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「すきとおったほんとうのたべもの」としての物語〜ビブリア古書堂10周年に寄せて〜

「作り話だからこそ、託せる思いもあるんです。もしこの世界にあるものが現実だけだったら、物語というものが存在しなかったら、わたしたちの人生はあまりにも貧しすぎる……現実を実り多いものにするために、わたしたちは物語を読むんです。」

三上延『ビブリア古書堂の事件手帖』5巻

ベストセラー小説シリーズ、ビブリア古書堂。10周年記念だからかGWに電子が全巻半額になっていたので大人買い。初めて読んで、まだ途中ですが、とっても面白いです。大まかなストーリーは、「本の虫」の古書店店長の栞子さんと、ひょんなことからアルバイトで入った、本を読むと「気持ち悪く」なってしまう体質の五浦くんが、持ち込まれる古書に関係した「謎」を次々に解き明かしていくミステリー小説。

実は自分は最近、人文系の本(とりわけ学者が書いた一般書)がまったく読めない。そのことをある人に話していたのだけれど、たぶん人文系の本は「主張の押しつけ」感を感じてしまい、それが今じぶんにとってはしんどいのだろう、という分析に至った。それに、社会科学系と違って人文系の場合、主張の根拠はわりと自由に論を展開していく。それがときとして、とってつけた牽強付会なものと見えてしまう。それがもう、どうしても受け付けられなくて、しんどくなってしまう。なので最近は、物語ばっかり読んでいる。

フィクションの場合、たとえ主張があったとしても、作者と読み手との間に「おはなし」というワン・クッションがある。またその主張も、現実世界をベースとしているわけではないから、受け取らなくてもよい気軽さがある。こころの自由さが認められている気がする。そう、<自由>になるために、自分は本を読みたいのだ。

少し前から「人文軽視」の風潮を危機に思う知的な人々が、「人文重視」を強く押し出しているように思う。そのせいか、最近の人文書は妙に肩に力が入って、「役に立つ」ことを全面に出してきてやいないだろうか。「あるべき」(should be)論が多く、それも自分にとっては息苦しい。

料理研究家の土井善晴氏が『料理と利他』のなかで、次のように語っている。

実は日本料理というものも、たとえばここにお料理をぽんと置きますでしょ。お料理を置いたら、盛り付けが終わったら、そこに人間が残ったらいけないんです。人間は、消えてなくならないといけない。はからいを作為と考えると、作為というつくり手の自我が残っていたら、気持ち悪くて食べられないと思いませんか?

土井善晴・中島岳志『料理と利他』28ページ

つまり「料理人の主張が見える料理など、押し付けがましくって食べられたものではない」のである。

この土井先生の語りに関連して、宮沢賢治が『注文の多い料理店』の序文で、次のように書いていたのも思い出した。

…ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
 けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。

宮沢賢治『注文の多い料理店』序 より

「ものがたり」も「ほんとうのたべもの」になることがある。そしてそれは作者にも、読者にとってさえ、「わけがわからないところもある」にもかかわらず、であると宮沢賢治は言う。それは「すきとおった」ものであればこそ、なのだろう。

私自身、料理はすっかり妻に任せっぱなしなので料理のことは語れない。しかし、自分も社会を語る本を書いているわけで、それについては、土井氏の心構えを中心に据えておかねばと思う。経験科学としての社会科学において、きちんとした手続きに則った調査結果からは合理的な考察があれば、それで意味があると思っている。頑張って「役に立つ」結論を述べる必要はないし、無理矢理な「主張」は、研究倫理的に問題がなかったとしても、気持ち悪くて食べられたものではない、のである。

ビブリア古書堂では、本を読むと気持ち悪くなる五浦くんは(彼は別に人文書だけでなく小説も読めなかったのだけれど)、だんだんと長い時間読めるようになっていく。なぜ読めるようになったのか。そして彼は完全に克服するのか。ひょっとして、「読めない」理由と思い込んでいたこととは別の理由が、なにかあったのだろうか。まだ全7巻中5巻までしか読了してないので、後半に向けて、今後どうなっていくのか楽しみ。

ところで作者は2巻のあとがきで、登場人物については完全なフィクション、と言っているが、しかしモデルは明らかにありそうな気がする。それは、わずかな本の痕跡から持ち主のプロファイリングをしてしまう栞子さんがシャーロック・ホームズで、彼女を現実世界に繋ぎ止めようとする役割であり、また舞台回しでもある五浦くんが、ワトソン。そして恐るべき洞察力で栞子さんの前に立ちはだかる智恵子さんはまさしくモリアーティ教授と言ったところ。本当に面白い。本好きにも、そうでない方にも、本当におすすめです。

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