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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第二十五話 子を持つことだけが女でなく、新しく何かを育てられるのが女

子を持つことだけが女でなく、新しく何かを育てられるのが女

私は慶喜から全権を任された勝を呼んだ。
勝は以前のように、頭を畳にこすりつけていない。そのような場合ではなかったのだ。私は手を伸ばせば届く距離に膝を近づいた。勝の顔が白いのは、強く唇を噛んでいることに初めて気づいた。慶喜への怒りで、肩と拳が小刻みに震えているのもわかった。私も慶喜をいくら罵倒しても、し足りない。だが今はそんな時間も惜しい。江戸の町を守り、徳川を存続させることが最優先だ。それを勝に訴えると、彼は細いあごを何度も下に揺らせた。それを見て、彼やはり彼は信頼に値する男だ、と確信を深めた。勝は慶喜と違い、広いまなざしでこの国の未来を見据えることができる。彼ならきっと私と静寛院宮様の願いを叶えてくれるだろう。
勝が部屋を出た後、私は西郷に手紙を書くため墨をすり始めた。墨が自らの身を削り墨液を作る香りは、沸き立つ気持ちを鎮静化してくれる。無心に墨をすりながら、素直に西郷に向き合い、目の前に彼がいるように手紙に向かい語りかけた。


「今、この国は新しくなっていこうとしています。けれどまだこの国の未来は、姿を現しておりません。私はそれをとても憂い、心配しております。
正直に申し上げますと、慶喜はどのような目に遭っても仕方ないことです。
すべて彼が引き寄せたものです。
けれど徳川家は私にとって、とても大切な家です。私は薩摩の島津家から嫁いできましたが、今や徳川で母になっています。
わずか二年にも満たない結婚生活でしたが、私は心から満足しています。
徳川から愛を受けた私が、その愛を次の世代にしっかり引き渡すことが、亡き夫の遺志を継ぐことだと信じています。
私が生きている間にもし徳川に何かあるとあの世に行った時、夫や徳川のご先祖様に胸を張って会うことができません。
このことを考えると、不安で夜も眠られず食事も喉を通りません。
どうか徳川をこのまま存続させることに、お力添え下さい。
そしてあなたがこの国を変えることが、この国の民の幸せと未来につながるのなら、私も尽力します。
私が薩摩から運命、という名の龍に運ばれてここに来たように、あなたもまた亡くなった義父、島津斉彬によって運命という名の龍に運ばれ、この国を開きに来たのでしょう。
私とあなたは形は違えど、同じ役割を持って生きているのではないでしょうか。
薩摩で生まれ育ったことに誇りを持ち、これからも徳川を守って生きてまいります。
あなたがこの国を新しい国に育てるように私も新しい徳川を育ててまいります。
どうぞ、よしなにお願いいたします」


筆を置くと、滝川を呼び手紙を幾島に託すよう伝えた。幾島ならどうやってでも、この手紙を西郷に届ける事を知っていた。
何の駆け引きもないこの手紙が、徳川憎し、で岩のように固まっている西郷の心を動かすかは、わからない。でも私はどうやってでも江戸を守る。殺されてもここを離れない。その思いは伝わると信じたい。指が掌に食い込むほど、強く握りしめる。
手紙を持った滝川が去ると、こわばった肩の力が抜けた。急に喉の渇きを覚え、熱いお茶を運ばせた。湯気の立った赤い茶碗を両手に包むと、ほっ、と大きなため息が出て、肩がゆるむ。ため息と一緒に、緊張と疲れが体から出て行った。
熱いお茶が喉を通り、胃に運ばれる時、徳川の新しい未来に思いをはせた。

慶喜が去った徳川は、これまでこの国を治めていた徳川ではなく、新しく生まれ変わる。
形式的に亀之助は慶喜の養子だが、実質的に、私が亀之助を育て、母になる。初めて会った時、四歳の亀之助が泣きそうな顔で挨拶をした姿を思い出し、胸がぬるい湯につかったようにあたたまった。
亀之助は、新しい日本を生きる徳川の証だ。
自分で子は産めなくても、子を持つことはできる。
子を持つことだけが女の役割ではなく、新しく何かを育てられるのが女だ。誰にも触れられることのない乳房を、着物の上からそっと押さえる。そこに母性、と呼ばれる愛がドクドク音を立て、動いていた。母性は子供のためだけにあるのではない。愛おしい、と思うすべてのものを守りたいと心から望んだ時に、母性は花開く。
静寛院宮様の母性も花開いた。甥である天皇に徳川の存続を願う手紙を出した。私達の母性は力強く天に向き、両手を開いた。

私達が新しい徳川の種を植えようとしていた頃、新政府は江戸城への攻撃の日を決めていた。
江戸城を攻撃することは、江戸の町が戦場になりたくさんの罪のない人々の命が奪われることを意味していた。
それを知った勝は、徳川の存続だけでなく江戸の町の命運と慶喜の命を背負い、粘り強く西郷と交渉を続けた。
皮肉なことに新政府軍のトップは、静寛院宮様の元のフィアンセの有栖川宮熾仁親王だった。
静寛院宮様は、彼にも手紙を書いて徳川の存続を乞うていた。
有栖川宮熾仁親王は表向きは江戸城攻撃の日を定めていながら、水面下では何とかこの戦を回避するよう動いていた。
本当は誰も多くの血を流す戦など望んでいないし、したくもなかっただろう。
なぜなら、本当の敵はこの国の中ではなく外にいるからだ。
フランスやイギリスなどの列強国は、この国の動きを逐一見張っている。もし内戦が起きると、その気に乗じてこの国を乗っ取ることもできる。
その事を勝や西郷、そして有栖川宮熾仁親王は知っていた。
だからこそ、諸外国と背を並べるほど国を開き、新しい日本を作るために動いていた。
バラバラだった彼らの思いは、江戸城攻撃のギリギリのタイミングで、一つになった。
四月十一日、この江戸城は誰の血も流すことなく、西郷ら新政府に明け渡すことに決まった。世にいう、江戸城無血開城だ。


後に西郷に手紙を手渡した幾島は言った。
「西郷は、慶喜様の身を確保したかったようです。初めは、無表情に天璋院様からの手紙を読みました。一度読み終え、何度も繰り返し読んでおりました。あのお手紙は、西郷の心の深いところを揺り動かした気がいたします。
西郷も斉彬様に託された命を、彼なりに全うしたのでしょう」
幾島は亡き義父上の面影を探すように、遠いまなざしで空を見上げた。
幾島もまた子を持つことがなかった女だった。けれど老女となった彼女にも、国を守る母性は息づいていた。

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もし、あなたに子どもがいなかったり、欲しくてできなくて

その事で自分に後ろめたい気持ちがあるなら、それらをすべて手放しましょう。

あなたは他に育てるものがあるのです。

他の大切な役割があります。

堂々と胸を張って、そこに進みましょう。

あなたはそれでいいのです。



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