが

だんだんと楽しくなってきて一眼レフのカメラや機材を揃えた。

写真を撮って見せてあげることで、お客さんが自分の美しさに目覚めたり、自信を持つようになることがとても楽しかった。


マッサージの後に露出の多い、本格的に艶のあるフォトセッション

これが仕事になったら良いな、と思った。


最初はモニター募集で呼びかけた。

マッサージの後、色っぽい、写真撮って遊びませんか?

撮った写真はFacebookやアメブロで公開した。


すると、興味のある人がどんどんお店に来てくれるようになって

しまいには、全国から来てくれるようになった。

マッサージと撮影を両方こなすのが難しくなり、私は写真家の道を選んだ。


写真家になって5年。


事業を起こしている人は、誰しもそうだろう。

順調に進むことなど、一つとしてない。

女性が一人で起業しているのだ。

どの組織にもコミュニティにも属していないこともあり、問題があったときは、私一人で対処しなければならない。

参考にしたのは、起業家のブログか友達の意見だ。


いろいろな葛藤もあった。

女性の下着姿の写真を撮ることに批判もあった。

でも、その度に

立ち止まって

自分に問うてみた。


私は、どうしたいのか?


その答えのままに、進んできて、今、ここにいる。


さくらさんに聞かれたこと

なんで、官能的な写真なんですか?服を着ていても、その人の美しさは写せるんじゃないんですか?

この問いに、私はしっかりと答えられる。


髪の毛が抜けたとき、毎日泣いた。

理由はたくさんあるけれど、

自分に「女」を感じられない

もう一生、女を感じることができないのではないかと思って泣いた。


でも、泣きながら、

それは、絶対に嫌だ!って思った。


女であることを

強く、

究極に、

極限まで感じたい。


セクシーな下着をつけて、自分を鏡に映した時に、

わずかながらも、自分が女であることを感じた。

それが癒しになった。


誰かの撮影を通して、誰かの「女」である美しさを追求しながら

私は、自分の中の「女」も同時に追求しているのだと思う。


全てを失う前、猪突猛進に突き進んでいた頃、

自分が男だったら良いのにって思っていた。

毎月の生理はわずらわしいし、

やりたいことをするときに、周りからあーだ、こーだ言われなくて済む。


数年後、女性の象徴を失った時に

どこかから声が聞こえた気がした。

「女でいるのは今世で最後。今世以降、女であることはありませんよ」

その声が聞こえたとき

「それなら、西川らむでいる今世で悔いが残らないように、女であることを感じて、楽しまなければ」と思った。

この思いが、私の行動を決めていった。


この声の主は、神様じゃないかな、と思っている。


撮影している時


写真とは、真実を写すもの。

被写体の心の状態、

被写体の人間性、

人そのものを写してしまう。

また、被写体と撮影者との関係性までもを写す。


だから、大切なのは、撮影する私と被写体との関係性だ。

被写体は、自分の真実を写されることを

本能的に知っている。


だから、私に自分の真実をさらけ出すかどうか、

私という人間が信頼に足るかどうか、

表面ではない、本能的なところで決めている。


私は、写真を撮りながら

被写体そのものの、

中の中に入って

深いところを感じながら、シャッターを切る。


私は、無理には入らない

被写体が私を受け入れたときだけ、中に入る。

被写体が私を受け入れようと、覚悟を決めたとき

ちょっと、何かが変わる。

空気がふわっとするのだ。

私は、その瞬間をまって、とらえて

その人の中に入って

被写体の真実を写している。


撮影が終わる少し前に、私は声をかける。

これで最後にします。

思い残すことは、ないですか?


そうすると、覚悟を決めて、

本当の自分をさらけ出す女性が多い。

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伝えたいこと

1年前に、私は何気なくYouTubeをみて衝撃を受けた。

ファッション系YouTuberの女の子が

普通にウィッグをおしゃれアイテムの一つとして紹介していたのだ。

自前の髪の毛もあるのに、ウィッグをつけて、違う髪形を楽しんでいた。

ウィッグは、髪の毛がない自分のコンプレックスを隠すためにあるのだと思っていた。

その考えが、ひっくり返った。

おしゃれをするために、

おしゃれを楽しむために、ウィッグをつけるんだ!


自分にぶら下がっていた、重い重しがようやく外れて

ウィッグを楽しむようになった。

私は、随分と軽くなった。



可愛くいるって、大切。

自分が自分に満足していることって

本当に大切。

自分が自分に満足しているとね、自分に可能性を感じることができる。

そうすると、挑戦する心が生まれてくる。

それって、夢が叶う大切な一歩。


私は、その人の真の美しさを写すことで

その人が本当の自分に気付いて

自分に自信を持って

やりたいことに挑戦する気持ちにも目覚めてほしいと思っている。

私の写真には、そんな力を秘めている。


美しくなりたい、

ちょっと官能的な写真を撮ってみたい、

本当の自分と出会いたい、

夢を叶えたい、

どんなきっかけでも良い、

私があなたを写したら、人生は前に進む。

覚悟が決まったら連絡をしてほしい。



私は今も、自分に問うている。

私は、何がしたいのか?


答えは

自分の女を楽しむこと

撮影を通して、被写体を美しさに目覚めさせること


みんな、自分らしく生きて

自分を楽しんでほしい、と思う。


夢は、叶うもの。


以上、西川らむさんの魂のひかりでした。

西川さん、ありがとうございました!

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あとがき

冒頭で、私は皆さんに問いをたてました。

これから、楽しいことがたくさん待っているはずの20代半ばに
女性としての美しさ、象徴である、肌、卵巣、髪の毛を失ったとき
あなたなら、どんな思いをし、どんな未来の選択をして、その後の人生を生きるだろうか?

あなたなら、どんな未来を描きますか?

私が描いた私の未来は平凡な未来でした。

髪の毛がない自分を受け入れてくれる男性と出会い、結婚し幸せな家庭を築きました。あるいは、髪の毛がない自分を受け入れ自分らしく生きました、的なありがちなハッピーエンドの未来です。

でも、らむさんが選び、進んだ未来は全くもってオリジナルですごく面白い。

人として、女性として尊敬します。

らむさんからお話を伺いながら、私が学ばせていただいたことは、理想の未来から現在を引っ張ってくる、ということです。

過去の延長線上に自分を置かない、ということです。

昨日までの自分と同じ選択をしない、ということです。

目の前にきたチャンスは自分から掴むし、挑戦することに躊躇しない。

西川さんの、お話を伺いながら、私も

「自分は何がしたいのか?」

と自分に聞いてみました。


みなさんの物語を書き続けて、本になったら良いな、と思いました。


恥ずかしいけれど、何十年かぶりに、自分の夢を持ちました。


夢は、どうせかなわないから持たない方が良い、と思っていました。

でも、西川さんからお話を伺って、たった数時間でしたが、

私は西川さんの感覚を吸収して変わることができました。


みなさんの物語の本を書きたいです。


理想の未来から現在を引っ張ってこれから生きていこうと思います。


こんな変化を与えてくださった、西川らむさんに本当に感謝しています。

ありがとうございます。


また、今回は純粋に物語を書くことを楽しみました。

らむさんの人生に起きたいろいろな場面をどんな言葉を使ってどう表現するかを私は楽しみながら書きました。

官能的な表現も、らむさんの写真の世界観とシンクロさせるように、女性も男性もちょっと生々しい官能的な世界を感じてもらえるように書きました。

言葉を使った表現を楽しむ。

こんなことも初めてです。


読んでくださったみなさんにも、いろいろな変化が起きてくれると嬉しいです。


いつも、記事を読んでくださり、本当にありがとうございます。


西川らむさんの魂のひかりが、みなさんの心を照らしますように。

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