「男の子になりたかった女の子」なのだろうか

私は10年くらい前から東方神起という男性グループを応援して(今どきの言い方をするならば「推して」)いて、それが「誰かのファンになる」ということの初めての経験だった。

当時高校生の私は、家ではYouTubeやライブDVDを見漁り、ハングルでメンバーの名前を書けるように練習し、韓国語の歌詞を和訳したものと照らし合わせながら歌えるように練習したり、韓国版と日本版のMVを見比べたり、メンバーが出演していた過去のラジオの音源をネットの海から探し出してひたすら聴いたりしていた。

時は流れ、
20代前半の恋愛にかまけている時期は男性アーティストを応援する熱も冷めがちになり、
20代中盤は仕事や子育てで手一杯になったりしながら、
なんとなく東方神起のことはSNSでぼんやり追うくらいになってしまった。

そして現在、私はJO1とOWVという男性グループのファンクラブに加入して、応援している。

2年ほど前にオーディション番組を見たのがきっかけだった。

今日は有明アリーナで行われたJO1の2ndアリーナツアー『BEYOND THE DARK』を見に行ってきた。

のちのち、このツアーの円盤(※DVDのこと)を家で見ながら、「この公演は現場行ったんだよな〜」「このとき誰々がこんなトークしてたな〜」なんて懐かしく思い出すんだと思う。

ちなみに強運を発揮しアリーナ席の前から10列目だったので肉眼でしっかりJO1全員の顔どころか身体に貼っていたタトゥーシールまで見えた。いとありがたし、、、

JO1にせっかく会えるのだからと、女の子たちはとびきりお洒落してくる。
可愛いワンピースやマーメイドスカートを履いている子が多い印象だ。
中には浴衣を着ている子もいたし、ライブグッズのTシャツやベースボールシャツをアレンジして着る子もたくさんいる。

私はというと、JO1にお目にかかれるとしても服装は普段と変わらずユニセックスな雰囲気のカジュアルなスタイルである。
メイクだけはお見苦しくないようにいつもより丁重にコンシーラーを塗り込んだりアイラインを引いたりはする。

私は、たぶんだけど、JO1に可愛いと思ってもらいたいわけではないのだと思う。

さて。
かつて東方神起を応援していたころの私は、割と本気でチャンミンさんのことを好きだった。人間としても、男性としても好きだった。

もちろんチャンミンとどうこうなりたいと思っていたわけではないけれど、私にとって、5歳年上のかっこいいお兄さんだった。

東方神起のライブに行く日は、「もしかしたらチャンミンと目が合うかもしれないからなるべく可愛くしていかなきゃ。いや、チャンミンは綺麗系の方が好きそうか? じゃあタイトスカートでも履いていくか?」
そんなことを考えたものだった。

この間までなかったのに彼の耳にピアスの穴が開いただとか、ドラマでキスシーンがあるだとか、そういうことにいちいちキャッキャと騒いで、夢にチャンミンが出てきたらいいのにとほぼ毎日思っていた。

いまの私はどうかというと、自分の人生経験も年齢もあのころと比較すると重ねており、応援しているJO1は全員自分よりも年下だ。

自分が産んだのが男の子だというのもあり、なおさらJO1のことは、弟や息子(※さすがに息子というのは不可能な年齢なのだが)のように、見守っている感覚がある。

ただ、弟や息子を見守るのとは決定的に違うのは、「ぎゅん」とくる感情があるかどうかだ。
やっぱり、男性としてかっこいいのだ。

チャンミンには可愛く見られたかった私が、JO1には「別に可愛いと思われなくてもありのままの自分でもいいや」と思いながら会いに行く(※オタクはライブを見に行くことを会いに行くと表現しがち)のは、
おそらく私の自分自身のあり方に対する考えの変化があるのだと考察する。

結婚するまでの私は、できれば「女らしく」見られたいと思っていた。
モテたかった。選ばれたかった、なるべく多くから好かれたかった、んだと思う。

自分らしさとは何か、なんていうのはあまり考えたことがなかった。

みんなが履くなら自分もミニスカートを履くし、似合うかどうかは置いておいてとりあえず髪を伸ばした。

そのころの私が悪かったとは言わない。当時の私なりの生存戦略だったのだと思う。よくがんばったと思う。

これもたぶんだけど、
私は、一つの夢であり目標であった「子どもを産む」ということを達成した途端に「もう男の人にモテなくていいんだ」と本能的に判断したのではないだろうか。

元旦那さんと息子との関係性を良好に築き保つために「コンサバないわゆる女子アナっぽい服装」とか「女らしいふるまい」とかは必要ないと判断したのだろう。

(※もし元旦那さんがフェミニンなファッションが好みだったら私の本能がどう判断したか分からないけれど、彼は人の身なりに興味がなくどちらかというとカジュアルなスタイルを好む人だった)

私の「ありたい姿」は、男性的でも女性的でもない。

別に男らしくなりたいわけでもない。
スカートだって、可愛いから、履く。昔のようにミニスカートではなく生地のたっぷりしたロングスカートを好むようになったが。
アクセサリーも大好きで、こちらはわりとユニセックスなデザインを好む。

口調を男っぽくしたいとも思わないし、自分の性自認も女で別に気持ち悪くはないのだけど。

私は、男にも女にもなりたくないのかもしれない。

少し前に好きだった人のことを好きでいるのをもうやめようと決めてから性に対する嫌悪感も増して、男とか女とかそういうの嫌だなと感じるようになった。

男になりたいわけではまったくないのだけれど、別に女性としても見られたくなくて、とりあえず「私」として見られたい。

話はJO1に戻る。
私はたしかに、JO1を見ていると「ぎゅん」とする。胸にぐっとくる。「かっけぇ……!!」と心を鷲掴みにされる。目を奪われる。

「こんなふうになりたい」と、私は思っている。

さっき男になりたいわけじゃないと書いたのに矛盾が生じてしまった。

なれっこないと分かっているからこそ憧れる。

私は彼らみたいに背が高くならないし、鍛えても身体は大きくならない。彼らみたいな格好いい声は出ない。

奨くんとか景瑚を見てるとあんなふうに筋肉ついたらかっこいいな〜と思う。腕とか胸板とか、いいなぁと思う。

蓮くんとかるっくんを見てると、細くて綺麗だな〜いいなぁと思う。私は痩せているけれど、痩せている男性と痩せている女性とでは魅力が異なる(と私は思う)

残念ながら私は彼らみたいにお尻が小さくなったりしない。なぜなら私の身体は女性の身体だから、骨盤がしっかりしていてお尻も大きくて、根本的に造りが違うのだ。

だから、彼らのファッションを見て、「うわー、ああやってトップスをハイウエストでインしてゴツいベルト! あのストレートでストンとした腰のラインかっこいい! 真似したい!」と思いながら、「でも、私が同じ格好をしたってどうやってもああはならない」と軽い絶望を覚える。

私の性自認に関しては、いまかなりグラデーションの段階にあってアイデンティティが揺らいでいる時期だろうから、考えは今日の日記ではまとまらない。
これからも一生ふわふわしたままかもしれない。


今日、JO1からはシンプルに、「私もがんばろう」という勇気と力をもらってきた。

彼らのオーディション番組やドキュメンタリー映画では泥臭い努力の過程を見てきた。
アーティストになることは彼らの夢であり、その夢が叶った今、ファンである私たちを幸せな気持ちにするために、一生懸命に練習して歌って踊ってパフォーマンスして、私たちを励ましてくれる。

「みんなにとって幸せな時間になりましたか?」「僕たちはこうやってライブできることを当たり前と思わずにこれからもみんなに会いにきます」「また会おうね」

夢を配る、本当にすてきな職業だと思った。音楽に乗って、歌ってペンライトを振ってキャーキャー騒いで、みんなが笑顔になった。

ありがとう、大好きです! 私の憧れの存在です。

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