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伝えたい心を読む


数学が好きだった。とはいっても中学の時くらいで

高校は、専門科にいったので、普通科数学を勉強しなかったから
数学が得意・・かどうかはわからない。

国語が嫌いだった。
作者の意図を汲み取って問題を解くのだろうけれど、
自分の置かれた感情や環境によって受け取り方がちがうのに
なぜ答えがあるのか、わからなかったし、
間違いだ!と言われ続けるのが、苦痛だった。

そんな子供時代をすごしてはいたけれど、
できることがあった。
だれからも教わらなかったこと。

人が何を言おうとしているかがわかること

「それ、嘘ついてるよね」
「それ、ほんとはそういう意味ではないよね」
「わかるよ、言いたいことがいえないんだよね」

あの頃は、それは当たり前のことだったので
それが心理学的技法であり、「学び、習得すること」だと知り、
え?学んで理解するの?技法があるの?とびっくりしたのを覚えている

だって学ぶことは、ほとんど知っていたことだったから

そしてそこでも、採点という優劣をつけられ(あたりまえだけど)
時々、単位を落とす。という 暴挙にもでるような学生。
先生が思う答えをださなかったり、レポートの形式がどうとか、ここにカッコ書きがないとか、句読点が多いとか、べつにそこまで自己流を貫いたわけでもないのに、まあまあ、先生の好みの学生ではなかったようだ。
なんとか、卒業できてよかった。

社会に出て

社会人になっても、
上司の言いたいこと、同僚の会話・・そこに個々の思いが
乗っかっていることがわかってしまうことのモヤモヤは、続き、
ある日から、
自分を知りたくてあらゆるセミナー、講座を受け続けた。
で、
やっぱり、知っている内容ばかりだし、あなたはわかっているから・・・と
生徒扱いをされずに、先生の助手のような立ち位置で終わる。

何を受けても、腑に落ちず、受講料だけが羽をはえたように舞っていく。

そして言われること
「友達はなくします。離れていきます。」

そりゃそうだね。話すことはすべて金銭と交換になるんだもんね。
そして、守秘義務というものが発生するわけですしね。
そんなことになるなら、セミナーなんて受けなきゃよかった・・と
後悔・・

「人の言いたいことがわかる」「この人はどうしたいかわかる」

のは、なぜなんだろう。
こればかりは、習ったわけでもないので自分そのもの。
それで友達を失くすと言われるとこれは辛すぎる。

ただ、
どこかで、これはもう立証されないことなんじゃないか?ということは
うすうす感じてはいた。
日本は「資格重視」。証明されている理論を学び資格を得たものが、強い。

なので、「なぜかわからないけれど」とか「なんとなくわかるんです」
という、いわいる立証されないことは隠すことにした

それでも、本心というものは、そこに惹かれていくもので、
カードリーディング、チャネリング、ヒーリング・・・という
スピリチュアルな世界ものぞいてみた。

「うん。知ってる」「いつもやっている」「日常茶飯事の出来事」

やっぱり、ここでも「知っている」が発動された。
ただ、ありがたかったのは、
その「知っている」を受け止めてくれた場所でもあった
いっそそのままこの世界に止まろうか・・ともおもったほど。

結局、スピリチュアルの道を本業にすることもなく、
日本的に、資格を取得した技で、今は仕事をしているので、
「数学的に」「理論」で お仕事ができるのはありがたいとは思う

ただ、子供の頃からずっともっている、感覚は、自分そのものであり、
それを当たり前のように使っていることは確か。

人との関わり

こんな私だが、一つだけ根拠のない自信があった。
私とご縁があり繋がる人で、
仕事はもちろん、日々の暮らしを楽しもうとされていて、
これからもどんどん仕事や生活を心豊かにしていきたいと思っている人が、どんどんと成長されて
お仕事がうまくいったり、
やりたいことがどんどんできるようになられていく。
その幸せな出来事が起こるということ。

反対に、
残念ながら、ご縁がなくなった人のその後を聞くと、
辛そう・・ちょっと悲しいな・・・って
おもう日々を送られていることが多い。

そういう方は、元々、私にマウントを取ってきたり、
自分が一人でここまで大きくしてきたと、
周りの人の助けをなかったことにしたり、
人を悪くいうことで自分の仲間を増やす人だった。

私もそれで取り込まれそうになったけれど、
「あ!これ利用されてる」と勘付いて、残念だけど去らせていただいた。

私は何をしたわけでもない。
ただ、話をするときにその人とちゃんと話をしようとするし、
この人を助けたいと思えるほどに魅力があるとおもうからの行動で。
それは、友人関係であっても同じで。

ただそれだけ。

伝えたい心を読む とは、

相手の心に土足で入り込み、
容赦無く探るのではなく、

相手が言語を通して伝えたいこと以上に
言いたいことを汲み取ること。
心に土足で踏み込んだりはしない。

そして、それをさりげなく伝えることで、
その人が自分を知り
その人のその後の人生が
もっと豊かになっていること

見透かされるから話したくない。
私と関わると苦痛だと感じたなら、

離れてくださいね






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