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遺影撮影会

家族写真の話のついでに。
遺影撮影会をやったのはいつだっただろうか?
父が施設に移る話が本格化した頃、
実家に、家族写真を撮ってもらっているカメラマンさんに
家族の写真を撮りに来てもらった。

人を家に呼ぶのを嫌がる母がなんというかな、と思ったけれど、
「パパも施設に入っちゃうと、家族の写真なんかなかなか撮れないし、
子ども達もみんなで、一緒に撮ってもらうのはどうかな? 
一人ずつの写真もとってもらおうよ。
遺影にも使えるしさ。」
などと冗談めかして誘ってみた。

母はしばらく考えていたけれど、
そうね、お父さんの写真の長く撮っていないしね、と賛成してくれた。
恐らく、どこかで、遺影の撮影という言葉が響いたのではないかと思う。
体調のよいうちに、よい写真を撮っておくことで、遺影とまでは行かなくても家族の写真を撮っておくのはよいと思ったようだった。

その前にカメラマンさんに撮ってもらった子ども達の写真を
額に入れて母に何枚か渡し、母が壁にかけていたことも、
カメラマンさんに来てもらうことの敷居を低くしたのかもしれない。

当日は、子ども達も普段よりは多少マシな格好で集合。
母はセーターにブラウス。
普段はトレーナー姿の父もポロシャツに着替え、写真を撮ってもらった。
家族写真を撮り慣れている友人の橋本カメラマンは、
「じゃぁ、お二人で手をつないでみましょうか」
「お互いの方を見てください」
などと何気なく、普段は絶対とらないポーズを注文する。
子ども達外野は「おじいちゃんとおばあちゃんが手をつないだ」
「いいじゃん」「いいかんじ」と撮影の脇で大騒ぎ。

父一人の写真
母一人の写真
夫婦の写真
子ども達や私も入った写真
など、いろいろな写真をいっぱい撮っていただいた。

あのときは、脳梗塞で長患いが続いている父が先に逝くと
誰もが思っていた。
ある意味、父の遺影撮影会、
母もそこに便乗の図だったのだ。
が。
実際には、その数年後に母の癌がわかり、
母が先に亡くなった。

母があれこれ身仕舞いをするときに、
お葬式の時はこれを遺影にしてね
と出してきたのが橋本さんが撮ってくれた写真だった。
本当に遺影になっちゃったわね。
母はそういったような気がする。
でも、あかるかった。撮っておいてよかった、と思っているようだった。
お父さんのもこの時に撮っておいてよかった。
お父さん亡くなったら、こっちね、と言って渡されたのも、
もちろん橋本さん撮影。

そして、葬儀の日。
癌にかかる前のお元気なお写真で涙が出ました
お母様らしいいいお写真ね
と、何人かの方からお声をかけていただいた。
遺影撮影会をやっておいて、本当によかったと思った。

遺影撮影会なんて縁起でもない。
そういう考え方もあるだろう。
でも、人生何があるかわからないから、
遺影撮影会をかねて、家族写真をチョコチョコ撮っておくのは
きっと悪いアイディアではないだろう。
みんなと一緒に自然な笑顔が引き出された写真。
それは、皆さんにお別れするのにふさわしい写真のような気もする。

得意技は家事の手抜きと手抜きのためのへりくつ。重曹や酢を使った掃除やエコな生活術のブログやコラムを書いたり、翻訳をしたりの日々です。近刊は長年愛用している椿油の本「椿油のすごい力」(PHP)、「家事のしすぎが日本を滅ぼす」(光文社新書)