#最後の勇気



 遠く、山の向こうのそのまた向こうで戦争が起きました。隣の国とその隣の国が、きっかけもわからずに戦いはじめたのです。

 国の兵隊たちは、自分たちの場所を取られまいとして、国中ぐるりと戦車で取り囲みました。そこから長い長い戦いになりました。


 ある日、ジャムおじさんたちの暮らす山間にも、兵隊たちがやってきました。ジャムおじさんたちが驚いていると、偉い兵隊の一人が、国のためにみんなの持ち物を差し出すように言いました。みんなの役に立つからということで、アンパンマンたちのマントも、パンを焼くための薪も、窯も取られてしまいました。


 自分たちの暮らしができなくなったジャムおじさんたちは、国の役に立つために、みんなで戦争のための武器を作る工場で働くことになりました。


 同じ頃、ばいきんまんも兵隊たちに捕まり、ロボットを作る技術を買われて、武器の研究所で無理やり働かされることになりました。最初は嫌がっていたばいきんまんも、銃を突きつけられたらたまりません。静かに協力することになりました。それでもある日、ばいきんまんは見つからないようにこっそり作っていた脱出用ロボットで、研究所から逃げだしたそうです。


 懸命に働いていたジャムおじさんたちも、段々とくたびれてしまいました。役に立つためにと、食べるものもろくに与えられず、みんなは弱っていきました。

 そうしているうちに、ある日、ジャムおじさんは倒れてしまいました。三日三晩咳き込んだ後、そのまま息を引き取りました。みんなが悲しみにつつまれました。その時にはじめて、アンパンマンたちは、もう二度と自分たちの新しい顔が作られることのないことに気がついたのでした。

 誰もが日がたつにつれて弱っていきました。元気の無くなったしょくぱんまんもカレーパンマンも倒れて、そのまま起きあがれなくなってしまいました。


 そんなある時、大変な事態が起きました。みんながいた街の上空に、隣の国の飛行機が突然あらわれて爆弾を落としたのです。街はたちまち真っ赤な炎で燃え上がり、ありとあらゆる建物が崩れていきました。武器の工場も全て吹き飛ばされてしまいました。燃えさかる炎の中、かろうじてアンパンマンだけが這い出して抜け出ることができました。アンパンマンはよろける足取りで、必死に街の外れの森まで歩きました。

 

 森の中で、少年のうめく声が聞こえました。ひどく怪我をしているような、か細い声でした。アンパンマンは声のするほうに歩いていきました。すると小さな少年が木の根本に倒れたまま、苦しそうにうめいていました。少年はいまにも餓死してしまいそうなほどにやせ細り、弱っていました。それでも爆撃から逃れるためにひとり必死で逃げてきたようでした。


「すぐに助けないと、たいへんだ」アンパンマンは思いました。しかし、飛び立つためのマントもなく、少年を抱えるだけの力も残っていませんでした。自分の顔も埃にまみれていて、普段なら食べられそうな状態ではありませんでした。それでも、今の少年の空腹なら運よく助けられるかもしれない。自分の命をかけてでもこの子を空腹から救ってやりたい。アンパンマンは思いました。それが僕の生まれてきた理由じゃないか、と。


 少年はぼんやりとした意識の中、目の前に大きなパンが現れるのを感じました。

「どうぞ召し上がれ」誰かが優しく言いました。少年は力をふりしぼって、一口食べました。なんとかパンを飲み込むと、温かいような、安心した気持ちが小さく生まれてくるのを感じました。それから一口、また一口と食べました。


 アンパンマンの体は、ゆっくりと少年のもとを離れると、木陰で静かに倒れました。

 その時、風が吹きました。アンパンマンの体は小さな光の塵となり、ほうき星のようにどこかに飛んでいきました。


 痛いほどの空腹を逃れた少年は、ふと自分のお父さんもお母さんも、大切に思っていたかわいい妹も爆撃でやられてしまったこと、そしてもう会えないということを思い出しました。

 少年は胸が張り裂けそうになり、喉が潰れるくらい泣き叫びました。遠くで戦車の音が聞こえましたが、少年にはもう関係ありませんでした。少年は泣き終えるとその場で気絶するように眠りにつきました。しかし誰かに見守られているような安心に包まれていました。


 少年が目が覚ますと、自分の周りを兵隊たちが囲んでいました。少年は驚きました。

「大丈夫かい、君」兵隊の一人が聞きました。優しい声でした。

 少年は兵隊の姿に怯えながらも、彼らが自分を攻撃しないことを不思議に思いました。

「落ち着いてくれ、君を助けにきた」兵隊は言いました。

 それでも少年は信じられませんでした。

 じっと座ったまま動かない少年は、兵隊の一人になかば強制的に担がれて、車に乗り込みました。

 


 月日は流れ、お金を使い果たした国同士の戦争は終わったようでした。

 みんなは、なにもなくなってしまった街を眺めました。

 少年と同じように生き延びた人たちは、車で運ばれ、爆撃の被害の小さかった別の街に移り住むことになりました。

 

 食べるもののない少年はその後、運よくパン屋に雇われて、働くことになりました。

 毎日が大変でした、やることがたくさんあって、仕事に厳しい主人には怒鳴られるし、小麦粉の袋は重いし、眠る場所と、その日に自分が食べる僅かなぶんを手に入れるので精一杯でした。

 それでも少年は負けませんでした。

 少年の心の中には一つの決心がありました。

 作りたいパンがありました。

「あの味のパンをつくれないだろうか」少年は思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?