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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第二十六話 心だけは、自分に正直に生きること


心だけは、自分に正直に生きること


自分の本当の気持ちが明らかになった私は、するべきことがあった。
背筋を伸ばし顔を上げ、秀頼と千姫のいる場所に行った。
徳川との最後の戦が始まってから徳川のルーツを持つ千姫は、周りから白い目で見られながらも気丈にふるまっていた。けれどこの日二人は、死を覚悟したように青ざめていた。彼女は自分が何を言われるのか、もう知っていただろう。うつむいてブルブル震える千姫の手を、秀頼はしっかりと握りしめていた。私はそんな二人を見下ろした。

「千姫、あなたはこれ以上ここにいる必要はありません」

うつむいていた千姫は私の言葉を聞いて、顔を上げしっかり私を見つめた。

「お母様、私は秀頼様の妻です。
最後まで一緒に居させてください。
それに・・・
それに、私は何の役にも立ちませんでした!
お母様と秀頼様の命を救うことができなかった私は、この世で生きていく価値などありません!」

千姫は、泣きながら叫んだ。
そんな千姫の肩を抱きながら、秀頼は静かに話しかけた。
「もうそれ以上、何も言わなくていい」
それはとても慈愛に満ちていた。

私は千姫のそばに行き、膝を折って彼女を見つめた。
「何を言っているのですか、千姫。
あなたはまだ若い。
あなたは、私達のために本当によくやってくれました」

それは私の本心だ。私は彼女に精いっぱいのやさしさと慈しみを込めて伝えた。

「あなたは家康様の孫娘。
家康様も孫娘のあなたが城外に出れば、喜んで迎えるでしょう。
秀忠殿も江も、あなたの無事を祈りながら、あなたの帰りを待っています」

その言葉に千姫は、強く首を振った。

「いいえ、お母様!
千は、もう徳川の人間ではありません。
豊臣の人間です。
お母様が私を、ずっと疎んでいたのは知っていました。
でもそれは仕方のないことだと、あきらめていました。
けれど、最後は・・・・・・
最後くらいは、豊臣の女として秀頼様とこの世を去らせて下さい!!」

千姫は私を見つめ、必死に嘆願した。
そんな姪に、私はなおもやさしく話しかけた。

「千姫、あなたには私と江の母、浅井家と母上の実家、織田の血も流れています。
秀頼も私もそうです。
わかっているでしょう?豊臣はこれで終わりです。終わるのです。
秀頼の父、秀吉は一代で農民から天下人に成り上がりました。
ですから、その家系がここで尽きるのは仕方ないことです。

けれど、浅井と織田の血は絶やしてはいけません。それは、徳川の血と一つになり、後世につながっていくでしょう。
私達の中に綿々と流れるご先祖様の命を、無駄に殺してはいけません。

私と秀頼は家康様に引き渡されたとしても、殺される運命です。
それを江や初に見させるわけにはいきません。
二人共、私達のためにどれだけ尽くしてくれたことか。でもどうしようもありませんでした。

千姫、あなたの寿命はここで尽きるのではありません。
生きるのです!
生きて、後世の人たちに正しく伝えてほしいのです。

あなたと秀頼のこと。
大阪城での暮らしのこと。
誰も本当のことを知るものがいなくなったら、人はおもしろおかしく書き立てるでしょう。

だから、千姫。
生きるのです!
生きて、命を伝えるのです」

千姫は唇をぐっ、と噛みしめうつむいた。
そんな千姫を、秀頼はそっと抱きしめた。

「千、千には大阪城を出て、生きて欲しい。
だから、おじいさまのところに行きなさい。
私は千と一緒に過ごせて、本当に幸せだった。
千の笑顔を見ているだけで、私の心は癒された。

もし今度平和な時に生まれたら、もう一度一緒に生きよう。
約束する。
その時は共白髪になるまでずっと一緒にいる。
だから、今は生きて欲しい」

そう伝えると秀頼は千姫をぐっと抱きしめ、私の目の前で口づけをした。
私の心臓をぐっ、とつかみ取られたような痛みを感じた。だが必死にこらえた。そして叫んだ。

「千姫の支度を!」
私は立ちあがり、千姫がこの城を出る仕度するよう、千姫の乳母や侍女、家来達に命じた。
家来たちが慌ただしく準備をする間も、千姫は泣きくずれ、その背中を秀頼は撫で続けた。

「大丈夫だ。
大丈夫だ。
千がどこにいても、私は君をあたためる日差しとなり、風となり、見守っているからね」
秀頼は、ずっとそう言い続けた。

その時、千姫の乳母が声をかけた。

「千姫様、お支度ができました」

秀頼と千姫はその場で固まった。まるで二人だけがフリーズしたように動かなかった。私はその沈黙を引き裂くように、鋭く言った。

「千姫、行きなさい!」

それでも千姫は動こうとしない。泣き疲れ呆然とした顔で、その場に座り込んでいた。秀頼は千姫を抱き寄せようとしたが、その手を止めた。自分の瞳にしっかり彼女を焼き付けるように見つめ、静かに言った。
「千、行きなさい」

それは生きなさい、にも取れた。森の奥深くにある美しい水をたたえた泉の精霊がささやくように、それでいながら有無も言わせない声だった。

秀頼の声に千姫は一瞬雷にでも打たれたように、ビクッ、と大きく身体を震わせた。真っ青な顔色で何も言わず、その場で居住まいを正し、深くお辞儀をした。そして幽霊のようにふらふらと立ち上がった。
その両脇を乳母や侍女たちにつかまれた千姫は、家来に守られ去って行った。そんな千姫を秀頼はだまって見送った。
「千・・・・・・」かすかに声をもらしたのが聞こえた。
秀頼の瞳は涙に濡れ、彼は千姫の姿が見えなくなるまで、その場に立ちすくんだ。

「秀頼」
私は息子の名を呼び、そっと秀頼の手を握った。
さっきまで千姫の手を握っていた手だ。
私の手など弾かれるかと思っていた。

しかし秀頼は、私の手を強く握りしめた。
そして声を殺しながら涙を流した。
私は秀頼を抱きしめた。

「よくがんばりました。
よく決断して、千姫を逃がしました。
これでよかったのです」

秀頼を抱きしめながら、私はとても穏やかで満ち足りた気持ちだった。
もうすぐそこまで死が近づくこんな状況なのに、きっと私はこの上もなく幸せな顔をしているにちがいない。

ああ、これで誰も邪魔者はいなくなった。
やっと、やっと、私だけのものになった。

私は力強く秀頼を抱きしめた。

秀頼・・・・・・
私がこの世で愛した、ただ一人の男。
あなたは私のもの。私だけのもの。
私はあなたと、どこまでも一緒。
来世はあの娘ではなく、私と一緒に生まれ変わるの。
親子ではなく、ただの男と女として。

今ならわかる。
私は秀頼と一緒に死にたかった。だからこの戦を引き寄せた。
私の無意識の強い思いが、豊臣の滅亡を呼ぶ戦を引き寄せた。

秀頼を生かそうと思えば、豊臣を捨て出家させればよかったのだ。
だが私はそうさせなかった。
豊臣を守る、という名目で、家康と戦わせる流れを呼び、二人でこの世を去るシチュエーションを作った。
なんというひどい女だ、私は・・・・・・。

だけど今、私はこの上もなく幸せだ。
心から愛に満たされている。


この上もなく幸せな気持ちで秀頼を抱きしめながら、治長を見た。彼は目を見開き、秀頼を抱きしめている私を凝視していた。

治長に抱かれた時、私は知らず知らず秀頼の名をつぶやいてしまった。
治長は知った。
自分が愛されているのではなく、息子が私に愛されていることを。

身体の悦びは、治長が与えてくれた。
それは、秀頼にはできないことだから。
だが心の悦びは秀頼にしか感じない。

あんなに尽くしてくれた治長に感謝はしている。
だから、最後に身体を与えた。
それが私にできる彼への精いっぱいの気持ちだった。

初めて秀吉に抱かれた時から、私は男に憎しみの気持ちしか持てなかった。
乳兄妹の治長さえ愛せなかった。
だが自分の中から生まれてきた男にだけは、純粋な愛を感じられた。
心から愛おしい、と思えた。

最初は鶴丸の生まれ変わり、と思った秀頼だったが、ちがった。
秀頼は私を救い、愛を教えるため、ちがう星からやってきた王子様だった。
私が生き延びてきたのは、秀頼という王子様がいたからだ。

千姫を嫁にもらった時、どれだけ嫉妬の嵐に巻き込まれたことだろう。
きりきりと歯を食いしばり、嵐が去るまで耐えた。
側室に嫉妬することなどなかった。
秀頼の愛が千姫に一心に向けられていたから、あの娘が憎かった。
でも、もうそんな千姫もいなくなった。

私と秀頼は二人であの世に旅立てる。私はもう一度治長を見た。彼は私と目が合うと、視線を背けた。
治長が私の命を断つ刃に憎しみが宿るかもしれない。
だがそれも仕方がないことだ。

開いた心は、ごまかせない。
私は最後の最後になってようやく、母上の言葉通りに生きられる。

「心だけは、自分に正直に生きること」

そうだ、私は自分の心に正直になり認めた。

私達がこの世に滞在する残り時間は、あとわずかに迫っていた。

それは死への旅立ちではなく、ハネムーンへの旅立ちを待つ時間だった。


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