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「原宿系なんてやめとけよ」

「だから私決めたの、絶対に銀色の車には乗らないって」
ああもう自分が何の話をしているのか、さっぱりだ。どうして車の話なんて。大人みたいに。うん、もう大人なんだけどね、二十五歳だからね。大人だからバーの薄暗い店内のひんやりとしたカウンターにぐったり、額を預けて回らない口を精一杯動かす。
「一番汚れが目立たないからなんてそんな理由であんなにさ、高いものを買うなんて信じられない。自分の持ち物よ?」
氷の解けたグラスに触れた手がべしょべしょに濡れる。真っ赤なネイルがガラスで耳障りな音を奏でてさ。丁寧に作った縦巻きツインテールを振り上げて口を付けても、既に中の液体はほとんど失われていて、チェリーの香りだけがぷんとした。私はバーテンに、おかわり、って言って、なんでもいい、って言って、またカウンターに突っ伏した。縦ロールがぐしゃぐしゃに絡まる。
「赤い車か青い車」
「ねーユミ、」
「赤い車か青い車かどっちがいい?」
「ユミ大丈夫?」
隣から控えめな腕が伸びてきて、私の肩に触れる。冷たくもあたたかくもない、体温。塗ってるんだか塗ってないんだかよく分からないヘンテコなうすピンクのマニュキアを塗ったその指。ピンクゴールドの小さな時計を、文字盤なんか読めなくてもいいのよみたいに乗せたその手首。大丈夫じゃない、大丈夫じゃないわよ。そもそも、
「どっちがいいかって、聞いてるんだけど」
ためらいの手を跳ね飛ばすように起き上がって左に顔を向ければ、ぐらつく視界におんなじような茶髪がふたり。手を伸ばしてきたのがハルカでその隣がカナコ。友達。
友達だ。高校時代からの、古い友達。仲良しで、一緒にディズニーランドにも行ったし、誕生日も祝った。茶髪で、つまんない白いブラウスに、きれいめなデニムかぼんやりした花柄のフレアスカートを履いた、私の友達。
「あたしは赤かな」
「どっちでもいいや、ユミは?」
ずっと私ばかり、喋って酔っ払っておちゃらけて。そりゃあなたたちが強制したわけじゃないけど。だけど私はいつもそういう役回りで。いつのまにか新しく来ていたグラスの、透明なアルコールを一気に空にして、立ち上がったら頭がぐらぐらぐらぐらした。
「私? 黄色一択、たばこ吸ってくる」
店内禁煙。バーのくせに生意気。厚底ブーツで音を立てて階段を上る。
「ちょっと気を付けてよ~」
「酔っぱらい!」
キャイキャイと黄色い声が、なんでこんなに耳障りなのか分かんない。知らない。知らないけど今日は私、機嫌が悪いみたい。

道路の端っこにしゃがみこむ。大きなフリルのスカートは膝に挟んで、汚れないように。いかつい銀色のジッポで火をつけてバニラフレーバーを吸い込んで、もくもくと煙を吐き出す。なんてみじめ。カラフルなうさぎ柄のブラウスが余計にみじめ。みじめなヤク中。たばこは溜め息をつかないと吸えない。
はじめてこれを手に入れたのは、高校生のときだ。かっこいいと思ってた。たばこを吸う女の人は、強くて、ちょっと悪くてイケてた。あの頃の私は個性のない奴を見下して、地味な奴を鼻で笑って、親の財布から金を盗んで買った完璧なコーディネート——戦闘服、に身を包み、細くて甘いたばこを吸った。ユミちゃんは無敵だった。いつまで私は少女でいられた? 知らぬ間にたばこが似合うただの大人になった私は、強くもなければかっこよくもない。個性的だね、変な人だね、なんかすごいね、ってレッテルを貼られて身動きが取れない、なにもできない。カリスマなんかになれないよ。それでも強いふりをして、笑われることに甘んじて、おちゃらけているのはたまにすごく、疲れるから、煙を吸い込むと涙が出ちゃう、ぼろぼろ。派手で可愛いみじめな大人は汚い道路でみじめに泣いてる。カラコン取れそうになる、泣くと。
同じ目的で店から出てきたらしい男の人がポケットをごそごそやったあげく、「火、もらっていいですか」とか。ダサ。こんなところで泣いてる私が一番ダサいけど。
「あげます」
「え」
「禁煙するんで」
「あ、へえ、いや」
スーツのポケットにジッポを滑り込ませて、階段を下って店に戻る。それビンテージの、めっちゃ高かったんだから。すごい可愛い、トラの顔がついてる。でも、あげます。
「あ、ユミおかえり」
「たばこさあ、やめないの?」
「そうだよ、肺に悪いよ」
私の、とっても素敵でとっても大切な友達のアドバイスに大きく、頷く。
「うん、だから、やめてきた」
目を丸くして、またキャイキャイ言うふたり。久々にディズニー行こうよ三人で。たばこやめた記念で、ね。私もそういうつまんない服、着るから。どういうことって、そういうこと。赤い爪も縦ロールも緑の目もフリルも厚底ブーツも今日で全部終わりにするんだ。ふたりみたいになれるかな。そうしたら、もっと……。

もっと楽に生きられるだろうか。きっとそうでしょ、それなら。

個性絶滅、私引退、さよなら永遠に!

だって私もそうやって当たり前のように愛されたい。

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