「ゆっくり休む」ことがしんどい理由(余暇研究の知見から)
鬱(うつ)気味のときは何もしないでゆっくり休むが正解とされるようになって、よい風潮だと思っている。そうなんだけれど、いざ休むとなると、罪悪感にさいなまれ、休んでいる自分にメンタルをさらにやられる、ということもあったりする。
実は、余暇研究の知見からは、余暇時間が増加するほど、幸福度が低下するという研究結果が出されている。考えられる理由として、過重労働文化の影響があって、平日に何もしないことでかえって罪悪感が増すのではとも言われている。休むのも辛い、という状況はこれではないかと。
例として、この韓国の成人を対象とした大規模データ分析による研究。
結果について正確に言うと、余暇時間と幸福度(および余暇満足度)は逆U字関係で、ある一定までは幸福度が上がるが、長すぎると今度は下がっていく、幸福度の「飽和」があるという分析結果。平日の余暇が6.56時間、休日の余暇が5.79時間を超えると、余暇の飽和が生じたとしている。つまり半日何もしないと、罪悪感が出てくる!?
なぜ幸福度が下がるのかは、同研究の著者は具体的に明らかにしているわけではないが、先に述べたように、仮説として韓国の過重労働文化が問題と述べている。それは、日本もとても良く似ているのではないかと思う。休めない社会。休むことに罪悪感を覚える社会。
また、こちらはデンマークの研究であるが、中年女性が余暇活動、とくに身体運動の活動に参加するにあたり、どのような心理的葛藤をもつかを分析した研究がある。
https://www.tandfonline.com/doi/pdf/10.1080/02614367.2021.1975801
そこでは、余暇時間が増えても社会的義務感から仕事や家事を優先し、余暇を優先する場合には「感情の管理」が必要と分析している。しかし、仕事や家事を優先したとしても、それで本人が満足しているかというと、そうでもない。
こうした社会的義務感の背景には市場主義的な価値観が存在していると同論文では指摘している。また、このデンマークの研究ではジェンダーの視点が重視されているので、中年女性の「家事のコントールタワーとしての役割」の重さも強調されている。
こうした状況が、余暇時間を楽しむうえでの「感情管理」の必要性を女性に強いていると同研究では分析しているのである。あの男女平等が進んでいると言われる北欧であってもそうなんだ…と驚きつつ、しかしこの話を男性も含めて考えると、社会的義務感にがんじがらめな人ほど休むのが辛い、というのは一般論としてありそう。
さらにそうした「社会的義務による休めなさ」は、不登校中の子どもの辛さにもつながるのではなかろうか。つまり、他の人が学校に行っているのに、自分は行けず、社会的義務を果たせていないという罪悪感があるのではないかと。なので不登校の子どものケアとしては、そこからの解放がまずは必要だと思うのだけれど、いまだに無理やり学校に行かせる「コンサルティング・ビジネス」が横行しているようですね(しかも板橋区と契約をしたのだとか)。X(旧ツイッター)で話題になっていた。
利用した、という親御さんの話もちらほら出てきていた。しかし、子どもが壊れた、とか、泣き叫んで暴れて大変なことになった、とかばかりで、成功しました、という話は全然見なかった(こうしたエピソードにどこまでの信憑性があるかはわかりませんが)。
ところで、不登校中の子どもがゲームをずっとしている、と話題になったりする。これは、他にすることがないからというのもあるかもしれないが、手軽に達成感があるからじゃないかなと思ったりもする。つまり、学校に行けず、他の子に比べて自分は何もしていないという罪悪感があるなかで、何か「やってる」ことが欲しい、でもメンタル的にあまり難しいことはできない。だからゲーム、となるのでは。自分も、コロナうつのときとか、そうしてゲームをしていたことがあった。
子どももおとなも、休みたいときに罪悪感無く休める、のんびり生きていける社会になれば良いのになと思う。
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