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照明付きオーケストラに若者招待リハーサル。行政が文化芸術の道標を作ってしまうということ。

 新型コロナに感染してしまったのでずっと家にいる。隔離期間もあと1日だ。この1週間、Prime VideoやNetflixを利用して、いくつか映画を観た。質の高い映画を安価で手軽に観ることができる。こんなに良いことはない。
 初めてPrime Videoを利用したのは大学生のときだった。映画好きのわたしは、良い作品を手軽に観ることができるこのサブスクに喜んだ。もちろんわたしの観たい映画が全てあるわけではないけれど、映画なんて星の数ほどあるのだから、Prime Videoだけでもわたしの求める映画は観切れないほどある。オススメだけを観るわけじゃない。膨大なリストのなかから自分で選択する。事足りないことなんてないんだ。
 しかしあるとき、ふと思った。「これだけを利用していたら、Amazonの想定するものしか観られないのだから、もしかしてわたしの芸術体験は、自分で選択したとしてもAmazonの支配下に置かれてしまうのでは」と……。

 さて、今回は、助成金や補助金と音楽業界の話である。

 この2年間、行政は、疫病禍によって疲弊した音楽業界へ手を差し伸べ続けた。文化庁、経済産業省、地方自治体。クラシックのコンサートをよく聴きに行く人ならば、次の助成金や補助金の名前をいずれかひとつは見たことがあるだろう。「文化芸術活動の継続支援事業」「アートにエールを!」「AFF(ARTS for the future!)」「J-LODlive」。ほかにも山ほどあった。世界的に見てもトップルベルの手厚い補助に、(スピードの遅さなどへの批判はあれど)多くの音楽家や芸術家が救われた。わたしももれなく疫病禍によって収入が3ヶ月連続でゼロになった音楽家だけれども、わたしは先にあげた制度や「持続化給付金」がなかったら、もしかすると音楽を辞めていたかもしれない。こればかりは感謝するほかない。
 こういった制度が、個人や団体レベルだけでなく、もっと大きく文化芸術そのものを助けたといっても過言ではない。大企業に限らず個人や小規模団体にも支援が行き届いたことはとても良いことだった。これには賛否両論あるだろうが、こういった制度のおかげで「ビジネスとしては成り立たないけれど、意欲が高く、マニアックで内容の濃いコンサート」も頻発した。日本初演も数多くなされたし、さまざまな音楽研究と実践とが手を取り合って大きく前進した。音楽業界は、ある意味においては、疫病禍前より活発になったとさえ言い切れる。こういった言葉は使いたくないが、ある種の「助成金バブル」に近いものがあったという言い方がされたとて、わたしはそれを否定することはできない。
 しかし、こういったものは諸刃の剣だ。助成金を得るためには、さまざまな「チェック項目」をクリアする必要がある。感染対策はもちろんのこと、配信をするかどうかだったり、新しいことにチャレンジしているかどうかだったり、何かIT技術を取り入れているかだったり。要は「タダで金はやらねえぞ」という話である。これは新しい文化を産むこともあれば、残念ながら助成金欲しさのただの「チェック項目優等生コンサート」を産むこともある。

 さて、ここまではわたしのような弱小音楽家目線で書いてきたけれど、疫病禍で経済的に苦しんだのは我々のようなしもじもの音楽家だけでない。海外からトップアーティストを呼ぶような大きな招聘会社の負債額は、その経済規模の大きさから、わたしなんかには想像もできないレベルである。海外からの招聘に関しては、疫病禍によるビザ取得の煩雑さや隔離期間などへの対応だけでなく、世界的な物価上昇と円安、物流の混乱なども大きな影響を与えた。
 彼らにとっても、助成金の活用はやはり死活問題だった。しかし、それがあまり良くない効果を生み出してしまっている例も、残念ながら散見されたのである。

 先月、パリ管弦楽団がいま最も旬な超若手指揮者クラウス・マケラと共に来日公演を行なった。招聘会社は大いに苦しんだようだが、演奏は素晴らしいものだったらしく(残念ながらチケット代が高すぎてわたしは諦めてしまった)、ともかく大盛況だった。
 しかし、演奏が良かったにも関わらず、SNS上では炎上していた。どうやら、その公演では「照明」の演出が入っていたらしく、それが音楽にとって非常に邪魔だったというのだ。Twitterを開いてもFacebookを開いても、演奏への賞賛と並んで、照明演出へは非難轟々。

 さて、そんななか今朝の朝日新聞の「円の急落 来日公演に痛手」という記事では、この公演について、こんなことが書かれていた。

赤字分は、照明による演出や華道家による作品展示、25歳以下が千円で入れる公開リハーサルなどの企画を仕掛けることによって、日本発のコンテンツの海外展開を促進する経済産業省の補助金「J-LOD」で補填したいとしている。
朝日新聞令和4年11月13日朝刊より「円の急落、来日公演に痛手

 観客から非難された照明の演出は、作り手の芸術的な欲求から生まれたものではなく、経済産業省が敷いたレールのうえで生まれたものだった、ということなのである。これにはガックリしてしまった。

 もちろん、音楽をはじめとした文化芸術には助成金や補助金は欠かせないし、それはまったく悪いものではない。だけれども、制度というものが根本的に構造的な問題を孕んでいるのは、避けようのない事実だ。だから、気をつけないといけない。
 冒頭のPrime Videoの話ではないけれど、大きな他者が作った枠組みのなかでだけで何かが行われるというのは、危険である。なぜならば、文化芸術は人智を超えたところにこそその魅力があるのだから、規定されたものに盲従してしまったら、新しい価値は生まれようがないのである


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