「すずめの戸締まり」に思う、3月11日をエンタメにすることの意味。
新海誠作品ファンというわけでもないし、特に東北の人というわけでもない。
ただちょっぴり東北に思い入れがある東京の人が「すずめの戸締まり」を見てそのクオリティに感動したという話をしていきたいと思う。あ、ネタバレがあるので注意です。あと、あんまり推敲してない。本業ライターなのに。
閉じ師に思う、旅情
まず、本作が震災をひとつのモチーフにしているということだ。震災をエンタメ作品として取り上げた例はそこまで多くないと思う。というか、実際に3月11日のことを描いた作品はほとんどないのではないだろうか(ドキュメンタリーなどを除いてあったら教えて欲しい)。
震災(地震)を常世からの謎の厄災(通称:ミミズ)として描き、それらが現世に影響を及ぼす前に常世とつながる「扉」を閉める「閉じ師」という職業がある。突拍子もないキャラクター(しゃべる猫など)と組み合わさり、本作がファンタジックなものに仕上がっている。
扉は、廃墟など、そこにかつて人の息づかいがあった場所に現れる。「閉じ師」はそのかつての情景に耳を傾け、扉を閉じる。
これは筆者が常々、旅をしているときに思うことだ。筆者は、小さな町を車窓から眺めるのが好きだ。その時に考えることが、そこに住まう人々の人生、声や会話、使っているものや着ているものなど、そこにある「暮らし」を想像している。
劇中にも「そんな場所、増えてきたような気がする」というような台詞がある。確かにそうだ。残念ながら我が国の人口は減っていく一方であり、地方の集落は高齢化を極め、これからも一極集中社会は進行していくだろう。
そして、人々が去った場所には、原型をとどめながらも人のいない寂しさに朽ち果てた廃墟だけが残るのだ。
「扉」はそんな廃墟に現れる。
私は、閉じ師や鈴芽のように、そこにあったものに耳を澄ませることが大事だと考えている。季節が移ろうように、人間の暮らしも変わっていく。その中で忘れてはならないもの、忘れ去れるもの、さまざまある。せめて、自分とその周りにある暮らしだけは、忘れないでいたいものだ。
リアルに描かれる東北の今
モチーフとなっている「3月11日」に対しては、とても真摯に、丁寧に、とても解像度が高く描かれていることが印象的だった。
まず、主人公が「残された人」であることだ。取り立てて詳しくは描かれないが、主人公の鈴芽(すずめ)は、3月11日の震災で母親を失っている。避難所かどこかで母を必死に探す幼少期の鈴芽の声は悲痛であり、それに「かわいそうに」と声をかける大人の声もまた、なんとも言い難い雰囲気を持っている。
物語の終盤で、舞台は東北に移る。真新しい、まだ重機が動いているような防波堤や、基礎だけが残り、青々とした雑草だけが残った住宅街(鈴芽の実家もかつてそこにあった)など、その解像度はとても高い。
常世で燃えさかる町や、建物の屋上にある船なども、実際に起こったことだ。
海を望むことも許さぬ防波堤を横に、のんきに懐メロを流しながら走る赤いスポーツカーや、芹澤の「ここ、こんなにきれいだったんだな」という言葉など、一見すると何気ない場所も、見る人が見れば、その生々しい爪痕なのだ。
人生への賛美
そして、母を失った鈴芽を4歳から16歳まで育て上げた環(たまき)も、震災によって人生を狂わされた人の一人だ。突然妹の娘を引き取ることになって、結婚につながる恋をする時期を姪に注がざるをえない人生は、彼女も想像していなかっただろうし「私の12年を返して」という台詞もある。だがここで大事なのは、それを受け入れていることだ。それを受け入れ、その想いとともに、人生を歩んでいく。
鈴芽も環も、その想いを互いが抱えていることを理解するというのはとても大切だ。人間というのは、想像よりもコミュニケーションをとらずに生きている。
愛も怒りも、言葉にならないことこそ、言葉を紡ぐべきなのだ。
筆者としては、地獄のような現世から常世に迷い込んだ幼少期の鈴芽を「今は真っ暗闇でも、光を浴びて元気に育つ」と現世の鈴芽が現実に帰るように促すシーンが印象的だった。
家が流され、混沌極まった現世に帰すくらいであれば、常世にいるほうが幸せなのでは?と感じたからだ。だが、「今は真っ暗闇でも、光を浴びて元気に育つ」という言葉は、今は真っ暗闇でも、光を浴びて元気に育った鈴芽が言うんだから、それ以上の説得力はない。
その人生を賛美するようなシーンは、草太(そうた)との出会いや、環との12年だけでなく、九州から東北までを股にかけた壮大な冒険での出会いも含まれているんだろう。
愛すること、誰かを想うこと、互いを気遣うこと、存在を確かめ合うこと、その人と人の関わりすべてが、鈴芽にとって、地獄のような現世に幼少期の自分を帰す動機となっていたはずだ。
筆者はその美しさに深く感動したし、胸を張って幼い自分を地獄に送り出せるような人生を描いていきたいと感じた。
そして我々は、その3月11日に耳を澄ませ、語り継いでいかねばならない。そこにあったものを奪い取っていった震災を、そこにあった人々の想いや記憶を、これまでの時間を、直ったもの、直らないもの、直さないもの、治らないもの、そのすべてに耳を澄ませていくことが大切だ。
いまでも緊急地震速報の音には、心臓を握り締められるような感覚を覚える。その後テレビから流れる「津波の心配はありません」という言葉に安堵する。
最後に、
私は今年で26歳だ。あの3月11日を、中学3年生のときに生きていた。同年代の諸君らは、我々が、そのリアルタイムで記憶している最後の世代だということを少しでも頭に置いてくれるとうれしい。
あのとき、ニュースから次々に起こる余震の情報、連絡が取れず寸断された集落、燃えさかるコンビナート、身元不明の遺体の数、行方不明者の数、各地の被害状況。CMはすべてACジャパン「あいさつの魔法。(いわゆる“ぽぽぽぽ~ん”)」になったテレビ、その後の政治状況や、世界各国からの支援、風評被害。なんでも良い、覚えていることがあるはずだ。
それを少しでも語り継いでいって欲しい、津波によって街が根こそぎ奪われた記憶を、それに紐付いたなにかを、我々は後世に語り継いでいかねばならない。
「すずめの戸締まり」が、その足がかりになると良いと思う。当然、純粋なエンタテインメント作品として楽しんでいる人の気持ちを否定する気は毛頭ない。だが少しでも興味を持ってくれると嬉しい。
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