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「いつ明けるともしれない夜また夜を」

本文は、2022年5月13日および14日開催予定の「いつ明けるともしれない夜また夜を」についてのステートメントです。

 けっきょく、音楽には戦争を止めることなんてできない。疫病を治すこともできない。腹を膨らせることも寒さを凌がせることもできない。音楽には、わたしたちを癒してわたしたちが見たくない現実を忘れさせること以外に、なにかできることはあるのだろうか。
 わたしは知っている。ベートーヴェンやショスタコーヴィッチの交響曲を演奏したとき、わたしは興奮した。頭に血がのぼった。激しい音楽は、それが優れていれば優れているほど、演奏しているわたしのなかにある攻撃性や排他性をあらわにする。わたし自身のなかにも暴力をふるったり他人を差別するような可能性はあるのだと、わたしは演奏を通して知った。
 わたしは知っている。バッハの受難曲を演奏したとき、わたしは傷付いた。静かな痛みを伴う音楽は、わたしが見たくない、わたしのなかにある汚い部分をわたしに見させるのだ。わたしがいかに愚かで惨めな人間であるのか、わたしは演奏を通して知った。
 わたしはニュースを見た。ひとがひとを差別していた。そのひとたちは疫病や戦争の当事者だったり、あるいは当事者でなかったりした。そのひとは傷付いた、痛めつけられた、あるいは死んだ。こんなかなしいことが、なんで、なんで起きなくちゃいけないんだ。
 音楽は戦争を止められなくても、病気を治せなくても、せめて、わたしやあなたが誰かを傷付けないようにすることくらいできるのではないか。わたしたちは誰でも簡単に加害者になりうる。音楽はそれをわたしたちに教えてくれるのではないか。
 わたしは、音楽が持つ、そんなちっぽけな可能性を信じたい。

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