レッツ神様チャンス
あと1年。
二十三歳、独身、一人暮らし。仕事は、コンビニの店員と居酒屋の店員とたまの工場勤務。六畳一間のアパートに住み、趣味はなし。強いて言えば、漫画雑誌の読書。こんなどうしようもない僕に、今年初めて舞い降りた特大の事件は、まさかの余命宣告であった。
しばし途方に暮れて、仕事を無断欠勤し、店長に怒られて、一年後のことより今の事のほうが重要だと気付いた。とりあえず仕事をしなければ、来月だって生きられない。まずは仕事だ。働こう。幸い今のところ身体に異変はない。医者は入院を薦めたけれど、働かなければ入院費だってまかなえない。とりあえず元気な時は、勤労が義務だ。遠方で貧乏暮らしをしている親にも迷惑はかけられない。
それでも、仕事終わりで眠る時には少し考えてしまう。死にたくないなって。先月から始まった格闘漫画の続きも気になるし、来年やるらしい怪獣映画の続編も絶対見たい。生きてやりたいことは、そんなに大層なことではないけれど、きっと生きていても、誰かを幸せに出来るとかそんな保証はまったくもってないんだけど、こんな僕でも、ねぇ神様、どうにか生かしておいてもらうことはできないかなぁ。
その日の夜、僕は、夢の中で子供の頃の僕に出会った。あの頃の僕は、親に嫌々行かされた塾で、遅刻や宿題忘ればかりして、しょっちゅう怒られていた。テストでは、humanの訳を不満と書いたり、doesをドエスと読んだ。親も先生たちも呆れる、しょうもない子どもだった。夢の中で、大人の僕は子どもの僕に言った。「お前、そんなんじゃろくな大人にならないぞ」。子どもの僕は「そんな先のこと知らないよ。僕は僕のやりたいようにやる」と、どこかの漫画の主人公みたいなセリフを吐いた。馬鹿な奴だ。本当、馬鹿な奴だ。
朝8時のアラームで目が覚めて、起き上がったら部屋に見知らぬおじいさんが居て、心臓が止まるかと思った。おじいさんは全身黒ずくめで、「おはよう。神様です」と無愛想に言った。とりあえず僕は「おはようございます」と丁寧に言った。大丈夫。襲われても勝てそうなぐらい、細長くてしわしわのおじいさんだった。
「戻りたいか?」
おじいさんは僕に訊いた。僕は絶賛混乱中で、とりあえず「いいえ」と言った。何処かから抜け出したボケ老人に違いないから、「おじいさんが戻った方がいいんじゃないですか」と思った。これも本物の神様から僕への、余命宣告に続くサプライズなのだろうか。
「わしがその本物の神様だ」
おじいさんがそう言って、指をぱちんと鳴らすと、部屋の壁紙がガラリと変わって、僕は宇宙に居た。地球と月が遠くに見える。「え?」と僕が更にテンパると、おじいさんが「な?」とニヤリとした。
「これで信じざるを得ないじゃろ?」
そう言いながらまた指を鳴らして僕らを元の部屋に戻した。
「さぁどうする?過去に戻りたいか?そうだな、今回は中2にしようかの。おぬしがダメダメな頃の自分じゃ。まぁ、過去とは言っても、戻ったおぬしにしてみれば、また新しい未来なわけだがな。さぁ、どうする、戻るか?」
おじいさん兼神様が顔を近づけてくる。「おじいさん兼の部分はいらない」とも言った。僕は熟考して、「うん」と答えようとした。神様はまたニヤリと笑って言った。
「でも、記憶は消えるぞ」
う、と僕は止まった。僕はあの頃の僕を信じられない。それに気付いて少しへこんだ。でもでも、神様がわざわざ会いに来てくれるわけだから、もしかしたらこれは大きなチャンスなんじゃないか。頭のなかをグルグルと希望と絶望が回る。神様は「ふぅ」と息を一つ吐いて、僕に説明を始めた。
「このレッツ神様チャンスは、実はほとんどの人間に与えられるんじゃ。どっちを選んでも記憶から消えるから、誰も覚えていないだけでな。決しておぬしが特別だから選ばれたわけではない。だから安心して選べ。どちらが正解ということはない。ただの暇つぶしじゃ」
結局残ったのは絶望だった。戻らなかったら、余命はあと一年弱。戻っても、阿呆に戻るだけ。なんだかもうどうでも良くなってきてしまった。「どっちでもいいです」と言おうと思ったその瞬間に、部屋の片隅にある昔飼っていた犬の写真が目に入った。
大型犬のあいつは、大型犬にしては長生きの十四年の生涯を生きた。あいつが死んだ日、僕はわんわん泣いた。ダジャレじゃない。本当にわんわん泣いたんだ。初めて死ぬことが怖いと思った。お別れが切ないと思った。こんなにも悲しいことがあるのかって、一晩泣き通した。そんな記憶を思い出しながら、僕は一緒に親父とお袋の顔も思い出していた。あいつが居なくなってからすぐ、親父の会社の業績は悪くなって、うちは貧乏になって、僕は大学受験を諦めた。工事現場で働き始めた僕に、親父は言った。「ごめんな」って。「迷惑かけてごめんな」って。でも、その時に一緒に言ったんだ。
「生きててくれてありがとな。お前が俺たちの生きる糧だ」って。こんな僕に向かって。まっすぐこっちを見て、親父は言ったんだ。
僕はそれから沢山働き口のある東京に出てきて、ひたすら仕事を頑張った。親父も頑張っていた。やっとまた軌道に乗り始めた頃、今度はお袋が倒れた。入院費や手術代は僕の想像よりも巨額だった。僕は、いくつかバイトを掛け持ちしながら、今も仕送りを続けている。先月久々に地元に戻って病院でお袋に会った時、お袋は「ごめんね」と「ありがとう」と「お前は長生きするんだよ」と何度も繰り返し言った。僕はうんうん頷きながら、泣きそうになるのを堪えていた。なるべく無理して笑っていたけど、お袋の困った顔を見ていたら、切なく、悲しく、だけど少しだけ強くなった気がした。病室のベッドに横たわりながら、僕が持ってきたリンゴをむくお袋が、また「ごめんね、ありがとね」と言った。
「どうするんじゃ」
神様は僕に詰め寄った。僕は「戻らない」って言った。「なぜじゃ」と言われたから、「だって親父とお袋が困るだろうから」って答えた。神様は一瞬止まったけど、心の中を読んだのか「決心は固いようじゃな」って呟いた。
中二の頃の僕は、確かに馬鹿で阿呆だったけど、僕のことを愛してくれる、素敵な両親がいつもそばに居た。僕は、幸せだった。今だって、大好きな映画や漫画は多いし、親父とは電話でたまに馬鹿話をするし、お袋のむくりんごはいつも美味しいし、ホラ、生きていたい理由がこんなにもある。残り時間はわずかだけど、こんな僕の人生だって、そんなに悪いもんじゃないよね。
「本当にいいんじゃな」
神様は念を押した。僕は頷いた。「さすが、さっき戻ってきただけある」と神様はニヤリとした。僕が「え?」と聞き返した瞬間、空間がぐにゃりと歪んだ。
「どうせ忘れるから、言っておこうかの。おぬしは余命宣告を受け、自殺を図った。自殺は失敗し、その後遺症でおぬしは長い眠りに入った。余命宣告から二十年後、長い眠りから目が覚めた時、おぬしは余命宣告が間違いだったことと両親の死を知った。その時の絶望したおぬしに、ワシは聞いたのじゃ。二十年前に戻るか?とな」
一生に二度もレッツ神様チャンスが当たるなど稀じゃぞ、と神様は笑ったけれど、それってむしろ不幸なんじゃないかと思った。
「でもこれでわかったじゃろう。過去と他人は変えられないが、未来と自分は、いつからでも変えられる」
ドヤ顔で神様は言って、僕の記憶と一緒に、消えた。
「本当にいつもいつもありがとな。仕送り助かってるよ。今度な、母さんが退院できるそうなんだ。俺の仕事もようやく落ち着いてきたし、そろそろ仕送り止めてもいいからな。お前も自分の将来のこととか考えろ。ホラ、結婚とか、自分の家族のこととか」
電話口の向こうで、親父が盛大に笑っている。僕は嬉しさをこらえつつ、少しだけ誇らしげに言い返す。
「そんな先のこと知らないよ。僕は僕のやりたいようにやる。それで、それだけで、割と幸せだよ」
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