夫の肺に穴があき、私は夜眠れなくなった【前編】
「もしもし、○○さんの奥様のお電話でしょうか…私、彼と同じ会社の者なのですが…」
11月のとくに寒い日の朝、もう少しだけ…と二度寝をしていた私の元に不穏な電話が来た。
夫の電話から、夫以外の人間が私に電話をしている。
それだけで良くない話だということは何となく察したし、私の頭はその同僚と名乗る人が話す前に最悪な想定を考え始めていた。
「はい…そうですが、夫がどうかしましたか…?」
私は冷静を装い、尋ねる。
「はい、実は…彼、仕事中に呼吸困難になったみたいでそれで救急車を呼びました。聞いたら以前、気胸になった事があるんですよね…?だから今回もそうなんじゃないかって…」
「気胸」
その一言で、私は大体のことを理解した。
気胸とは、つまり肺に穴があく症状を指す。
メカニズムは以下のツイートの漫画の通りだ。
ともかく私は夫が5年前にも発症していることを知っていたため、今回もそういう事なのだろうと推測した。
どこの病院かを教えてもらい、彼を迎えに行く。
職場近くの病院まで行くと、顔の青白い彼がじっと待合室で座っていた。
「ありがとう」
と彼は言ったものの、肺の違和感にずっと気を取られていて上の空だった。
私は救急車を呼び、病院まで一緒についてきてくれた同僚の方に御礼を言い、夫と共に帰宅する。
夫はあまり早く歩く事が出来ないらしく、私の歩幅の半分以下の速度でのろのろと歩みを進めていく。
私はその姿に一抹の不安を覚えたが、それを顔には出さないようにしていた。
その後、何度か病院へ通い、手術の必要があると知った。
彼は1人で歩くことも、荷物を持つことも困難だったため、毎度私は彼について行った。
電車の乗り換えで、階段を登る事が出来ない夫のためにエレベーターを探して誘導する。
歩みの遅い夫はすぐに人にぶつかりそうになるので、私はSPさながら彼を守りながら、歩く。
そんなことを何度か繰り返しているうちに、彼は気胸の名医の情報を手にする。
セカンドオピニオンとして、その病院も並行して通う。
その名医のいる病院は全国から多くの患者が来るらしい。
「その病院は気胸の手術を年間何回していて〜」
夫は私にそんな話をしてくれた。
「そんなことまで分かるの…?」
私はただただ、驚いた。
その病院が気胸の手術を沢山していることではなく、彼の情報収集力に、である。
彼はその病院の実績やそこで勤務している医者の経歴や実績、手術する場合のリスク、それはもう考え得るもの全て(多分私だと考えが及ばないものまで)片っ端から調べていた。
元々心配性で、不安材料が消滅するまで調べに調べる性格である。
いわば、ネガティヴのスペシャリストだ。
そんな夫を尻目に私は少し安堵していた。
これだけ調べているのなら大丈夫だろう、私の出る幕はないだろう、というそんな安堵だった。
そうして、手術をする病院が決まり、後はその日を待つだけとなった。
だが、その日になる前に、夫は再び救急車に搬送された。
今回は自宅だった。
夫は意識は保っているが息苦しさを訴え、かかりつけの医師からも「その状態になったら遠慮なく救急車を呼んで欲しい」と言われていたこともあり救急車を呼ぶ事を決めた。
ただし夜中だったため、受け入れられる搬送先は限られていた。
そして、夫が入院する予定の病院は遠く離れており、救急車でも1時間以上はかかる。
「どうしますか?」
救急隊員から判断を委ねられ、とりあえず近くで受け入れて頂ける病院をお願いした。
そしてたどり着いた搬送先の病院で医師に
「今回は簡易的な処置をします。その後ご主人を移動させるのは得策ではないので、この病院で本格的に手術することになります。宜しいですか?」
と私に聞かれた。
同伴した家族は私だけであったから、その判断は私がするのが妥当なのだが、その時の私は自分に聞かれたことに狼狽えていた。
長く時間をかけてどの病院が良いか決めた夫の意向を無視してよいものか。
今となってはそんなこと言ってられないだろうと思うが、夫の並々ならない病院へのこだわりを知っていた私は、すぐに答える事が出来なかった。
そんな私を見兼ねた医師は処置中の夫の元へ行き
「手術します、いいですね」
と確認を取った
夫は朦朧としながらもお願いしますと言っていたと思う。
そして私は待合室に放り出され、しばらく呆然としていた。
ややあって、「私はなんてダメな妻なんだろう」という考えが頭を支配した。
そりゃ緊急なんだから、ここで処置する以外ないだろう
それでも、家族の同意がいるから医師は聞いたのに、私はすぐ答えられず、まごついてしまった。
これは今まで判断を夫に丸投げしていたツケだ。
家族の問題を当事者として考えられなかった私の怠惰だ。
そうしてボロボロと泣きながら待合室に佇んでいると、先程の医師がこちらに来た。
私が泣いているのをみて少しギョッとした様子だったが、とりあえず肺に穴が再び空いていたから、器具を入れて空気を送り込めるようにしたこと。その処置は成功したので安心していい事を伝えてくれた。
そして、少しぶっきらぼうに
「まぁ…怖いですよね…身内が救急車に運ばれるってあんま無いスからね…」と労ってくれた。
よく見ると私と同年代の若い先生だった。
私は自分の不甲斐なさに泣いていたのだが、その気持ちが嬉しくてお礼を言った。
そして、私は夫の入院部屋に案内され、ますます覇気のなくなってしまった夫を眺めた。
私がしっかりしないといけない。
ようやく、私はそんな気持ちが芽生えた。
(続く)
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