500円のお弁当
久遠チョコレートを取り上げた映画「チョコレートな人々」と、久遠チョコレートの社長夏目浩次さんが書いた書籍を読んでから、近くの社会福祉法人のお弁当を買うようになりました。
障がい者の工賃が安いだのなんだの言う前に、まずは実際食べてみなくちゃわかんないだろ、って思ったんです。
日替わり弁当500円。税込、送料込みでさらに大盛り無料。めっちゃお得でありがたいサービスです。食べてみても、フツウ(と言って良いかわからないけど)のお弁当となんら変わりはありません。
作業所で働く障がい者の収入ってどうなってるの?
障がい者が提供してるサービスだからといって、質が劣るわけではない(と私は思う)。なのに、たとえば社会福祉法人の工賃実績は月平均22,500円ほどらしいんですよ。しかもここが特別安いと言うわけではありません。単位時間あたりにできる量に、こんなにも価値の差があるってことなのでしょうか。
同じ価値を提供しているのに、なんで、健常者と障がい者でこんなに差があるんだろうって、消費者として思えました。年金があるから?まあそれはそうかもしれないけど、でもフツウに生きていくのに必要なお金を自分で得られないような仕組みにしているのも良くなさそう。鶏が先か、卵が先か、です。
ああこれが夏目社長が言ってたことかと、自分ごとになりました。
そしてこの問題はきっと、健常者同士でも仕事ごとの賃金の差があることにも通ずるかもしれないなぁと……。ワーキングプアも、良くないですよね。
気がついてしまった自分の矛盾
ただ。こんなに理想を語ってはいるけれど。正直、そのお店のお弁当を気に入っている大きな理由の一つが「安いから」だって、自覚したんです。で、それって私があまり好きではない「価格競争」そのもので。
自分が良いと思ったものを適正な価格で買うことが、持続可能な社会につながるんじゃないかなって思っているはずなのにと、自分の矛盾に気がついてしまいました。
前から大量生産・大量消費にモヤモヤしてたんです。安さを求めすぎて、生産者やら輸送者やら、関わる人間に無理させていると思えて。
だから、障がい者の方が作った商品を、単に「安いから」って理由で買うことも、この問題と無関係じゃないなと。モヤモヤします。
これは本当に私の勝手な理想なんですが、お互いを尊重し合える持続可能な社会になっていけばいいなって思っています。
上手く言えませんが、明日目が覚めた時、日本のどの立場の人と入れ替わっていたとしても、世の中への不満が変わらないといいなって。それから、日々を楽しく生きれたらいいな。
今は世の中に満足してても、他の境遇になった途端に文句言うって、みんな幸せがいいよねって子供っぽい考えが抜けない私としては、ちょっとダサいことで。だから、今回の話で言えば、自分が作業所で働くようになってから「賃金が安すぎるじゃないか!」って言うのはダサいってことになります。
サービスに対する対価なら、誰がそのサービスをしたとしても、同じサービスなら同じ価格じゃないと、モヤモヤします。
「障がい者が作っているからこの値段じゃないと買ってもらえない」と本人も周りも消費者も思っているとしたら、そう思われている消費者として自分を許せないなぁと。
まだ自分の中で決着はつかないけれど。
このモヤモヤにはまだ答えは出ていません。
確かなのは、毎日献立表を見る楽しみができたこと、誰かの手作りのごはんを食べれて幸せだなぁと思っていること、1つしか注文しなくても持ってきてくれること、作る人の顔が見えるお弁当であること。これは私にとって頼む理由としては十分なはず。
もし倍の値段になったとしても、高すぎる!なんて、言いたくない。
障がい者の方の労働と対価の問題って、簡単に答えの出せる問題ではないのでしょう。私がやっと気がついただけで、何十年も前から議論されているはず。
でも、一消費者として、自分の消費行動を見直すことから始めようかと私は考えてます。品質と生産者支援、両方の観点から、本当に価値のあるものを選んで買う。そんな意識を持って、日々の生活を送っていきたいなって思います。