J

久しぶりに会ったJくんは起業していた。

やりたい事があると言っていたし、いつか何かやる人オーラを発していたけど、いつかはすぐだった。

私はいつかこんな風になれたらいいなぁ、なんて事を書いているノートがあるのだけど、振り返って見てみたら3年前のページに昨日書いた言葉と全く同じ文字を見つけた。
はい、3年間、無駄。      
            

息子と言っても通じるくらい年の離れた目の前の若者は、1年半前の冬の日に、フリーランスのパーソナルトレーナーになったばかりの初々しい笑顔で私の前に現れた。

当時まだまだ小さかった彼の子供は、今年の海の写真ではやんちゃそうな顔をして父親に肩車されていた。

3年あれば、この子は産まれて立って歩いて走って、パパなんて嫌いとかいっちょ前にケンカ売ってくる位になるんだと思うと、自分の失った時間の重さに愕然とした。
             


Jくんとは、私が失業と失恋に同時に襲われストレスで暴飲暴食に明け暮れているドン底真っ只中で出会った。
惰性で通っていたジムで惰性で適当フォームのトレーニングをしていた時、Jくんは私に正しいフォームを教えてくれたのだった。

なんだかとても嬉しそうに仕事をしている姿は見ていて清々しく、私は羨ましいと感じた。
どうせ他にやる事もなかったし、いや、もしやる事があったとしても、私はJくんに何かを感じて彼のトレーニングを受けてみることに決めた。

初回からJくんは親しみやすく爽やかで、何より本当にイキイキと嬉しそうに仕事をした。
そして私もその姿を近くで見られるのが嬉しかった。

Jくんはお客である私を楽しませようというより、自分が嬉しくて仕方ないのが溢れ出て、こちらがそれに感染してしまうのだ。

私はトレーニングよりJくんが気になって仕方がなかった。

かなりハードなメニューをこなした後、汗だくでヘロヘロになっている私にJくんは嘘偽りも一切の曇りも不純物もない100%完璧な満面の笑みで「トレーニング、楽しいですね!!」と当たり前のように言った。

楽しい??

「楽しい」を辞書で引いた時の意味はもちろん分かっている。
けれどその言葉と今の自分の状態が全く噛み合わず、私は混乱してフリーズしてしまった。

楽しい??のか??
こんなしんどい事が??

太るのが嫌だから、仕方なく始めた筋トレ。
やらずにすむなら、やりたくない筋トレ。

私はパクチーが大嫌いだから、パクチーを喜んで食べる人の気が知れない。
でもまだパクチーなら食べ物だからそれが好きな人がいる事は頭で理解できる。
今回のは、バリウムは美味しいと言われたみたいな感覚か、それ以上に理解不能だ。

こんなしんどい事絶対に楽しいわけねーだろ、
と思うけれど、Jくんは本心から言っている。

私は急にトレーニングに興味が湧いてきた。
正確には、このキラキラと眩しい若者をここまで夢中にさせるもの、もしかしたらこれこそがキラキラの元なのかも知れないという仮説とそれを確かめてみたい探究心が湧いたのだ。

そんなキラキラの元があるなら、私も手に入れたい。この若者のいう言葉を信じてみようか。
こんな眩しい輝きが手に入るのなら、私は騙されてもいい。
いや、むしろ騙されたい。

Jくんはいつも必ずその日一番しんどい時に楽しいですねと言った。
それがトレーニングの事だとは分かっている。
でも正直私はトレーニングではなくJくんとの時間が楽しかったし、Jくんにとっての私もそういう存在であって欲しかった。
身体は疲れていて色々と説明する余裕は無かったし、そもそも正直に話すのは躊躇われた。
しんどさと差し引きしても楽しいのだから、もうひとくくりで楽しいでいいやと思った。
                     



いつしか私はJくんとの時間を心待ちにするようになっていた。

Jくんは鍛えたトレーナーらしい身体をしていて、その身体でトレーニングのフォームの手本を見せてくれる。
無駄のない美しい身体が美しい動きをすると、人間の身体は芸術的なのだと気付かされる。
つい鑑賞に集中してしまいそうになりながら、その手本を真似してトレーニングを学ぶ。

そんな日々を過ごすうち、私はある時から身近な人達にそんなに鍛えて何がしたいのか、どこを目指しているのかと揶揄され始めた。

Jくんにその話をすると、思いがけない反応が返ってきた。

何言われても自分の思った事をやるんです!!

いつもの笑顔は消えて、まっすぐで強い眼差しがそこにあった。
その時私は初めてJくんの飄々とした軽やかさの裏には、欲しいものを得るために何かを失う覚悟や決してスマートとは言えない泥臭い努力があるのだと知った。
                

それから私は自分でも驚くくらい真剣に取り組んだ。
何か大切なお祈りをしているような感覚だった。
本当は、トレーニングをマスターするより、痩せるという結果より、私はトレーニングというものを通してJくんの考え方や生き方を学びたかった。
私はJくんのように生きてみたかった。

Jくんは楽しそうにしながらも、時々真顔で私に厳しい言葉を発するようになっていた。
それは決まって私が慣れた動作を軽んじて手を抜いたり、できるからと調子に乗って基本を疎かにした時だ。

Jくんの思想はいつもブレが無く、地味な事ほど丁寧に地道に続ける、というものだった。

飽き性の私には、単調な繰り返しの中に喜びや楽しみを見つけていく体験は新鮮だった。

そして所定の回数のプログラムは終了し、私は勤務地の都合で通っていたそのジムを去った。
Jくんからも卒業なのだ。

まだ目に見えてハッキリと分かる変化は現れていなかったけれど、何かが少し変わった気がした。
これから励ましてくれるJくんはもういない。
でも、自分は頑張れるはずだと信じられた。

      

そして、何度か季節が変わりタンスから引っ張り出した以前の洋服が軒並み緩くなった頃、私は新しい仕事を結構楽めていて、なんだかんだで元サヤしていた。
気分もお尻も上がって腹筋には縦線も浮き出てきている。

トレーニングはキツくてしんどいけれど、それをひっくるめて楽しく続けている。
好きが高じてもう少し本格的な環境のジムに移るまでになった。

毎日それなりに満足感はあるけれど、元気になった心と身体を使って何か新しい事を始めたくなってきた。

やりたい事はある。
けれど、曖昧な夢のまま、独り言のように出来たらいいのになと秘密のノートに呟くだけで行動せずに終わっていた。

そんな折にJくんが何やら始めたらしいと聞いて、今日会いに来たのだ。
          

                     


小さな白いテーブルの向かいに座っている相変わらずキラキラしたJくんに私は聞いた。

ねぇ、チャレンジするって、楽しい?

あの時と同じ嬉しさを隠せない様子のJくんの表情が一段と明るくなり、とびきりの笑顔から今まさに言葉が溢れ出ようとしていた。

きっとまた、私は彼に騙されるのだろう。

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