キャベツとトマトは比べられない
こんにちは、ガレットです。
梅雨の晴れ間ですね~。気持ちがいいです。
今日は「比べる」ことについて書いていきます。
私は昔からよく人と比べては自分が劣っていることに気づき、落ち込んでしまうタイプです。
人と比べてはいけないとよく聞きますが、ずっと疑問に思っていたことがありました。
「大人たちは比べるなと言うけれど、世の中にはコンテストやショーレースや会社の中では出世というものがあって何かと比べているではないか。」
ずっとモヤモヤしていました。
最近ついにそのモヤモヤが晴れました。頭の上に電球マークが出るイメージです。
(ここからはあくまでも私の持論ですので、そこはご了承ください。)
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”「比べる」こと全てがいけないという訳ではなく、比べる意味のない物事同士を比べることがいけないのだ。”
ここからわかりやすく例え話をします。
まずは、”良い”比べ方の例えです。
ある日、スーパーに野菜を買いに行きました。
今日はキャベツを使って何か作ろう。う~ん、どれが美味しそうかな。。重たい方が詰まっている感じがしていいのかな?色が鮮やかな方がいいのかな?……よし!これに決めた!
この比べ方は”良い”と思います。
なぜなら、同じ品種の野菜で、同じ産地で、同じような味で、同じような栄養素で、、、、ほぼ同じもの同士を比べていることになります。
一方で、次はどうでしょう。”意味のないような”比べ方の例えです。
野菜をスーパーに買いに来ました。
今日はキャベツを使って何か作ろうっと。どれが美味しそうかな~。
キャベツを右手に持ち、トマトを左手に持って悩みます。
どのキャベツが美味しいのかな~??
ん??変ですよね?明らかに変ですよね?
美味しそうなキャベツを買いたいのに、どうしてトマトと比べているのでしょうか?
おわかりいただけたでしょうか?何言ってんねんこいつ、頭おかしいんちゃう?と思われた方もいるかもしれませんが、辛抱して続きも読んでくださいね。
つまり、今まで私はキャベツとトマトを比べて落ち込んでいたわけです。
まだ何言ってるかわからないって??ではもう少し説明します。
【人間界では】コンテスト、ショーレース、会社の中での出世などは、ある一つの同じ目標に向かって皆が切磋琢磨しています。もちろん、個々の実力も違えば、性格も、育ってきた環境も違います。しかし、同じ目標に向かうことで、比べることに意味が出てきます。
もし、比べた結果がよくなくても、目標が定まっている分、改善点を見つけて次も頑張ろうと思えます。瞬間的に落ち込むこともあるかもしれませんが、結果的にポジティブになれます。
【植物界では】野菜の赤ちゃんたちが「おし!美味しいキャベツになるぞー!」と同じ目標に向かって育っていき、最終的に農家の方や消費者が比べて選びます。
なんか似てません?
その逆で
【人間界では】家から一歩外に出て、公共の場にいるときに周りの人と比べたり、テレビを見て誰かと比べたり、SNSの投稿を見て聞いて自分の今置かれている状況と比べたり、親から兄弟姉妹と比べられたり、、、
これらは結局キャベツとトマトを比べているのと同じではないでしょうか。
生まれた所も違えば、育った環境も違う、生まれ持った能力や性格や性質も違う、考え方や捉え方も違う、容姿も違う、、、、挙げればきりがありませんが異なることだらけです。
キャベツとトマトを比べても、どのキャベツがより美味しそうかなんてわかりっこないなら、同じ目標を持っていない何もかもが違う人同士を比べても仕方ないですよね。
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大人たちはきっと、「キャベツとトマトを比べてはいけない。ストレスになるだけだ。」と言っていたのかもしれません。
他人と比べて落ち込まない人なんていないのかもしれません。
様々な異論はあると思います。私もこの考えが合っているのかがわかりませんが、まあ、こう考えると人と比べるなんて馬鹿らしいなと思える気がします。
何か一つの目標に向かって競い合うのは、間違った比べ方をしていなければ、それはその人にとって生きる張り合いになりますし、悪いことではないと思います。
これからは、意味もなく人と比べることを止め、心穏やかに暮らしていきたいものです。
今回は以上です。
ご覧いただきありがとうございました。
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