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 「うなぎを食べよう」と父がメールをしてきたのは去年の夏の夜だった。今でもそのメールは私のスマホに保存されているし、その気になれば正確な時刻まで確かめることができる。そんなことに意味はないけれど。
 その夜、最初に思い浮かんだのはなぜか夫の顔だった。しかし、夫からは今日遅くなるというメール(終電より3つ前の電車、夕食は不要、予定変更の場合は再度連絡する)が夕方には既に来ていた。子どもはもう寝ている。私はリビングで一人メールを眺めていた。
 うなぎを食べることについて、私は現代においては禁忌に近いと思っていたのだけれど、世間一般の認識とはずれがあるらしい。夏になれば特売のチラシが入るし、近所の牛丼屋も土用の丑の日からはメニューにうなぎの文字が並ぶ。絶滅危惧種に指定されているというのが嘘みたいだ。いずれにせよ、私の信条と父のメールの内容には埋めようのない落差、もしくは断絶があった。
 日程を理由に断ればよいかと思ったが、前日に母と「専業主婦になったら時間ができた」という話を電話でしてしまっていた。恐らく父はその会話を聞いていたはずで、その理由は父を不機嫌にさせるだけだろう。
 返事を明日に先延ばし、子どもが熱を出したことにしようか、とも考えた。これは無理のない断り方だと思ったが、私の信条として、子どもを大人の事情に巻き込むことは避けたかった。
 ならば自分が熱を出したことにすればよいのではないだろうか。だがその場合、母親の態度が心配であった。恐らく世話焼きの母は、それはまあ大変と、自宅にまで押しかけてくるだろう。そして、子どものころと変わらず、チキンスープを私に作り、うちの夫と子どもには以前好評だった春巻きを揚げるに違いない。考えただけで胸やけがしそうであった。
 三つ対処方法を考えただけで既に嫌になってきてしまった。誰かに相談したかったが、友人に「どうすればうなぎを食べずに済むか」という内容でメールを送ることが”空気を読まない”ことであることぐらいは理解していた。夫は恐らく私の意見に真剣に耳を傾け、ある程度適切なコメントを述べてくれるだろうことは想像に難くない。だからこそ、夫に相談するのは何か気が引けた。その意味で、私は孤独であった。
 その帰結として、私はトイレにいるどじょうに相談をすることにした。このどじょうは、昔子どもが商店街の夏祭りで捕ってきたものだ。私は生き物の世話は苦手なので極力しないようにしていたのだが、むやみに川に放流することも私の信条に反していた。仕方なくネット通販で一番安い水槽とエアキュレーションを買って育てていたのだが、夫からやんわりとモータ音についてアドバイス(「もう少し静音性の高いポンプがあるようだから買っておいたよ」)をもらい、寝室から一番遠いトイレに住処を変えることになった。
 住処をトイレに変えてみると、これはこれで多くのメリットがあった。まず、トイレは必ず毎日行く場所であるから、自然と水槽の様子を頻繁に見ることになった。水換えの時はそのままトイレに流せるので、これも意外と世話の手間を減らした。夜中トイレに行きたがらない子どもに、「どじょうさんの様子を見に行こう」と声をかけることで、オムツの卒業を早めることができた。また、手持無沙汰になることが多い排せつ作業の途中で、穏やかな水辺の風景を眺めるというのも悪くはない。
「うなぎを食べることについてどう思う」
 スマホと小型扇風機を持ち、私は便座に座ってどじょうに訊ねた。どじょうは模型の土管の脇でエラ呼吸をしていた。無論、人間の言葉をしゃべる気配はない。
「君はうなぎとは親戚なの?」
 ネットで調べると、うなぎは「ウナギ科(Anguillidae)」で、どじょうは「ドジョウ科(Cobitidae)」だった。つまり、あまり血縁関係はなさそうということになる。人間でいえば他人の空似というところか。しかし、私の自宅に、うなぎを語れる相手でこれ以上最適な生き物は他にいそうになかった。
 いっそのこと、父に昨今のうなぎをめぐる情勢について語って聞かせようかと考えた。絶滅危惧種に指定されていることはもちろん、稚魚であるシラスウナギの七割が違法に流通したものであり、それが、いわゆる反社会的勢力の懐を潤しているのだと。うなぎを食べることはこのような社会的側面から見ても現在、大手を振って推奨されるべきことではない。
「ヤクザの片棒を君も担ぎたくはないでしょう」
 私はひげを揺らしているどじょうに言った。「その資金でもし彼らが人殺しをしたのであれば、私たちにもその責任の一端があると思わない?」
 思わない、と父は言うだろう。というか、父は私の話を最後まで聞かず(たぶん「絶滅危惧種」あたりで)、不機嫌そうな目でじろりとねめつけてくるだろう。電話であってもメールであっても、私にはその視線が感じられるはずだ。父はいつもそうだ。
「なんでうなぎなんだろう」
 そもそも父はなぜうなぎに拘るのだろうか。なぜかまた、夫の顔が浮かんだ。どうしてだろうと今度は真面目に考えてみると、初めて実家に夫を連れて行った時のことを思い出した。
「骨のないやつだ」
 あれは初めて夫を父と会わせた時だ。
「骨のないやつだ、あいつは」
 夫のことを、父はそう評した。らしい。私が直接聞いたわけではない。後日、母がぽろりと、私の妹にそう言っているのを盗み聞いたのだ。
 初めて父と会った夫は緊張はしていただろうが、大きくは普段と変わりなかった。だが、父が歓迎していなさそうなことは、父の顔から私はすぐに気が付いた。もちろん、より付き合いの長い母は先に気が付いており、あれこれと夫に話題を振っては、場を盛り上げようとしていた。夫はどう思っていたのか、今でも私は知らない。
「いや、うなぎに骨はあるでしょう」
 それを言うならくらげじゃん。私はそう独りごち、それでも確かに、父の評はわからないでもない、と思った。夫は確かに、うなぎのように、どじょうのように、へびのように、どこかすらすらしていて、つかみどころがなかった。それは昔も今も変わらない。そして、変わらないのは、夫の大切なところでもある。
 私はどじょうを見た。どじょうはひげをゆらゆらさせて、黙っている。
 そろそろ私は腹を決めて、仮に自分がうなぎを食べに行くことを想像してみた。待ち合わせの場所を決め、メールを送り、父と会うのだ。父の指定した店には行ったことはないが、ホームページにはお決まりの松竹梅のお品書きが書いてあった。より環境に貢献するなら、やはり価格の高い松だろうか(五千円する)。松にしよう。注文を済ませた後、私はお茶を飲み、父は扇子で自分をあおぐだろう。父が話しかける。「最近どうだ」とか「毎日暑いな」とか、そんな当たり障りのないことだ。私も、「時間ができてちょっと太ったの」とか「ちゃんと冷房つけてる?」とか、そんな当たり障りのないことを答える。やがてうなぎが重箱で届く。もし父のがまだ来なかったら私はしばらく待つだろう。父は「先に食べなさい」と言うだろう。しかし私は父の頼んだものが届くまでやっぱり待つだろう。私は重箱の蓋をじっと見つめる。蓋の色はたぶん黒とか、漆っぽい感じだ。父は困ったようにぱたぱたと扇子で襟元をあおぐ。それでもまだ届かなければ、私は割り箸袋にプリントしてある店名の変体仮名を読み解こうとする。どうしてこの字を「な」と読むのだろう。やがて父の頼んだうなぎも届く。私は蓋を開け、父も蓋を開
「結局、君はうなぎを食べたいの? 食べたくないの?」
 どじょうがそう訊いた。もちろんどじょうは喋らない。エラ呼吸をしているだけだ。だからどじょうが質問したわけではないのだが、便宜上、私はどじょうが訊ねたことにした。
「食べたい」
 私は即答した。「絶滅なんて知ったこっちゃない。ヤクザのあぶく銭も人殺しも私は知らない。うなぎの腹をかっさばいて串にさして、毎日継ぎ足してる五十年だか百年だかの秘伝のタレにつけて炭火でこんがりじっくり焼いたそれを、初めは匂いで味わって、まずは身を箸で小さく切った後に、ごはんなんかは無視して、とにかくその一切れを堪能したい。サスティナビリティはその後だ!」
 「サスティナビリティ」の辺りでドアが開き、夫が帰ってきた。夫はためらいがちにトイレのドアを二回ノックし、「帰ったよ」と私に声をかけた。私は誤魔化すようにトイレの水を流し、ドアを開けた。
「お義父さんと何かあった?」
 夫は的確な質問をしたが、的確過ぎるがゆえに、私は笑って「何でもない」と答えた。夫もそれ以上は聞かず、シャワーを浴びに行った。私は返信することを決意した。
 しかし、結局私は父とはうなぎを食べに行かなかった。翌日、夫がケガをしたのだ。
 駅の階段で転んだということだった。最初は気にしていなかったそうだが、会社に着いたころには胸の辺りが耐え難いほど痛くなり、早退して病院に行ったところ、肋骨が折れていたということだった。
「あなたも折れるんだ」
 電話口で思わずついて出た言葉に、夫は「どういう意味だよ」と、さすがに不満そうな声を出した。私は笑って答えなかった。
 父に事情を電話で説明すると、「それは大事にしなさい」と、思ったよりも優しい口調の返事がきた。ありがとう、と私は最後に言って、電話を切った。切った後で、昨日の夜の食べられなかった松のうな重のことを考えた。それはとてもいい香りで、私は山椒を一振りし、箸で身の端を小さく切ると、一口で食べた。もしかすると。私は思った。父も今、電話を終えた後、頭の中で、食べられるはずだったうなぎのことを考えているのかもしれない。松か竹か梅か、それはわからないけれど。
 そんなことを私は、父の骨を拾いながら、ずっと思い出していた。