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ギャル、怖い

総じて昔からギャルが苦手である。
大人になった今でも目は合わせられないし、話しかけられようものなら
もれなく挙動不審のくそ隠キャと化す。

そもそも、鳥取県の大田舎出身の私が、”ギャル”という生き物に遭遇したのは高校生になってからだった。
鳥取の中でも郊外の郡部に育ったので、小学校はもちろん、中学校も1つしかなかったほぼ持ち上がりエスカレーターの私にとっては、保育園から高校に上がるまでほとんど新しい出会いというものはなく
当時鼻を垂れながら走り回っていた男子がいつの間にか背が伸び、ニキビ面になっていく過程を見届けるか、一部の女子がストレートパーマに手を出し髪の毛が針金の如く直毛になって、前髪に対して垂直にアメピンを刺しているくらいしか、人の変化を目の当たりにすることもなかった。

そんな小さな世界で生きていた私だったが、推薦で入った高校にて、ギャルに出会う。

短くしたスカートに、丈ギリギリのオーバーサイズのカーディガン、他校のスクバにポスカで落書き、でっかいハイビスカスのピンを刺して、サンダルにもポスカで友達の名前が書いてある。

私が入った高校は総合学科で自分たちで自由に授業を選択できるような文化系の学校であり、
当時は偏差値もあまり高くなく、ギャルが比較的多い高校だった。

今思うとすごいなぁ、と思うが
1年生の時のクラスでは、1年生が終わるまでに7人くらいの生徒が退学(休学含め)していた。1クラス30人くらいしかいないのに、いやホントどんなクラスなんだよって話だ。

私はというと当然馴染めるわけもなく、
1年生の1年間はまじで無で過ごしていた。この暗黒時代の高校一年生時代の話は、勇気があれば書いてみようと思う。

当時、憧れの携帯電話も高校デビュー。
使い方が分からず、入学式の後の朝礼が終わった休憩時間に一斉に始まった
「赤外線で連絡先交換タイム」は、地獄のような時間だった。
せっかく声をかけてくれた子にも、操作方法が分からず慌てふためく私に「なんかごめんね、、」と気を使わせる始末であった。
あの時代にTikTokなどがまだなくて本当に良かったとつくづく思う。
ああ、、可哀想な私、今の私が代わりにその場に行ってあげたい。

話は逸れたがそんなクラスにいたギャル達の話。

当時流行っていたのかどうかは知らんが、唐突におっきい声でマキシマムザホルモンの「チューチューラブリームニムニムラムラ!!」を歌い出し、
仲間同士で「お前ー」みたいな感じでウェイヨーやってたり、
先生に反抗して授業放棄したり、明らかに校則違反であったマイメロみたいなキャワイイピンク色のカーディガンを没収されたり、
意味もないタイミングで「アゲ〜〜〜!!」みたいな奇声を上げていたり、
校外授業の時に他校の彼氏が迎えに来て、その彼氏が全身白のヤンキージャージ着ていた衝撃だったり。

選択授業のスポⅡ(スポーツの授業、ほぼ体育)
でバレーをやった時 サーブ時に私の打ったサーブがギャルのドンの子の後頭部にクリーンヒットした際には、私は「人生終わった」と思った。
その後の給水所でギャル3人から「ねぇ、さっきさあ〇〇の頭にボール当ててたじゃん、謝ってもらっていい?」と声をかけられた時には、
私は心の中で2度ほど人生を強制終了させてた。

でも、彼女達は悪い子達というわけでは消してなく、学校の子達に分け隔てなく挨拶をし、情に熱い子達が多かった。
文化祭などのお祭りごとでのリーダーシップ力は、社会でもかなり役に立つスキルを発揮していたし。

とにかく山奥育ちの芋娘の私にとって、
ギャルという存在は信じられない光景ばかりで新鮮で恐怖で近寄り難くて、珍妙かつ滑稽で、

その反面とても明るくてキラキラしていて、羨ましい人達だった。

なんかもう、とにかく怖いものなしって感じで、
物怖じしない、
今の自分と周りの環境を愛しシンプルに楽しんでいる、
理不尽な規則にとらわれない

とにかくシンプルに人生を楽しんでいる姿が
ホントは心底羨ましかったんだと思う、私は。

大人になった今でも、彼女達のことをたびたび思い出す。
理不尽なことに対面した時、彼女達だったらどう返していただろうと考えてみたり、
心のどこかにちっさいギャルを忍ばせて、真似事をしてみたりしているのであった。

まあ、総じて現在もギャルは苦手であるが。

sako


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